900 二度と戻れない普通
デザートまできっちり平らげて、お風呂も入ったオレたちは、もう十分満足して早々にテントに引っ込んでいた。
ちなみに、賊たちは縛って外に転がしておいたら、風がさらっていくから大丈夫らしい。
何とも便利な仕様だ。
尋問するだとか、できそうもないことを要求されなくて良かった。
『いくらなんでも、あなたに尋問させないわよ』
『主だと逆に丸め込まれそうなんだぜ!』
そんなことはない、とは今回言えない。オレ、全然自信ない。
カロルス様も向いていないだろうな、すぐめんどくさくなってそうだし。
マリーさんも、あんまり辛抱強く尋問してくれなさそう……。
やっぱりエリーシャ様と、執事さんが向いているんだろうか。
自分の寝床に入り込んで、まだ荷物をごそごそしているセデス兄さんを眺めた。
セデス兄さんは……どうなんだろう。
考えてみれば、割と両親の素養を半々で引き継いでいそう。飄々と尋問もこなせそうなところが怖い。
なぜか野営でもきっちり寝間着に着替えるところが、冒険者じゃなくて貴族なんだなあ。
「野営ってさ、地面のちょっとした凹凸が気になったりするじゃない? 僕、こんな快適だったら宿なんていらないよ」
やっと寝床へやってきたセデス兄さんが、ぽんぽんと布団を叩いて笑った。
そう、それが嫌だからテントを張る地面はきっちり真っ平らに生成するし、お布団はふかふかなものを選んでいる。
「はあ~気持ちいい! いいなあ、ユータ付きの冒険者!」
ぱふっと枕に頭を落とした途端、風呂上がりの心地よい香りがオレの鼻腔に届く。
お風呂上がりのサラスベお肌と、清潔なお布団って、最高に気持ちいいよね。
「ふふっ、セデス兄さんと寝るなんて、久しぶりだね」
布団を引き上げ、くすくす笑う。
「そうだね、普段から僕の部屋に来てくれてもいいんだよ? 僕、ちっちゃいユータをもっと堪能しておきたいんだけど!」
ころり、とこちらを向いたセデス兄さんが、オレの布団に腕を差し入れる。
「ええ……オレ、そこまで赤ちゃんじゃないよ」
エリーシャ様のごとく、その二の腕の中へ引き寄せられて戸惑った。
カロルス様なら平気だけど、セデス兄さんはちょっと、違うんだもの。
もそもそ抜け出そうと抵抗していると、ますますきゅうっと抱きしめられてしまった。
「いいじゃない、今日くらい。僕、こんな貴重な機会を逃したくないな? 可愛い弟を独り占めできるチャンスだもん」
寄せる頬が温かい。エリーシャ様に近い、すべすべの頬。
「……セデス兄さん、カロルス様みたいなおひげは無理かもしれないね」
「気の毒そうに言わなくていいよ? 僕、別に無精髭に憧れはないからね?!」
あんなに格好いいのに?! だけど、確かにセデス兄さんの顔にはあまり似合わないかもしれない。
「…………」
「だから、ちっとも残念じゃないから。可哀想だなって視線の意味が分からないよ。あー柔らかい」
わざとらしくぐりぐり頬を押しつけ、ふふっと笑った吐息が耳にくすぐったい。
「もう……セデス兄さんがオレに甘えてどうするの。もう大人でしょう?」
「じゃあ、そういうことでいいよ。僕、この野営の間はユータにたっぷり甘えることにする」
仕方ないなあ。
「いいよ、今だけオレがお兄さんしてあげる」
「ユータ兄さんだね。あ、セデス兄さん(小)だっけ?」
「もう何兄さんでもいいよ」
ちょっとばかりはにかみつつ、オレより大分大きな身体に腕を回す。
だって、セデス兄さんがあんまり嬉しそうだから。
適当な子守歌を歌いながら、広い背中に手を滑らせた。
ぬくぬく温かく、強い腕の中で守られる安心感が、まぶたを引き下ろしにかかる。
これは、セデス兄さんなのに。違うのに。
悔しくて、だから、オレの方が大人だと態度で示してみせる。
決して先に寝るまいと頑張ったオレの戦いは、その実早々に幕を閉じたのだった。
「――きっと、この辺りが……」
オレは馬車の窓に貼り付いて、眉根を寄せた。
そろそろマウーロ近辺を通り抜け、目的の領地に入るはず。
「そうだね、マウーロの領地ってとこなんだろうね」
遠くに村らしき存在が見え始めたというのに、荒野が終わらない。
辺り全体が淀んで、重苦しい。きっと、邪の魔素だって多いはず。
「こんなところで生活しているの……?」
オレだから、感じ取れるだけ。それでも、こんな灰色の空気の中で生活しているだなんて、普通の人だって何か不調を感じるんじゃないだろうか。
飢饉がおこると、こんな風に淀むんだろうか。
「付近の村に寄りますか?」
窓の方へ馬を寄せたアルプロイさんが、声をかけてくれた。
「そうだね……正直、寄りたくないんだけど。適当な村で宿を取ることにしようかな」
大仰にため息を吐いたセデス兄さんが、『ユータの野営が……』なんて呟いている。
「お食事はオレが作るよ! ちょっと、ここで食べるのは……」
そこで生活している人がいる中、気持ち悪いなんて言えずに言い淀んだ。
「僕たちは貴族だからね。村の食事はとらないなんて、普通だよ。じゃあ、楽しみにしていようかな! 当然、デザートとお風呂もあるんだよね?」
……わざわざお風呂のために外へ行くんだろうか。
『接待野営に慣れてしまうとねえ……』
『ダメだな……。この兄さん、二度と普通ってヤツには戻って来られないぜ』
せ、接待野営……。
やれやれと首を振るモモたちに苦笑して、だけど確かにオレも戻れないかもね、なんて思う。
「――ここに泊まりなさるんで?」
正気ですか? とその目がありありと訴えている。
痩せて目ばかり目立つ宿の主人は、訝しげというよりは不審そうだ。
「そう……思っていたのだけどね。何があってこんな状況なの?」
何もしらない貴族を装って、セデス兄さんがカウンターにお金を置いた。
情報料ってやつだ!
初めて見たやりとりに、つい目を輝かせていたら、宿の主人は首を振ってその硬貨を見つめた。
「金なんぞあっても、今は役に立たんのです。もうちいと前なら、これも役立ったかもしれんですがね。むしろその頃なら村の手前で、あんさん達は身ぐるみ……いや、あんたたちごと持ってかれてたよ」
力なく語る彼の目は、オレたちの荷物に向いている。
タジルさんがわざとらしく剣を鳴らしてみせ、ハッとした主人が顔を上げた。
「心配なさらんでも、もう襲えるような体力はねえですよ。あの、食い物は……? 宿代なんていらない、情報料なんていらない、食い物がありゃあ……」
落ちくぼんだ目をぎらぎらさせ、縋るように視線を彷徨わせる。
村のどこも、こんな状況だろうか。
見上げると、セデス兄さんが頷いた。
「じゃあ、これ……オレ、朝のパンまだ持ってたから」
いじましい幼児のふりして伸び上がると、大きいパンをひとつ差し出した。
途端、目を剥いた主人がパンを引ったくった。
慌てて生命魔法水入りのお水も差し出しておく。
これは、情報料だ。
本当は、もっと美味しいものを、身体に優しいものを渡したい。
だけど、何をどこまでやるかは、次期領主の判断に任せなきゃいけないだろう。
その後で、オレが個人として勝手に何かするかもしれないけれど、それはそれだ。
飲み込むようにパンを平らげた主人が、水を飲み干して長い長い息を吐いた。
「ありがとう、ございます……こんなに美味いパンは、初めてです」
勧められるままそばのソファに腰掛けると、主人はうつむきながら村の状況を話し始めたのだった。
活動報告にも書きましたがデジドラの「りゅうとりと まいにち」電子書籍化できました!
Amazonのkindleで発売しています。電子なので少しお値段下げてます。
そしてKindleアンリミテッドに登録されていれば無料で読めます!
色々トラブルは山積みでしたが、Kindle登録できたので、これからKindleで他にも出してみたいなとわくわくしています!
デジドラ自体もガッツリ改稿して電子書籍化してみたいな!!