907 不慣れな襲撃
……息が、苦しい……苦しい。
オレ、何してたんだっけ……?
どうしてこんなに息苦しいの……。
身じろぎしようとした身体が、窮屈な姿勢で固まっている。
腕が動かない。抵抗できない。
ああ、そうか、オレ誘拐されていて。
もしかして、本当に始末を?
どうしよう、このままじゃ、息が……
『スオー、起きればいいと思う』
間近く聞こえた声に、ぱちりと目を開けた。
開けたものの、何にも見えない。
「んむむっ、ふおー! ひみふむむいっ!」
ぶんぶん顔を振ると、顔に貼り付いていた蘇芳が手を離し、迷惑そうに毛並みを整えた。
「はああ~息苦しかった! 蘇芳、顔に貼り付いちゃダメだってば!」
『スオー、これが一番手っ取り早いと思う』
手っ取り早さで毎回臨死体験をしたくないんですけど。うん、分かってるよ、オレが起きないからってことは!
ものすごく不愉快な目覚めだったけれど、気を取り直して状況を窺った。
オレの方は袋の中で後ろ手に縛られたまま。
蹄の音と、車輪の音。そばには二人の男の気配。どうやら、まだ移動中のよう。
オレ、どのくらい寝ていたんだろう。てっきり領内の隠れ家的なところへ向かっていると思っていたんだけど、こんなに走り続けたら領地を出ていやしないだろうか。
小さくあくびして、眠気を追いやった。
変な体勢だったけど、ちょっと寝たおかげで割とスッキリしている。幼児の柔軟性と適応力は大した物だ。
――ユータ、もうすぐ着くの。
気持ちよく寝ていたのに、どうして起こされたんだろうと不思議に思ったところで、ラピスの声がした。
「そっか、だから起こしてくれたんだね。ありがと……え? ここって、もしかして」
起き抜けの感覚が徐々にはっきりしてくる中、思わず眉根を寄せた。
間違えようもなく感じる、不快感。
心が蝕まれるような、嫌な感じ。
「マウーロの領地……だよね? どのあたり? 到着って、どうして目的地が分かるの?」
――モモが先に到着してるの。多分一番大きいお家なの。
ああ、セデス兄さんたちも移動しているんだね。
「だけど、大きい館? それって領主館ってこと?」
少なくとも、そんな目立つ建物が隠れ家なわけはない。
『そうじゃないかな……? みんな大丈夫かなって、ぼくが見に行った場所だよ』
シロが言うなら間違いない、領主館のある村だ。
でも、それならなぜ?
食料もあるはず。
人手もあるはず。
なのに、なぜ。
なぜ、こんなにも嫌な気配が濃いのだろうか。
ラピスにこっそり周囲の様子を探ってもらおうと口を開いた時、突如馬のいななきと共に馬車が止まった。誰にも支えてもらえなかった袋は、思い切り投げ出されて吹っ飛んでしまう。
シールドを張りつつ、いくらなんでもこんな扱いはないだろうと憤慨した。
抗議の声をあげようとした時、呻く声が聞こえた。
「ううっ……何事だ?!」
どうやら、吹っ飛ばされたのはオレだけじゃなかったらしい。そういえば派手な音がしたから、二人もしこたまどこかぶつけたんだろうな。むしろオレだけ無事で申し訳ない。
「御者は何をやってる!」
憤りの声が、扉の開閉音の後遠ざかっていく。遠くの方で御者らしき人の平謝りの声が聞こえていた。
「うん? 今って深夜だよね?」
違和感を覚えてレーダーで確認し、首を傾げた。
そして、ずずっと動いた袋に目を瞬かせる。
誰かが、袋を引っ張っている……?
押し殺した荒い息づかいから、極度の緊張まで伝わってくるよう。
だけど、すぐに彼らも戻ってくるだろうに……。
誰だか知らないけれど、オレまでドキドキしてきて、思わず精密レーダーで状況を探った。
どうやら、馬車の前に何らかの障害物か何かがあるんだろうか。多分御者ともう一人の男だろう人がせっせと避けているよう。
それを言いつけた主催者は、案の定踵を返して……。
「「「わあーー!!」」」
大きく響いた声に飛び上がった。突如として轟いたのは、夜更けの淀んだ空気を切り裂くような、たくさんの声。
「なんだ?!」
「襲撃?! 旦那様、こちらへ!」
同時に、バララ、パララ、と何かがそこらへ当たる音。
その隙にオレの入った袋は引きずり出されてドスンと地面へ落ちた。
とっても乱暴! シールドがなかったら大変なことになってるよ。
そして馬車の下へ隠れるように袋を引っ張り込み、そのまま後部から脱出……!
「急げ、隠れろ!」
他の息づかいが増え、オレの身体が浮いた。数人がかりで運びだされながら、ヒヤヒヤの強奪劇にオレの方が額の汗を拭った。
――ユータ、どうするの? ラピス、これは盗賊だと思うの。殲滅してもいいヤツらだと思うの。
『待って待って、そうかもしれないけど、町の人だよ! とっても弱いよ!』
人を見た目で判断しちゃダメだけど、ラピスはもう少し見た目で判別をつけてほしい。感じる気配からは、脅威など欠片も感じない。むしろ、伝わってくるのは怯えた緊張感のみ。
町の人だとすれば、本当に、ここが領主館付近なんだとすれば、理由は薄々察せられた。
だって、マウーロの領主はきちんと食事をとっているようだったから。
ここもあの村と同じような状況になっているんだとすれば。
いずこかの建物内に入り、さらに下ったから、きっと地下室か何かだろう。
「早く!」
「解けない……ナイフ貸して!」
周囲でたくさんの息づかいがする。
期待に満ちた声がする。
ビッと袋の紐が切られたのを感じ、申し訳ない気持ちで目を閉じた。
「……あ、れ?」
「え、何これ……」
ばさっと乱暴に袋が開かれ、閉じたまぶたの裏にランプの灯を感じた。
高揚していた空間に波紋のように困惑が広がっていく。
「……食べ物……」
誰かがぽつりと零した言葉を皮切りに、呻くような声が方々から聞こえた。
目に見えるほどの落胆と絶望。すすり泣きの声すら聞こえる。
「どう、しよう……。この子、貴族だよね」
「すぐ、兵隊が来るんじゃない……?」
「でも、どういうこと? 縛られて袋に入ってたんだよ?! 私たちが悪いわけじゃ……!」
『元いた場所に返してきなさい』となりそうな雰囲気を感じて、うーんと呻いて身じろぎした。
ハッと硬直した周囲が逃げ出さないうちに、さっさと目を開けてしまう。
「……こんにち……こんばんは?」
ちょっと起き上がるには不自由だもので、ひとまず目の前にいた子へ、にっこり微笑んでみせた。
「オレ、ユータ……リアっていうの。そう、私はユータリアね! それで、ここはどこ? どうしてみんな集まってるの?」
危ない。視界に入るロングヘアがなければ、名前を間違ってしまうところだった。
「あ、あ……。俺たち、何も知らない! 関係ない!」
勢いよく顔を背けた目の前の子。ぐるりと見回すと、面白いように視線が外される。授業中の先生みたいな気分だ。
「ねえ、事情は知らないけど、これ外してくれない? 私だってあなたたちのこと知らないよ?」
うーむ、反応がない。別に自分で縄は外せるけれど。この空気をどうしたものか。
「ねえ、こんなちっちゃい子、かわいそうだよ」
後ろの方で声がしたかと思うと、温かい手が縛られたオレに触れた。
「じっとしててね」
振動の後、プツンと縄が切られた感触がある。
「ありがとう」
身体を起こして振り返ると、そこにいた女の子が目をまん丸にした。
「わ……お姫様?!」
そうか、ドレスを着ているもの、そんな風に見えるのかも。
「お姫様じゃないよ?」
くすくす笑えば、この空間も少し緩んだように感じた。
よし、ここだ。
「みんなで助けてくれたの? ありがとう。お礼をしたいんだけど、今は食べ物しかないの。それでもいいかな?」
よそよそしかった空気が、ぐっと密度を増した気がする。
オレは、壁際に寄せられていた古テーブルに歩み寄って、サッとクロスを掛けた。
「ひとまず、スープならあるよ!」
ドン、と取り出した大鍋。かび臭い中に広がる、かぐわしい香り。
「食べながら、みんなの話を聞かせてくれる?」
お礼のはずだったスープを情報料にすり替えて、オレは居並ぶ子どもたちへにっこり笑ってみせたのだった。