910 スライムの偵察
とある品物を届けに来たマウーロ領主は、ローテーブルを見つめるセデスを見下ろしている。
「――考えは、まとめてもらえましたかな」
無造作に置かれた髪留めから視線を外し、セデスが不自由な両手で顔を覆った。
「あの子は、まだ幼児だよ? 無事なの? まずはそれが確認できないと……。ああ、もし、あの子に何かあったら……」
そっとその場を離れたモモは、胡乱げにその光景を見つめる。
儚げな王子様が悲嘆にくれる様は、見る者の心まで軋ませるようで。
だから……まさか、誰も想像しないだろう。
愛らしい幼女の身を案じるそのセリフの続きは、決して殊勝なものではないことを。
そして、顔を覆った両手の下で、口内のものを急いで咀嚼していることを。
『演技だけは、上手いのだけどね』
そこは、カロルスには似なかったらしい。きっと、エリーシャの方だ。
そんなどうでもいいことを考えつつ、モモはそっと扉付近の物陰へ身を潜ませた。
「あんな幼女に我らが危害を加えるメリットなど、ないでしょう! 少なくとも、今の段階では。いい加減、折れた方が身のためですよ。それこそ、愛らしい彼女のためにもね」
「……本当に君らが軟禁しているの? 髪留めだけじゃ信用できない。今頃馬車で僕の帰りを待っているかも。だってあなたはずっと私と行動していたのに」
「私が、部下の一人も持っていないとでも? それに、ロクサレンは方々から不興を買いすぎた」
意味ありげに浮かべた微かな笑みに、セデスはキョトンと首を傾げてみせる。
「不興を? そんなことはないよ、領民からも王からも評価は上々だから。そんなことを言うのって、君だけじゃない?」
息子ほどの年齢のセデスに君呼ばわりされ、彼の顔にカッと朱が差した。
「この……! 馬鹿め、なぜこうも簡単に事が成せたか、私一人ではないと考えもしないのか。『病』のことだって――!!」
よし、とセデスがほくそ笑んだのもつかの間。彼は唐突に口を噤んで、『失礼する!』と足音も荒々しく部屋を出て行った。
そして、その扉が思い切り閉じられる直前。
『私は、けっこう素早いのよ!』
ひゅっと隙間に滑り込んだ、小さな桃色のふわふわ。
『ああしてじっと捕まっていても、埒があかないもの。捕虜役は彼に任せて、ちょっとくらいスライムが偵察したっていいと思うわ』
暗い廊下を弾むスライムは、用心深く距離をとりつつ、密かに彼の後をつけていった。
広い館の中をしばし歩いた後、彼はとある一室へ入ってしまった。
閉じられた扉の隙間からは、会話の声と光が漏れている。
何人室内にいるのか、部屋の大きさも分からない。
『さすがに、今入ったら見つかるかもしれないわ』
モモは扁平になって扉の隙間に身体を差し込むと、そのまま聞き耳(?)をたてることにした。
「――しかし、契約にサインがなくては!」
マウーロ領主の苛立たしげな声が聞こえる。
「……あの優男め、思ったより頑固だな。いや、方法はある。どうしても拒むなら予定通り、移行すればいい」
「しかし……! それでは私の目的が!!」
これは……チャンスというやつなのでは? モモは思わず身を乗り出した。
マウーロ領主と、おそらくもう一人は主催者だろう。
案外口の硬い二人も、さすがにスライムが盗み聞きしているとは思うまい。
『マウーロ側はどうしても支援がほしい感じかしら? 理由はともかく、それが私の目的、なのね。ってことはもう一人の彼とは、目的が違うってことかしら』
柔らかいもふもふ探偵は、ふむう、と考え込んだ。
「よく考えてみろ、『全て』移行するということだ。病さえ消えれば、カスパール殿の心労も、消えるのではないかな?」
「そうか……ならば、館へ。しかしそれがうまくいったとて、書類として形に残さねば我らの身が危うい。あの娘はどこに? 姿を見せてやればまた考えも変わるだろう」
「騒がれても困る。カスパール殿は先に帰宅されよ、私は別で向かうのが良いだろう」
つまり、彼らの言う『館』はマウーロの領地ということだろうか。
『どうしてわざわざリスクを取って移動するのかしら? 確かに悪事のアジトとしてはもってこいかもしれないけれど』
何せ、皆弱っていて何かを気に掛ける余裕などないだろうから。
『と、いうことは。この館にはあまり悪事の痕跡はないってことかしら。それに、置いて行かれたら元も子もないわね。探るべきは、次の館ね!』
来た道を急いで引き返し、扉の隙間からじりじり室内に入り込んだモモは、まふっと飛んでセデスのポケットに潜り込んだ。
「あれ? どこ行ってたの? ちょっと収納袋から残りの食料を取り出してくれない? この手だとなかなか……」
まだ食べていたのか。
単身偵察行動をとっていたふわふわスライムは、一気に張り詰めた何かが抜けていくのを感じた。
『血も繋がってないのに、どうしてこの、こういう……そう、ポンコツな所は似ているのかしら』
モモは、ぐったり扁平になってため息を吐いたのだった。
*****
「――えっ?! もしかして広いって、そういうこと?!」
朝食作りの手を止め、ラピスの持ち帰った手紙を広げた途端、目を丸くした。
ラピス情報ではちっとも伝わってこなかった重要情報が、セデス兄さんからの手紙で発覚だ。
セデス兄さんが現在幽閉されている地下室は、やはりマウーロの館。
本来の地下室から続くその場所は、突貫工事で作られたように土が剥き出しなのだとか。明らかに、何か悪事するための隠し地下室だよね!
「……それにしたって、『なんか魔法っぽい感じがする』なんて何で分かるの? セデス兄さん、魔法使えないのに」
タクトの野生の勘みたいなものだろうか。
――魔法の気配はあるの。多分、何か維持してるの。邪の魔素も多そうなの。
それってもう、確定じゃない?
マウーロの館で、何か呪詛的なことをやってるんじゃない? どうして自分の領地を呪っているのかは、分からないままだけど。
『けど主ぃ、呪詛なんてそうそうお手軽にできるモンじゃないんだぜ! ましてや、あんなお貴族ボンボンができるわけないんだぜ!』
「そう……だよね。そんな簡単にできたら困るし」
どうやら、呪いに関する魔法を使える人はかなり少ないらしい。その上、きちんと届け出て登録する必要があるのだとか。
オレ、オモシロ呪いグッズを作っているイメージしかなかったよ。
「うーん、呪詛自体も館で行われているっぽいなら、やっぱり侵入するしかないよね?! モモと合流して詳細を聞きたいし」
――モモ、いなかったの。
何気なく告げられたセリフを聞き流しそうになって、勢いよく振り返った。
「え? ラピス、モモに会ってないの?」
――会ってないの。手紙は首の後ろに挟んであったの。
……手を縛られているセデス兄さんが、わざわざ襟首に手紙を差し込まないだろう。
その場を留守にするモモが、ラピスに分かるようそんな手段をとったってこと。つまり、モモは自分の意思でいなくなっただけ。
ホッと安堵して、ますます合流の必要があるなと思う。
何なら、既にモモが全てを解決しているかもしれない。
『スライムに期待しすぎだ』
チャトの冷たい視線も何のその。
「違うよ、スライムに期待してるんじゃなくて、モモに期待してるんだからいいの!」
オレはにっこり笑って、作り終えた朝食を収納したのだった。
そう言えばこっちで言ってましたっけ? デジドラ、タイトル変わったんですよ!
め~~っちゃ長い!!
『りゅうはきっと、役に立つ。ピュアクール幼児は転生AI?!最強知識と無垢な心を武器に、異世界で魂を灯すためにばんがります! ――デジタル・ドラゴン花鳥風月―― 』
分かりやすく、タイトルで誰向けか分かるように、あとデジドラって略称はほしかったので最後のサブタイトル風に(笑)
以前のタイトルだと、『デジタル・ドラゴン』が前面に出るからゲームか格好いいバトルものかなって誤解して読む方がいらっしゃるかもと思って!