906 様式美
こんな状況で、食事の催促なんて一体どういう了見なんだろうか。
「そもそも、オレ今誘拐されてるんですけど!」
『そもそも、向こうも今誘拐されてる』
いやまったく。この場合おかしいのはオレなのか、向こうなのか。
ぷりぷりしながら色んな食事を収納袋に詰め、おしぼりも忘れずつけておく。
ラピスへ手渡そうとしたところで、ふと気になった。
「ラピス、向こうはどんな雰囲気なの? ここみたいな部屋?」
――違うの。普通のきらきらしたお部屋なの。
「え、それって普通にお客さん対応なんじゃないの? 誘拐って言うのかな。室内に他の人もいるよね? そんな所でお食事できる?」
『主ぃ、俺様そこじゃないと思うぜ』
――大丈夫だと思うの。お手々が縛られてるから、ちゃんと誘拐だと思うの。
「ええっ、そうなの?! だったら確実だけど……それならなおさらお食事できないよね?」
『スオー、そこじゃないと思う』
そ、そうかもしれないけど!
――お手紙書いてるから食べられると思うの。
確かに。何となく後ろ手に縛られていると思ったけれど、そうじゃないのかも。もしかして、融資するという書類にサインを迫られているとか……!
「人がいない時に渡さなきゃダメだよ? モモに聞いてみてね?」
「きゅっ!」
ひとまずオレだけ満腹なのも申し訳ないので、ラピスを送り出しておく。
万が一一人で食べられない場合は、モモがなんとかしてくれるだろう。
「それで、どうしよう。攫われたはいいものの、一体何を探ればいいんだろ」
そもそも、オレは幼児扱いなので完全放置。何にも情報がもらえない。
せめておしゃべりで迂闊な部下とかつけてくれないだろうか。
そして、寝具はどうすれば? クッションくらいならともかく、さすがにベッドを取り出したら怪しすぎるだろうし……。
『ぼくと一緒に寝たら、あったかいよ!』
それはもちろん素敵だけども。だけども、それならベッドが突然登場している方がまだマシ……マシだろうか?
戻って来たラピス曰く、セデス兄さんの方も、問題なく食事中のよう。
もりもり食事するセデス兄さんを思えば、心配もどこかへ行ってしまった。
特にすることもなく悶々としているところへ、再び足音が近付いてくる。
そうか、パーティがお開きになったんだろうな。
「ふむ、泣かないのか。状況を理解していないのかもな」
言われてハッとした。オレは今幼い女の子、泣いていた演技くらいすべきだった。
演技指導のモモがいないから……!
どうする……?! 今からでも、ちょっと泣いてみるとか……。
頭の中では様々なパターンのシミュレーションが高速で巡り――現実ではいつの間にかオレの手が後ろへ回されていた。
「えっ?」
首を巡らせると、彼の連れてきていた男が、きっちりオレの手を後ろ手にまとめている。
今さら? どうして今拘束する必要が? もう寝るだけじゃないんだろうか。
「気味悪いくらいやりやすいガキだな……」
呟いた男に、主催者さんが鼻で笑った。
「何せ、自分で監禁されに来たくらいだからな。さすがに戸惑ったよ」
どうりで引き気味だったわけだ。あれは演技じゃなかったのか。
結局とるべき表情を選び損ねて口を噤んでいると、ばさりと何か被せられた。
「わっ……?!」
次いで身体が持ち上げられ、この感覚覚えがあるな……などと思う。
そう、誘拐犯の必需品、大きなズダ袋だ。
もしかして、セデス兄さんのところへ合流するのだろうか。
だけど、そのためにわざわざこんな手間を?
不思議に思っていると、しばらく歩いた後、どこかへ放り込まれたらしい。
――馬車にいるの。普通の馬車なの。隣にさっきのヒト二人がいるの。
ごそごそ姿勢を調整しながら、ラピスの状況説明に目を瞬いた。
馬車? こんな夜更けに一体どこへ……?
もしかして、オレの方はお払い箱として始末……だとか? いやいや、それって絶対貴族自らやらないよね。オレとしては始末方面の方がむしろ動きやすくなって助かるのだけども。
やがて動き出した馬車の中は、ただ車輪と馬の蹄の音が聞こえている。
……ちっともしゃべってくれない。
「……ねえ! どこに行くの?」
ついにしびれを切らして声をあげると、ビクッと二人が飛び上がった気配を感じた。
そんなに驚くことだった?
「お前が知る必要はない。気味悪いガキめ……お前、本当にロクサレンの親族なんだろうな? 男児が来ると聞いていたが」
「オ……わ、わたしだって、ロクサレンだもの! セデス兄さんはどこ? わたしたちをどうしようっていうの?」
大慌てで誤魔化すと、どこか嗜虐的な含み笑いが聞こえた。
「さて、どうなるかはあの男とロクサレン次第かな? ただ……あの男はロクサレンを随分恨んでいるようだったぞ?」
あの男って、きっとマウーロの領主だろう。
「どうしてロクサレンを恨むの? 何もしてないじゃない」
「何もしてないだって? あんなに荒稼ぎしておいて、それはないだろう?」
「……それって恨みじゃなくて妬みじゃないの?」
つい口にすると、馬車内の空気が凍り付いた気がした。あれ? そういえばこの人自身も何か恨みを持っているから共犯ってことだろうか。
「外交も分からないガキが、生意気を言う。いずれにせよ、お前はいい末路とはならないだろうよ」
幼児に向かってそんなセリフ、ちょっと格好悪いんじゃないだろうか。
「よくなかったら、どうなるの? セデス兄さんは?」
オレの方は少しでも情報を得ようと必死だ。これで会話終了は困る。
「生きておいてもらわないとなあ? 少なくとも王子サマには。お前の血縁が証明できれば、お前でもいいんだが……残念ながら、お前の情報がない。なら、お前は、いなくてもいいなぁ」
「いなくてもいいなら、おうちに帰して」
嬲るような声音を無視して、物わかりの悪い幼児らしく反論する。
多分、オレを怖がらせたいのだろうけど。
だけど今、オレは別のことに意識の大半を持って行かれていて、怖がっている余裕などない。会話すら難しいくらいだ。
「チッ、馬鹿が。お前はもう、生きて帰れないということだ!」
『袋に決めゼリフをかます貴族、中々シュールなんだぜ……』
必死のオレの気も知らず、チュー助がボソリと余計なことを言う。
馬車の中、小難しい顔をした男二人、袋がひとつ。
悪徳貴族がいかにもな顔で袋に指をつきつけ、高らかに決めゼリフを――。
「んふっ……」
集中の途切れ掛かっていたオレの口から、堪えきれず笑みがこぼれた。
同時に、完全に切れた緊張感で、必死の抵抗が空しく霧散していくのを感じる。
*****
馬車内の男二人は、思わずゾッと身体を引いた。
今、笑ったような……?
自然と顔を見合わせ、顔色を悪くして袋を見つめている。
思えば、最初から不気味だった。
あまりにもスムーズだった誘拐・監禁。
この中に入っているのは、本当に幼児だろうか。
「……おい! おい!」
沈黙に耐えきれず、声を荒げてみても、袋はもうピクリともしない。
「……中を確認しろ」
言われた男が、ギョッと目を剥いた。
「死んでたらどうする、早く確認しろ」
そして渋々袋を開けた男が、中を覗き込んで無言になること。
何も言わない男に怯えて、自ら引ったくって覗き込んだ貴族も口を噤むこと。
健やかに眠る幼児の中で、蘇芳は頷いた。
これはもはや様式美と言える光景だと。