896 レッスン
「はい、一旦休憩です。お二人とも素晴らしいですよ! 基本は概ね良さそうですね。次は下を見ずにできれば!」
マリーさんの声に、強ばっていたタクトの身体から力が抜ける。
お互い足ばっかり見ていた顔を上げ、間近く絡んだ視線に苦笑する。
今は、一番教えてもらう必要のあるオレとタクトが組んで練習中だ。
「交代、しようか?」
ずっとオレがセデス兄さん側、タクトがマリーさん側で踊っているから、少々申し訳ない。
「いや? 俺は披露する場面なんてねえし。お前はもうすぐなんだろ?」
妙に物わかりの良い笑顔が、どことなく不自然な気がする。だけど、実際オレは切羽詰まっているからね!
一応、踊れるようになったものの、さすがに終始下を向いていてはマズいだろう。
「いい感じだったよ~。あとは、ユータのダンスアレンジがどうなるかだよね~」
ラキはさすがと言うべきか、ダンスもそつなくこなす。セデス兄さんたちに比べれば、特別上手なわけじゃないと思うんだけど……なんだろうな、上手に見えるオーラを放っているというか。
「うふふっ! 楽しいわ。セデスちゃんと踊れるなんて!」
「アレンジをっ! 考えるんだよね?! 僕、普通の人間だからっ! 加減して?!」
フロアの半分より向こうは、危険地帯となっている。身体能力が桁違いの人たちは、ダンスひとつとっても規格外なんだな。
すさまじい速度で舞い踊る二人が、フロアに火を点けそうだ。
「すげー……」
「すごいよね~」
ねえ、二人共。顔が全然褒めてないよ?
だけど、分かってしまう。『すごい』って閾値を通り越すと、呆れが生まれるものなんだな。
アレンジ……大丈夫だよね? こんな戦舞みたいな激しいのにならないよね?
「ね、ねえ! もうちょっと練習しよう!」
おののいたオレは、少しでも身につけておこうとタクトを引っ張った。
「じゃあ、今度は僕が相手するから~。タクトも見て覚えるといいよ~」
「え、オレ男性パートしか踊れないよ? ラキ女性パートできるの?」
首を傾げると、ラキは読めない表情でにっこり微笑んだ。
「そうだね~。僕、これなら踊れるんだ~」
さすが、何でも器用にこなすものだ。
感心しながら手を差し出すと、ラキはすくい上げるようにオレの手を取った。
おお、自然。
すっと身を寄せる仕草、握り込んだ手、添えられた手……全てに余裕があって優雅だ。
オレ相手でもいちいち赤面するタクトとは、雲泥の差。
マリーさんの手拍子と音楽に合わせ、ゆったりとステップを踏む。誰でも踊れるものだもの、基本は難しくはない。
後ろへ大きく下がって、横へ開いて。ステップを踏みながら円を描く。
1、2、3、1、2、3……。
オレは足が短いから、めいっぱい大きく動けと言われた。だけど、そうすると相手を蹴りそうで……。残念ながら、足を踏めるほど近付けないので、今のところその心配はない。
「僕、ユータのつむじしか見えないな~? ユータ、僕を見て~?」
言われてハッと見上げると、くすくす笑うラキの顔がすぐそこにある。
「うわ、近いね……。これ、他の人と踊るの……? ラキ、よく平気だね」
相手がセデス兄さんやタクトやラキなら、何の問題もないけれど……。これ、いざとなったら他人と踊れるんだろうか。
「平気ってどういうこと~?」
「どうって……恥ずかしいじゃない?」
だってこれ、ほとんど抱っこの密着度だ。いや、むしろ抱っこは恥ずかしくないけど、ダンスは恥ずかしい。
「恥ずかしいと思ったことはないな~? だって、他人だよ~?」
不思議そうな顔をするラキを見て、オレはパートナーを依頼した女子たちに心からの同情を送った。
「ほらユータ、足下見なくてもできるじゃない~」
……ホントだ。おしゃべりしていたらできるかもしれない。
「じゃあ、もっと僕の足にくっつくくらいに踏み込んでみて~? 僕、ユータくらいなら支えられるから~」
オレくらいなら、は余計だ。
そんなこと言うなら、と意地になって思い切り踏み込んで足をくっつける。もはや二人三脚……じゃないね、両足ともくくりつけたようだもの。
そうなると、思い切りオレの身体は後ろへ倒れるわけで。
なんだか、戦闘時にスライディングで股の間を抜けるみたいだ。
なるほど、そう思えば簡単。
やや伏せたラキの瞳を挑むように見上げ、思い切り低い姿勢で。
「おー、なんか、格好いいんじゃね? 普通とは、ちょっと違うような気がするけど」
タクトの賞賛に気を良くして視線をやって、吹き出した。
『ゆーた、見て~! ぼくも、上手?』
何やってるの……。
見ているだけでは覚えられないと踏んだらしいタクトは、踊っても恥ずかしくない相手役を調達したらしい。白銀のサラサラヘア、水色の瞳が美しい美……獣かな?
音楽に合わせてちょこちょこ歩く足が、きちんとオレたちを真似てタクトに添えられた前足が、ぶんぶん振られたしっぽと、揺れるおしりが……もはや、全てがドラゴンブレスに匹敵する破壊力だ。
案の定、虫の息になっているエリーシャ様とマリーさんが、フロアに転がっている。
『ふふ、ダンス、楽しいね!』
「ちょ、シロ、舐めるな舐めるな!」
『だってぼく、今舐めるしかできないよ』
シロが身を乗り出し、タクトがのけ反るのも、それはそれでダンスっぽい。
「かっわいい! シロ、次は僕と踊ってよ!」
『いいよ!』
戦舞から解放されたセデス兄さんが、嬉しげに順番待ちをしている。
いいな……オレもシロと踊りたいけど、多分というか絶対オレでは支えられない。
――ユータ、ラピスも上手なの!
「きゅ!」「きゅきゅ!」「きゅっ!」
呼応するような鳴き声が周囲で弾け、オレは溜まらず声をあげて笑った。
「かわいいね~」
ラキが目を細め、オレも満面の笑みで頷いた。
「最高だよね! こんなダンスなら、何度でも歓迎なのに!」
ゆったりステップを踏むオレたちの周囲で、二匹ずつ手を取り合った管狐たちがくるくる回る。
きゅっきゅ鳴きながら、もふもふのしっぽもくるくる回る。
アリスと組んだラピスが、どうだと言わんばかりに得意げで。
『アゲハ! 俺様たちはもっと高度なダンスをするぞ!』
『あえは、上手にできる!』
本格的にステップから真似ようとするチュー助たちが、テーブルの上で。
『スオーも、できる』
『まあ……ちょっと私相手では無理があるわね』
モモを抱っこした蘇芳が、空中をくるくる回る。
『猫は、踊らない』
チャトは澄ました顔で、リズムに合わせてしっぽを振っている。
オレたちのリズムに合わせ、みんなが回る。
フロアが、一気にダンスホールになった。
止まらないオレの笑い声が、きゃらきゃらと響く。
「ダンス、楽しい! ねえラキ、ダンスって思ったより楽しいかもしれない!」
「ふふ、そうだね~。僕も、今すごく楽しいなって思ったよ~」
いろんな笑い声が響くダンスフロア。
貴族のパーティだって、こうだったらいいのに。
オレたちは次々パートナーを交代しながら、しばしダンス(?)を楽しんだのだった。
「む、り……もうむりよ……。私、液状化してしまいそうよ……」
「エリーシャ、様……。私も、もう……これ以上、は……」
――ダンスホールの一角で、二人の女性が瀕死状態になっていることなど、すっかり忘れて。