891 学校という名の日常
互いに握りあった右手が、徐々に、徐々に傾いていく。
「ぐうぅ~~!!」
もう少し……! うなり声をあげて歯を食いしばる彼が、向かい合った相手の腕を完全に押し倒す、寸前。
相手は、にやっと笑みを浮かべた。
「おらっ!」
「うわぁ?!」
身体ごとひっくり返る勢いで一気に形勢逆転し、クラスメイトが完敗した。
「なんだよー、タクト全然弱ってねえじゃん」
腕相撲に負けた彼が、不服そうに腕をさすっている。
「めちゃくちゃ弱ってるわ! ただ、お前には負けねえってだけだろ!」
「どういう意味だよ! 俺だって身体強化できんだけど?!」
……これで全戦全勝だね。杖歩行のくせに、全然弱くないじゃない。
今なら勝てる! と勢い込んだクラスメイトたちだったけど、思惑が外れたらしい。
「なんか全身のバランスが取れねえんだけど、割と力は戻って来てんじゃねえ? 何つうか、普通に生活する分には」
拳を握って開いて、そう言いつつ渋い顔だ。どうせ、討伐に行けないとか考えているんだろうな。
オレは最近戦闘やらシビアな状況続きだったので……今は、こののどかな空間が心地良い。
学校、楽しいじゃない。
平和で、すごくいい。
これも、もしかして『特別な日常』を経験したせいなのかも。
「ユータ、久しぶりだよな~! お前、普段ギルドでも見ないけど、何してんの? 引きこもり?」
「あんまり来ないから、どこかでペットにでもなってるんじゃないかと思った~」
ふくふくしたオレの笑みが、ぴしりと凍り付く。
「どうして?! オレ、めちゃくちゃ頑張ってたよ?! 死線を何度もくぐる大冒険をくりひろげて来たんだけど!」
言うに事欠いてペットってどういうことなの?!
「あ、そうなの? けどお前、いつでものほほんと寝起きみたいだからさあ」
「ほっぺが前にも増してつやぷにしてる気がして~」
理不尽! ほっぺがぷにぷにしていたって、死線はくぐれるんだよ?!
『そうよねえ、いっつも寝起きみたいな幸せ顔してるものね』
『主、見事なぽんこつ顔ってヤツだぜ!』
『あうじ、最高のぽんこちゅなんらぜ!』
「どうしてだろうね~? 相当な経験してきているはずなんだけど~全然見た目に現れないよね~」
ふふっと笑って、ラキまでオレの頬をつまむ。
「見た目に現れるってどういうこと? ラキとタクトだってそうだよね? 別に、何も変わってないでしょう」
小首を傾げると、ラキも同じように小首を傾げた。
「そう~?」
にこっと浮かべた笑みに、スッと何か……一瞬、こう、鋭利なものがよぎったのを感じる。
ごくり、と誰かの喉が鳴った。
「変わってないなら、それはそれでいいことだよね~」
にこにこしている割に、何かに押さえつけられるような圧迫感がある。
こくこく頷くクラスメイトが、左右からオレをつついた。
「オレだって……オレだって真面目に戦闘してるときは迫力がある……と思うよ!」
だって、害意もないのに殺気とかさ……そういうの、難しいよ?! タクトだって、ラキほど上手くない。実際害意がある相手にしか殺気を向けられないと思う。
「まあ、ユータはそれでいいと思うけどね~。そういう部分は、僕たちが担当でもいいんじゃない~?」
冷えて重い空気が、ふわっと軽くなった。
本当に自由にコントロールしているんだな……。
「そういうこと! オレの苦手分野は、二人がカバーしてくれてるから!」
ふふんと腕組みすると、頭と言わず顔と言わず、撫でくり回された。
「お前はそのままでいろ~~!」
「うんうん、そうだな、俺らが悪かった! お前がああなったら俺が泣く!」
そして、『どういう意味かな~?』と笑みを浮かべたラキのせいで、彼らはまたぴしりと固まったのだった。
「――は~~、やっぱ家(寮)はいいよな」
部屋に戻った途端、良い笑顔でゴロゴロするタクトに苦笑する。
「無理しなくていいのに。必要なテストと授業だけ受ければ?」
「そんなもん、ギルド行って町中依頼だけ受けるようなもんじゃねえか!」
よく分からないたとえだけど、タクト的にそっちの方がいいなら止めはしない。
オレたちは、早々に音を上げたタクトの懇願で、寮に戻ってきている。
「ロクサレンでお世話されていればいいのに~」
「お前っ! もしお前がこうなっても、絶対寮に戻らねえからな!」
指を突きつけて怒るタクトだけど、つまりはそういうことだ。
お世話したいメイドさんズ+エリーシャ様VSお世話されたくないタクトのバトルが一日中繰り広げられていたもので。
「もう動けるってのに! なんで俺軟禁されんだよ!」
「だって、放っておくとすぐ鍛錬しようとするし~。下手するとこっそり外に行きそうだったじゃない~」
「行ってもいいだろ別に?!」
おかげで回復が早かったと思えば、それはそれで過保護攻撃も良かったんじゃないだろうか。
「だけどタクト、こっちに戻ってきたからって、外へは行けないよ?」
「えっ……?」
虚を突かれたような顔をするけれど、当たり前だからね?!
たとえ杖歩行で爆走できようが、本調子になるまでは療養すべき、でしょう。
「町の外は当然禁止! しばらくは町中くらいかな?」
「町中だって危険だろ?! 近くの街道ならほとんど魔物も出ねえけど、町中だったらチンピラとか出てくんだぞ?!」
「それで言うと~、町中も禁止になるだけだよね~?」
しまった、と口を塞いだタクトが、恨めしそうな顔で不貞腐れた。
あんな攻撃力を誇る彼が、恐ろしい力を秘めた少年が、への字口でむくれている。
まるで、台風で外出禁止令が出た子どものよう。
思わず吹き出して、タクトの機嫌を直す方法について考えを巡らせた。
「……そうだ、じゃあさ、明日は打ち上げしない?」
「打ち上げ~? 4年生の前祝い~?」
タクトの背中が、ぴくりと反応した。
「そっか、もうすぐだもんね、それもいいね! じゃあ、まとめて祝い! 今回、みんな無事に救出できた打ち上げだよ!」
だって、思わぬ救出作戦だったけど、大成功でしょう!
「うん、そうだね~! 成功には、祝いが必要だよね~!」
「美味い飯、だよな?!」
勢いよく振り返り、きらきらした瞳がこちらを向いた。
「もちろん! どうする? どこかでパーティしてもいいし、鍋底亭でもいいし」
「打ち上げなら、鍋底亭にしようぜ! 報酬もたっぷりあるだろ?」
「僕も鍋底亭がいいかな~。だって、3人の打ち上げ、だもんね~」
打ち上げなら、鍋底亭がいいの? 少々不思議に思って首を傾げると、二人がオレに笑みを向けた。
「お前の飯は美味いんだけどさ、打ち上げなら一緒に座ってやろうぜ!」
「そうそう~。僕らが手伝えることって限られるし~」
思わぬセリフに目を瞬いた。
そんなこと、気にしていたの?
オレがそれを気にしないことなんて、二人だって分かってるだろうに。
「俺らが、揃って座りてえの! お前のためって言ってんじゃねえの!」
「そういうこと~。だって、料理が来るまでの間だって、打ち上げでしょ~?」
そうか。つまみを片手に、まずは乾杯。
料理が来るまでに、成功した依頼について語り合うんだ。
振り返って、良かったこと、悪かったこと、きっと、そういうことが整理されていく。
おや? そしたら、失敗した依頼にこそ、打ち上げが必要かもしれない。
「そっか! じゃあ、明日は一日中、鍋底亭で打ち上げしよう!」
美味しい料理、穏やかな空間、楽しい話。
既に、未来の自分たちの姿が見える気がして、オレは満面の笑みを浮かべたのだった。
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