899 その目に映った光景は
お鍋の蓋を閉めた頃には、夕日も地平線に消えようかという頃合い。
暗くなってきた周囲に、焚き火の灯りが心を寛がせてくれる。
『焚き火の灯りしかないような物言いね』
『主ぃ、キッチンは明るいぞ?』
……いいじゃない! 野営って言えば揺れる火を見つめて過ごす、ゆったりした時間が大切でしょう?
キッチンは、だってほら、明るくないと作業しにくいし。
薄闇の中飛び跳ねるモモたちの影が、いくつも重なって見える。
ばっちり完備しているライトをちらりと見て、苦笑した。いくらでも明るくする手段があると、せっかくの趣も減ってしまう気がする。
食事が終われば、早々に消さなきゃね! だけど、今はまだデザートを作っているから。
「ユータ、まだ~? 僕、もうお腹空いたんだけど」
「まだまだだよ?! さっき煮込み始めたばっかりじゃない」
モモシールドによる圧力鍋作戦もあるけれど、夕食には十分に早い時間だろう。
まだかな、と思いながら待つ時間だって楽しいでしょう。
だんだん切なくなってくるお腹と、だんだんいい香りになっていくお料理。
ルウを入れた後の、あの香りといったら!
「この時間だって、美味しくなるには必要なの!」
ふふっと笑うと、セデス兄さんは情けない顔をして草間に寝転がった。
一応、貴族なんだけど。
それ、結構高価な服だと思うんだけど。
「はあ……何か気を逸らすことってない? 退屈~! 野営の時って、みんな何してるの?」
王子様じみた相貌が宵の空を見上げ、金茶のきらきらする髪が草地に広がっている。
どこか背徳的な雰囲気さえ感じて――なんとも解せない。
見た目って他の全てを凌駕するインパクトがあるよね。
それをさらに凌駕してしまう中身だなんて、もったいないことだ。
「そっか、セデス兄さんはあんまり野営することってないもんね」
「そうだよ、僕、一応お貴族様だし? 割と長く王都にいたからね」
お貴族様は、そんなに草原に馴染んではいないと思うけれど。
「オレたちはあんまり退屈って思ったことないなあ……」
オレは大体何か作ってるか、ブラッシングしているか。ラキは何か作ったり、素材を見て不気味な笑みを浮かべていたりする。タクトは、食べてるか鍛錬してるか、シロとじゃれているか……。
ふと視線を巡らせた先には、武器の手入れをしながら何やら相談する護衛さん一同。
御者さん二人と、アルプロイさん、タジルさん。
傍から見ると、貴族なのに護衛の数は少ないのかもね。まあ、ウチは御者さんも兵士だけど。
『御者が兵士はともかく、メイドも兵士は想定外よねえ』
『俺様、執事やコックも兵士はナシだと思う!』
抗議するようなモモとチュー助に、くすりと笑う。
確かに、ある意味ズルだ。メイドを5人くらい引き連れていたって、誰も脅威を感じないだろうしね。
オレたちだって、『年若くて線の細い次期領主と幼子』なんて見た目かもしれないけれど、中身がその通りとは限らない。
だからこそ、オレたちが派遣されたんだろうし。
真剣な表情の彼らを見ると、デザートなんて作ってるのが申し訳なくなってくる。
「セデス兄さんも、武器の手入れとか、今後の計画とか練ったら?」
「僕が? なるようになるでしょ~。武器なんて普段から使いやしないのに、手入れも頻繁に必要ないよ」
これはひどい。どうやら次期領主にも、グレイさんみたいな人が必要らしい。
「カロルス様だと戦闘だけは率先して行くけど、セデス兄さんってそれじゃただの役立たずにならない?」
「ちょっと?! かわいい声で真正面から大剣突き刺すのやめてくれる?!」
おや、オブラートに包み損ねた。
とは言え、いざとなったら頼れるのだろうなとは思う。いざとならないと頼れない領主でいいのか? と思うだけで。
「別に、僕が領主になる必要ないんだよ? ここにもう一人、優秀な弟がいるわけで」
「いないよ?! 血筋ってものもあるでしょう?!」
「一代で成り上がってるのに、血筋もへったくれもないんだよね」
で、でも! エリーシャ様は生粋の貴族なわけで!! それに、英雄の血筋って大事でしょう?!
まさかこっちに飛び火するとは思わず、小鍋をかき混ぜる手を止め――全員が、顔を上げた。
セデス兄さんの髪から、ひらひらと葉っぱが落ちていく。
「ふふ、退屈しのぎが来たね」
ゆっくりと弧を描く口元は、この王子様が誰と誰の子なのか、はっきりと教えてくれる。
「賊です! 馬をこちらへ! ユータ様はそのままでお願いします」
「分かっ……うん? このまま?」
いいの? 普通、馬車の中とか、守りやすいところに行くべきじゃ? もちろん、必要はないんだけど。
「絶対に、守り抜きます! ユータ様は、カレーを!」
キリッ! なんて効果音がつきそうなタジルさんだけど、ちょーっと違うような?
『カレーは、大事』
『お前は平気でも、カレーは平気じゃないからな』
うんうん、とオレの中で納得している辛辣組。
「ユータ様、キッチンにシールドをお願いします! 我らが殲滅をすませるまで、どうぞその中で!」
オレのためのシールドだよね? カレーのためじゃないよね?
あとそのセリフの続きって、どうぞその中でカレーとデザートを仕上げておいてください、とかじゃないよね?
若干腑に落ちない気持ちもありつつ、言われるままに作業を再開する。
油断なく身構える彼らの視界に映り始めたのは、結構な数の賊らしき人影。
「ライト!」
せめてこのくらいは、と周囲に打ち上げたライトで、その姿がはっきりと浮かび上がった。
「賊にしては、いい身なりの者がいますね?」
「やはり、マウーロの?」
囁き合う二人の言う通り、賊にしては揃った武器、小綺麗な人たち。
変装が疎かなのは、宵闇に紛れて襲うつもりだったせいだろうか。
「…………」
睨みあう、刹那。数秒、そして数十秒。
……あれ? 戦闘始めないの?
なんだろう? 妙な空気が漂っている気がする。
油断なく身構えた護衛さんたちが、じりっと距離を詰めた。
ハッとした賊が、じりっと下がる。
その視線が、戸惑うようにオレたちの間を彷徨っている。
「――あ」
静観していたセデス兄さんが間延びした声を上げて、がくりと項垂れた。
「これは、その、ちょっとした事情があって……決して、趣味とかじゃ……」
「「あっ……」」
剣を構えたアルプロイさんたちが、己が姿を顧みて膝をつきそうになっている。
そうだよね、だってまだカレー作りの途中だったんだもの。
だ、大丈夫! お料理してる時よりカッコいいよ! 戦うメイドさんって感じで!
項垂れていたセデス兄さんが、ふいに顔を上げた。
「……つまり。ごめんね? 全員、覚悟は……いいかな?」
ふわっと広がる、圧迫感。
ひりり、と空気が鋭く尖っていく。
既に呑まれた賊が、膝を震わせている。
これ見よがしに髪を結んだセデス兄さんが、ゆっくり剣を抜いた。
「一人も、逃さないよ」
浮かべた笑みが、凄みを伴って草原を揺らした。
「――んーーー最高っ!!」
カツカツ行儀の悪い音を響かせて、王子様は頬をリスのように膨らませている。
もしかして、髪を結んだのはカレーを食べるためだったんだろうか。
だって、賊なんて瞬殺だったじゃない? むしろ、怯えていて可哀そうだったけど。
「う、美味いですっ! ユータ様、美味いですっ!!」
「腹いっぱいのカレーとは、まさかこんな贅沢な……!!」
タジルさんたちの食べっぷりも、さすがだ。
「みんなで作ったカレーだからね! 美味しいでしょう?」
みんなで作って、お外で、ほどよい運動の後。それはもう、美味しい条件が揃っているもの。
「本当、僕が作ったとは思えないんだけど?! はあ~、やっぱりユータとの野営って最高だね!」
ご機嫌なセデス兄さんの言葉に、みんなが大きく頷いている。
そんな風に言ってもらうと、もっと頑張りたくなってきちゃう。これは、露天風呂も作らなきゃいけないかな?!
むふっとはにかんで笑い、オレはまた大きく頬張ったのだった。