894 思い出した用件
「ねえルー、おめでとう!!」
満面の笑みで飛び込んだ漆黒の被毛。木漏れ日のまだら模様が、オレにも移って揺らめいた。
「……何がだ」
身じろぎの気配と共に、金の瞳が訝しげにオレを見る。
滑らかな毛並みを撫でながら、うっとりその瞳を見上げた。
「あのね、今日でオレ4年生になったんだよ!」
「……で? なぜ俺に祝いの言葉をかける」
「ルーも嬉しいことだからじゃない? ほら、子どもの親にもおめでとうございますって言うでしょう。そういうことだよ!」
「どういうことだ?!」
べしっと尻尾が飛んできた。
だって、我が事のように嬉しいって言うじゃない。ルーもきっとそうだと思って。
「4年生だよ! もはや最高学年と言っても過言じゃないよね! 上の学年なんて、もうほとんどいないんだよ?!」
この間まで一番下の学年だったのに! どうにもくすくす、笑いがこみ上げてくる。
『ドラゴン世代を恐れて卒業しちゃったものね』
『肩身が狭かったんだろうな……俺様、よーくわかるぜ』
そ、それはオレたちががんばってきた成果であって……何も悪いことしてないからね?!
実は王都の方にまで『ドラゴン世代』の噂が広がってしまっているとか、そこは考えまい。
そりゃあ、あんな大魔法をぶちかませば噂にもなる。
既に城の騎士隊長の間では、生徒の取り合いが始まっているとかいないとか。……騎士志望の子ってそんなにいただろうか……。
「こう、身の引き締まる思いって言うか! 下の学年のためにも、立派な先輩にならなきゃっていう責任を感じるよね!」
『そのニヤけた顔で?』
『先輩には見えないから、大丈夫と思う』
チャトも蘇芳もそんなこと言わない! 引き締まってるの! 心は!! あと、さすがにオレだって顔を知られ始めて、1年生と間違われることは大分……大分減ったんだから!!
「4年生の間にCランクになるっていう目標も立てたし、年間計画もばっちり。もう既に着々と目標達成していってるんだよ?」
そう、それが褒め会や打ち上げだったとしても、目標達成には違いない。
何も詳細を話していないのに、ルーが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「せいぜい、やらかさずに過ごすことだ」
「やらかしって何?! 最近は何も――そもそも、別にやらかしてなんていないんじゃない?!」
そうだよ、結果的に役に立ったり、問題なかったりすることばっかりなんだから! 物事は悪い方にじゃなく、良い方に見るべきだよ。オレは色々なことを経験して、貢献した――そういうことだ!
「そう考えれば天使教だって、既に多くの人の心を……きっと救ってるかもしれないし!!」
『ついに開き直ったのね』
ふよよん、と揺れたモモの柔らかな感触が頬に心地良い。褒められては、いない気がするけれど。
「そうだ、天使教と言えばハイカリクにも教会を作る話が出て――」
そこまで話して、おや、と小首を傾げる。それで、どうなったんだっけ……その話。
そしてポンと手を打ったオレは、慌ててルーにいとまを告げたのだった。
――よし、今は来訪者がいないよう。
「ねえカロルス様! ……うん?」
部屋に飛び込むと、大柄な背中がビクッと跳ねた。
「……驚かせんじゃねえよ」
とても違和感がある。振り返るカロルス様の眠そうな顔はともかく。
扉を開けたら、机に座った人と視線が合うのが普通だと思っていたんだけど。
「あの、どうして後ろ向きになったの?」
「いいアイディアだろ? これなら突然誰かが入ってきても、バレねえだろ!」
得意げな顔を、思わず無言で見上げてしまう。一体何がバレたくないのか、言うに及ばず。
自分で机の向きを変えたんだ……小学生?
「……執事さんに怒られるよ?」
「なんでだよ?! 部屋の模様替えをしただけだろ!」
大あくびしながら伸びをして、いかにも長時間机に向かっていたような仕草で肩を叩いた。多分、何も仕事はしていないけど。
「まあいいや! それよりカロルス様、前に言ってたよね? ハイカリクに天使教の教会を建てようかって」
後で執事さんかエリーシャ様に怒られればよろしい。オレはオレの目的を果たすのみだ。
「ああ、向こうの領主には二つ返事どころか、資金提供まで申し出られたって言ってたな」
「じゃあ、もう取りかかってる? 天使像は?!」
勢い込んで身を乗り出すと、カロルス様が不思議そうな顔をする。
「別に急ぎやしねえからな。今は場所の選定くらいじゃねえか? 天使像はお前が造るんじゃねえのか? なんだよ、急に乗り気になったのか?」
「の、乗り気にはなってないけど……! ラキが天使像を造ってくれるって言ってて! 頼んでもいい?」
「いいぞ。報酬の相談はグレイに言えよ?」
つんのめるほど簡単に許可が出た。だけど、カロルス様に決定権が実際あるのかどうか怪しい所だ。
「そうか……カロルス様に聞いてもダメだよね! 執事さんに聞かなきゃいけなかった!」
「おい」
オレは慌てて部屋を飛び出すと、きょろきょろしながら廊下を走った。
執事さんって、なぜかいつも気配を消しているから、見つけにくいんだよね。マリーさんなら簡単に見つかるのに。
「あ、ユータ。さっそく来てくれたってわけ?」
階段を上ってきたセデス兄さんが、そんなことを言ってオレを抱き上げた。
「何のこと? さっそくって?」
「あれ? 聞いてない? 僕たちで視察に行くって話」
聞いてない! し、視察だなんて大層な言葉、オレとは無縁な気がするけれど。
「視察って言っても、ただのパーティだよ。あ、逆だったかな? パーティのついでに視察してこいってことだっけ? 招待を受けちゃったしね、まあ一回くらいは顔を出しておこうってこと。僕も行きたくないからずっと断ってたんだけど、ユータとならいいかなと思って」
そう言われると、なんだか嬉しいもので。だけどそこにオレの意思は?!
「それ、お貴族様のパーティってやつなんじゃ……」
尻込みするオレに、セデス兄さんがにっこり笑う。
「ごく内輪の小さいやつだよ。家格も高くないし、何よりユータは幼児に見えるからお得だよね」
オレ、間違いなく幼児ですけど。4年生にはなったけど、それでも幼児ではある。
「ユータも僕と一緒の方がいいよね? いずれ社交界には出るだろうし、練習は必要じゃない?」
「オレ、そんな世界に出るつもりは……」
「そういうわけにもいかないからね?」
うっ……セデス兄さんからエリーシャ様の気配を感じる。さすが、貴族学校でみっちり教わってきただけある。普段どんなにポンコツでも、貴族としての教育はバッチリなんだろう。
「後々一人で参加する方がいいか、僕と一緒に徐々に慣れるか、どっちかだね」
二択?! 二択なの?!
「ええ?! どっちかしか選べないなら、そりゃあセデス兄さんと一緒がいいよ!」
「じゃあ、決まり!」
王子様フェイスがキラキラした笑みを浮かべて輝いた。
着飾ったら、さぞや女性に人気が出るだろうな。そう思ったところで首を傾げる。
「パーティって、男女のペアで行くんじゃないの?」
別に恋人とは限らないけれど、招待された人は異性の家族や友人を連れていくことが通常な気がする。
オレならエリーシャ様だろうけど、セデス兄さんの年なら友人か恋人だろう。
なぜって、パーティと言えばダンスがあって――
「あっ! ダンス! オレ、ダンス踊れないよ?!」
「うん。だから、練習に来たんでしょ? 一緒に練習しようね~!」
微笑むセデス兄さんは、決して逃すまいとガッチリオレを抱えていたのだった。