892 目標設定
「「「かんぱーい!!」」」
木製のジョッキが、コココン! と小気味よい音をたてて飛沫を飛ばす。
傾けたジョッキから、冷えた液体が口内へ滑り込んだ。
喉に感じる、細かく滑らかな泡。舌を騒がせるショワワ、と賑やかな感触。
微々炭酸、とでも言えばいいだろうか。だけど、昔々に飲んでいたものより、ずっと柔らかく優しい。
「うおぉ! 喉が、喉が!」
「何これ、口がビリビリする~!」
立ち上る泡で炭酸と察知したオレとは違い、不慣れな二人が悶絶している。
「おや? 一番ちびっ子が一番平気とは驚いたね! ビアみたいで楽しいだろう? お酒じゃないから安心しといで!」
前菜を持ってきたキルフェさんが、大きな口で笑って、オレたちを撫でていった。
「慣れると美味しいね~!」
「酒じゃねえのか……なんでお前は平気なんだ?!」
「だってオレ、飲んだことあるもの」
そして、昔々よりもずっと最近、もっと激しいのを飲んだ。
エルベル様と一緒に楽しんだ、パチィード。あれは凄かったけれど、こういう炭酸なら歓迎だ。
ゆっくり含んだ口の中、わずかにぴりりと感じる刺激。
こくり、喉を通した爽快感。
乾杯ならこれだ、とキルフェさんたちが選んでくれただけある。
そう、『色んな冒険の打ち上げ』兼『祝・4年生』の会。4年生になるのはまだ数日先だけど、前祝いでいいだろう。だって、オレたちが待ちきれなかったんだもの。
さっそく鍋底亭で打ち上げの相談をすると、なんと貸し切りにしてくれた。
『鍋底亭が復活したのはユータくんのおかげだからね』だって……!!
今や大人気レストランとなった鍋底亭だから、なんとも贅沢なことだ。
オレたちはちびちび炭酸を楽しみながら、美しく飾られた前菜へ手を伸ばした。
ひとくち大にまとめられた、様々な形状の芸術品。
これ、何だろう? チーズかな? こっちはもしかしてお魚? わ、これ果物だ!
自分が作っていない料理は、ひと目見た時からわくわくが止まらない。
手を伸ばす時から、ドキドキが止まらない。
口へ入れる度に、驚きが止まらない。
「すごい……全部美味しい……!!」
ビックリするような組み合わせも、定番だと思った組み合わせも、どれにだって驚きがある。
「おやおや? まだ前菜なのに随分な顔してるじゃないか」
からかうようにオレの頬をつつき、キルフェさんは次々大皿料理を運んでくる。
打ち上げだからね! コース料理というよりもドン、ドン、ドン! とテーブルいっぱいのご馳走を。
だってそれが冒険者って感じじゃない?
「うわあ……!」
「すっげえ……!!」
「これは想像以上~!」
プロによる渾身のおもてなし。
もはや暴力的な視界に、オレたちは会話も忘れて貪ったのだった。
「……あれ?」
オレがお腹と押し問答していた時、ふいにタクトが不思議そうな声を上げた。
「どうかした~?」
ペースが落ちているラキも、小首を傾げてタクトへ視線をやった。
「気のせい……じゃねえよな。なんか、俺、治ったかも」
食べれば治るなんて、そんなどこぞの漫画のようなこと……とぬるい笑みが浮かぶ。
「なんかさ、こう、チグハグだったもんがバチッて合ったような? そんな感じがすんだよ!」
「お腹が満たされたから、そんな気がするんじゃない~? 外出禁止令は継続だからね~」
完全に『もう風邪治ったもん!』の幼児扱いに、タクトがフォークを突きつけて憤慨する。
「違うわ! 本当~~に治ってんの! むしろ、調子良い!!」
ふうん、と受け流すオレたちに地団駄踏みそうになった時、プレリィさんがやってきた。
「ふふ、よく効いたようで良かったよ。タクト君は若いし、回復能力が高すぎたね」
エプロンを解いて粗方片付いたテーブルに目を細め、タクトへ視線をやった。
「どういうこと? お薬が入ってたの?」
「そうなのか? どうりで! 俺、こんな美味い薬ならいくらでも食う!」
言いながら、テーブルに残ったものを一掃すべく忙しそうだ。
「薬ではないんだけど……身体の調子を整えるようなものをたくさん使ってるんだよ」
ふんわり浮かべた笑みは、大人よりもずっと老成した風格を感じる。
「もしかして薬膳料理みたいなもの? オレも知りたい!」
「ヤクゼン料理? それは何? 僕も知りたいな?!」
オレたちは、ガッシリ手を握り合った。
ここに契約は成立だ。
「じゃあ、ユータくんはまずはどこから知りたい? 考え方の基本からいく?」
「うん! 基礎の基礎から! プレリィさんのお料理を聞いてから、薬膳との違いを比較する方が伝えやすいと――」
意気揚々とキッチンへ向かおうとしたオレたちの肩に、それぞれ手が掛かった。
「それは客! サービス提供してもらってどうするんだい」
「とりあえず、料理を教え合うのはまたの機会にしてくれる~?」
呆れた二人の声で、そう言えば今、打ち上げの場だったと思い出したのだった。
「ふ~ん? 回復能力が高くても不調になるんだ~?」
「そうなのかな? 身体回復の勢いが強くて、魔力とのバランスが取れなくなったって感じ?」
「なんか分かんねえけどさ、とりあえず身体のバランスが悪いのを、食って治したってことだろ!」
まあ、魔力を感じるわけでもないタクトの感覚としては、そうなんだろう。
「今回は仕方ないところもあるんだけど、やっぱり、無理すると良くないんじゃない?」
「打ち上げ反省会だね~? タクトって割と鍛錬でも死にかけることあるもんね~」
「それは俺のせいじゃなくねえ?! ラピスが……!!」
――甘いの。鍛錬は死の一歩先にあるの!
それはもう、死んじゃってるね。
できれば、手前で踏みとどまってほしい。
相変わらずな鬼軍曹にも困ったものだ。だからこそ、タクトはレベルアップしてもいるのだけど。
「もういいじゃねえか! 反省はまた今度! 他のこと話そうぜ!」
「他って……そうか、目標たてるんじゃなかった?」
「それで言うと、もうひとつ達成できちゃったよね~? コレが目標だったとしたらだけど~」
くすくす笑うラキに、小首を傾げてから思い出した。
そうか、鍋底亭で『祝・4年生』の宴会をすること! すごいな、4年生になる手前で達成してしまった。
「じゃ、次の打ち上げ……じゃなかった、目標はなんだ?」
「うーん、依頼を終えるたびに打ち上げすること、とか?!」
「なんか、僕が知ってる目標と違うんだよね~。だけど、いいと思う~」
なぜか『微笑ましいものを見るような目』で見られている気がする。
「なら、二日に一回肉を食うこと! はどうだ?!」
「そんなの既に達成してるじゃない~」
「タクト、毎日食べてない?」
それはむしろ二日に一回に制限するってことだろうか。
「じゃあ、一日二回は肉を――」
「「却下」」
一体何の修行だろうか。
オレ、そんなに肉ばっかりじゃなくていい。もっとバリエーションがほしい。
『もう少し、成長に関することを目標にしたらどうかしら』
ふよん、と飛んでオレの頭に乗ったモモが、そう言って伸び縮みした。
『そうだぜ主! 目標ってのは、芽が正しく伸びるための美味しいシチューなんだぜ?』
渋いポーズを決めたチュー助だけど、それ多分支柱だね。
いいこと言ってるだけに惜しい。誰の受け売りなんだろうか。
「なるほどね……でもどんなのがあるかな」
「Cランク目標があるからいいんじゃねえの?」
「確かにCランクはまともな目標って感じ~」
他のはまともじゃないってこと?!
「芽が正しく伸びるため……じゃあ、打ち上げの時、お互い良かった所を褒めるのは?」
だってオレ、褒められて伸びるタイプだと思うし! いっぱい褒められたいし!
「なんだそりゃ。……けど賛成! 俺責められるより褒められてえ~!」
「それって成長に関することなの~? でも、そうだね~。『希望の光』っぽくていいんじゃない~?」
いいと思うなら、そんなに笑わなくてもいいんじゃないかな。
オレたちはさっそく目標を達成すべく、褒め会を始めたのだった。