889 回復までの時間
「――大丈夫?」
「……全然。つうか腹減った」
やっぱりまだダメか。
横たえられたままの姿勢から微動だにしていないところを見るに、動けもしないんだろうな。
「そんな頻繁に聞いたって無理でしょ~。明日か明後日くらいにはちょっと動けるんじゃない~?」
苦笑したラキが、プリメラから顔を上げた。そんなにかかるのか……やっぱり魔法とはちょっと違うから負担も格別なのかも。
「え……? 俺何日もこのまま?!」
普段元気なだけに、本人が一番焦っていそうだ。
オレの側にいる方が回復が早いだろうと思って、今回は3人同じ部屋にしてもらった。
そろそろ商人さんたちも館にそろう頃だろうか。
オレが作らなくても美味しい料理が出てくる。やっぱりロクサレンは最高だ。
『そうかしら。そのうちお呼びがかかりそうな気がするわ』
『俺様、割とロクサレンでも主が作ってる気がする!』
……オレもそんな気がする。
ふいに、タクトが焦り声をあげた。
「やべえ……ユータ、どうしよう?! このままじゃマズイ!」
結構話せるようになってきたから、案外回復は早いかもな、と思いつつ覗き込む。
「何がマズいの?」
重たげにまぶたを持ち上げたタクトが、声だけは大いに動揺しつつオレを見上げた。
「飯! 俺どうやって食うの?! 腹減ったんだけど!!」
「ああ……じゃあ、栄養ドリンクみたいなものに――」
「い、嫌だっ!! 絶対嫌だー!! 飯! 肉! 食う!!」
……半泣きになったタクトが、焦りのあまり赤ちゃんみたいになっている。
その時、バンっと部屋の扉が開いた。
「お任せあれっ! そんな時のためのメイドです!!」
「遠慮しなくていいのっ! こういう時こそ母を頼りなさい? 3人まとめて面倒みてあげるわっ!」
らんらんと目を光らせた二人が、鼻息も荒く佇んでいる。
「抱っこして『あーん』ね?! んふ、んふふふ……」
「さ、ささ、遠慮はいりません。さあさあさあ、こちらへ……」
笑みを浮かべながらにじり寄って来る二人に、思わずオレとラキが後ずさる。逃げられないタクトが必死に目線でオレに助けを求めていた。
「え~と、僕はひとまずお手伝いは結構です~。ちゃんと自分で食べられるので~」
「オレだって! オレだってこんなに元気!!」
二人して元気アピールをしたところで、彼女たちの視線がタクトへ集中した。
「お、俺……俺だって! 俺だって……!!」
タクトは、無理でしょう。もう、諦めて生贄になったらどう?
口ごもったタクトが、ハッとオレたちの方を向いた。
「お、俺! ユータたちの方がいいですの! 恥ずかしいですわ! 友達に食わせてもらうですわ!」
パニックのあまり、割と矯正できたはずのお嬢様敬語が出ている。
エリーシャ様たちが、ぴたりと足を止めた。
「まあまあ、そんな遠慮しなくていいの。恥ずかしいことなんてないわ。母親が子どもに『あーん』するなんてごく自然なことよ? ……でも」
「そうです、メイドに遠慮なんておかしな話ですよ? ……ええ、でも」
思案するように顔を見合わせた二人が、頷き合った。
「それもいいわねっ?!」
「それはそれで尊き宗教画!!」
何かが琴線に触れたらしい。まあ、二人の琴は割と鳴りっぱなしだと思うけれど。
「じゃあ、下でセッティングしなきゃ!」
「そうですね! こう、大きなクッションを敷き詰めて……薄手のカーテンで周囲を……あとは、花よりも緑の方が……」
一体、二人は何をするつもりなのか。
マリーさんの中で宗教画は一体どんな位置づけなんだろう。
「…………こ、これで良かったのか……? いや、でも選択肢が……背に腹は……」
嵐のように過ぎ去っていった二人を見送り、オレたちは何やら苦渋の表情でぶつぶつ葛藤しているタクトをのぞき込んだ。
「ふふ、甘えん坊さん。僕らに食べさせてもらいたかったんだね~?」
「ち、ちがっ……!! やっぱお前を入れんじゃなかった! ユータ、ユータだ! ユータならまだイケる!」
ぷに、とラキに頬をつつかれ、タクトが歯噛みしている。
「いいよ? オレ、カロルス様に『あーん』したりするから」
「だからっ、『あーん』とか言うな! ……ってカロルス様? カロルス様に??」
「うん、お仕事してるときとか、お菓子作ってる時のつまみ食いとか、よくやるよ」
途端にタクトの表情が緩んだ。
「そうか、カロルス様がやってんなら大丈夫。それも、カッコいい」
「さすがにカッコよくはないんじゃない~?」
カッコいいかどうかは分からないけど、ルーにだってやるし、食べさせる側としては楽しい。
タクトにごはんを食べさせるのだって、中々楽しそうだ。
夕食だと聞いて駆けつけると、普段のテーブルが片付けられ、パジャマパーティの時のようにローテーブルが配置されていた。
「ねえ、これは何のコーナーなわけ?」
そして、困惑するセデス兄さんの視線の先には、大量の白いクッションが山となっていた。
周囲には無駄にひだをつくった布が張り巡らされ、涼やかな植物が絡んでいる。あまつさえ、白い花弁が散らされている気がするのだけど。
「……フォトスポット?」
だって、ライティングまで計算されている気がする。
「どうです? テーマは『雲間で戯れる天使たち』です!!」
「3人の衣装は、これね! すぐに着替えられるから!」
マリーさんに抱えられて真っ赤な顔をしていたタクトが、今度は死にそうな顔でオレたちを見ている。
「着替えないよ?! ごはん食べるだけだからね?!」
「でも、汚れるかもしれないでしょう?」
「いわば食事着! そういうのもいいと思うのです!」
今、冒険者衣装だから! 汚れなんて全然、全然気にならないよ!!
「むしろ、そんな真っ白な衣装の方が汚れると思う~」
ぼそりと呟いたラキに、二人がハッとした。
「盲点だったわ!!」
「くっ……仕方ありません……! 今回は負けを認めましょう……」
そっとクッションの山にもたせかけられ、何とか体を安定させたタクトが、さっそく視線を彷徨わせている。
「待ってて、持って来るから」
いそいそお盆に載せた食事を運んでくると、タクトの目が輝いた。
今日の食事は、ロクサレンにしては控えめ。オレたちの体を労わってのことだろう。
柔らかく煮たブルのお肉と根菜、とろとろ野菜のミネストローネ風。あとはオレのリクエスト、卵粥。
「まずは、お粥からね。お腹は空いてるだろうけど、食べられるか分からないから」
肉しか見てないタクトの視線を裏切って、オレはお粥をかき混ぜた。
「食えるって……!」
まあまあ、お肉は逃げやしないから。
ふうふう、よく冷ましたひとくちを、大きく開けた口の中へ差し入れる。
ぱく、ごくり。
「ちょ、ちょっと! ちゃんと噛んで!」
「だって腹減ってんだよ! 粥なんて噛まなくてもいいだろ」
ふうふうしている暇がない! 慌てて魔法でお粥を冷ますと、オレのスプーンはせっせと器とタクトの口を往復した。
「鳥みたい~。ねえ、僕もやりたい~」
「楽しそうにすんじゃねえ! エサやり体験じゃねえんだよ!」
まさにそんな気分で楽しんでいたんだけど。
器の半分ほど食べたけれど、むせもしないし吐き戻すこともないし、ひとまず大丈夫かな。
「いい。いいわ! 慈愛に満ちた表情! 空間に光が満ちるようよ!」
「ほんのり照れを感じる初々しさがよろしいですね! まさに、天使の戯れ!」
まあ、外野が騒がしいのは慣れたもの。タクトも今それどころではないようだし。
「おい、そのまんまでいい! ガツッと食わせてくれよ!」
「ええ……さすがに入らないよ」
拳ほどもありそうな肉の塊を崩していたら、タクトがもどかしそうな顔をする。
「少ねえ、足りねえ!」
オレの一口サイズに合わせて口へ入れたら、とても切なそう。そんなこと言われても……。段々とほぐす量を増やしてみたけれど、どれだけ盛って差し出しても、その口はばくりとくわえ込んでしまう。
それにしても、よく食べる。いつも、こんな風にもりもり食べていたのか。
肉、肉、と言うのでひたすら肉を運び、待ちきれないタクトが視線でオレを催促する。
「……あ? おお、ちょっと動く」
肉に釣られてぐっと持ち上がった首に、タクトの方が驚いた顔をした。
「ホントだ。この調子だと回復も早そうだね」
「でも、腕が全然動かねえ」
じゃあ、しばらくは『あーん』生活かもね。くすくす笑ったところで、オレのお腹が鳴った。
「あ、オレ自分が食べるの忘れてる!」
「悪ぃ、俺ばっか食ってた」
申し訳なさそうなタクトだけど、そう言いつつ雛鳥のように口を開けるのは止まらない。
「じゃ、交代しようか~。僕、一通り食べたから~」
「……えっ」
妙にいい笑顔のラキが、耳と尻尾を垂らしたタクトに寄り添った。
「じゃあ、お願い!」
「……えっ?! ゆ、ユータ?!」
縋る視線を見なかったことにして、オレもお肉を頬張る。
「お肉がいいの~? はい、『あーん』――と思ったけど僕が食べちゃお~」
今にもタクトの口に入ろうとしたお肉が、急旋回してラキの口へ放り込まれた。
「…………」
タクトの無言の視線が痛い気がするけれど、オレは自分のお腹を満たすのに忙しいので。
――まだまだかかると思われたタクトの回復だったけれど、なんとも意外なことに翌日の昼には手を動かせるまでに回復したのだった。