887 頑張ってみる
為す術なくどんぶら波に弄ばれるうち、注ぎ込まれる水が対流し、中央で渦を巻き始めた。つまり、中央の祭壇付近に戻ってきたってことだ。天井付近にはお日様ライトがさんさんと輝いて黒い水がせり上がってくる様を照らしている。
商人さんたちも、さぞかし不安だろう。せめて、早く合流して――
「ぅおえ……ユータ、ちょっとこれ止めて……なあ、俺外に出る……」
「こんな緊迫した状況でも酔うんだ~。あ、こっち向かないでよ~?!」
……悲壮感がどうとか、言ってなかったっけ? 遠足のバスみたいな会話に気が抜けて、じとりと二人へ視線をやった。
「もう……真剣に考えてるのに! 絶対絶命なんだよ?!」
タクトの口にムゥちゃんの葉っぱを突っ込んで、回復を施しておく。
「俺だって真剣に苦しんでるからな?!」
へばっていたタクトが、涙目で指を突きつけた。
絶対絶命のピンチでも、やっぱり酔うんだろうか。
『そんな軽い絶体絶命、聞いたことな……ううん、あなたからしか聞いたことないわ』
何かが上から落ちてきて、ぱふんとオレの腕の中に収まった。
「モモ! じゃあ商人さんたちもここに……! 何か、みんなが乗れるものを作らなきゃ!」
土壁を見上げると、気付いた商人さんたちも次々崖っぷちに姿を現わし始める。
「乗るもの? 今から作れるわけないだろう?!」
「もしかして、このシールド内に全員入ることはできないの?!」
ドースさんたちが焦りの表情を浮かべ、縋るようにオレを見た。
「もちろん、シールド内に全員入ってもらうよ! だけど、濡れちゃうでしょう、お尻が!」
一旦シールドを解除したら、どうしたって水は中に入っちゃうと思う。厳しい顔をしたオレに、二人が一瞬無表情になって。
……どうしてオレが怒られるわけ?
ちょっぴり納得いかない思いをしながら、全員乗り込んだことを確認する。
『ぼくの車、お船にもなるね!』
シロは嬉しそうだけど、シロ車自体はかなり重量級だし、浮くほどの浮力がないと思うよ。シールド職人モモのなせる技だ。
「後でメンテナンスするのが大変~」
ラキがとても不服そうだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。
オレたちはシロ車(大)と通常シロ車、そしてソリバージョンになんとか全員乗り込んでシールドに包まれている。
「しかし……船があったところで、出口がないぞ!」
「いいや、この高さまで海面があるとは限らない! 水没までに止まる可能性もある!」
フシャさんが必死に訴えるけれど、商人さんたちの顔色は悪い。
水は既に、オレたちがテントを張っていた場所を越えた。
天井は、まだ高い。
だけど、もはや天井の低かった場所は水没している。
水位の上昇速度は緩むどころか、むしろ早くなってきた。
やきもきしながら待っていると、ぽんっとラピスとチュー助偵察班が帰ってきた。
――大丈夫なの、ここは山みたいになってるの!
『大丈夫じゃないぜ主ぃ! けっこう山!』
どっち?! 大丈夫なの、大丈夫じゃないの?!
だけど、大丈夫じゃなくても……もうやるしかないかも。
オレたちは視線を交わして、頷き合った。
おそらくここ、生け贄の間……その祭壇上が最も天井が高いのだろう。他を埋め尽くした水が、すさまじい勢いで水位を押し上げ始めた。
「うわああ、水が、水が!」
商人さんたちが、パニックになりはじめる。
息苦しい閉塞感は、一気に狭まり始めた空間のせいだろうか。
「せっかく……助かると思ったのに」
「溺死するくらいなら、いっそ」
思い詰めた顔に浮かぶのは、正しく悲壮感。あるいは絶望だろうか。
「待ってよ?! 頑張ってみるから!」
諦めるのが早すぎる!
絶望と恐怖で正気を失いかけていた彼らが、ハッとオレたちを見た。
静かに集中するラキと、剣を抜いたタクト。そして、にっこり微笑むオレを。
「がんばる……?」
まるで魂が抜けたように呆ける彼らに、大きく頷いてみせる。
「そう。だから、見ていて」
フシャさんが、気付いたように目を見開いた。
「まさか、本当に岩盤を……?」
にやりと笑う、オレたち。
もたらされたのは、いい知らせと悪い知らせ、両方だったけれど。
山だって、なんとかなるかもしれないでしょう!
「そろそろ……!」
ラキに視線をやって、息を呑む。
……すごいな。
多分、大魔法を経験したからだろう。無意識なんだろうか……周囲の魔素を使っている。
細く細く、蜘蛛の糸のように儚い魔力で。ラキだから成し得る、繊細で緻密なコントロールで。
周囲の魔素を絡めて集めて――引き絞る!
思わず、目を閉じた。
一気に収束した魔素が、魔力が、白熱した小さな球となってそこにある。危険だと、本能が警鐘を鳴らすほどのエネルギー。
魔力って、こんなにも凝縮できるものなのか。
「……そうやんのか」
じっと見つめていたタクトが、小さく呟いた。
――ここなの! ここが一番マシなの!
外のラピス部隊と感覚を通じたラピスが、的を定める。
「ラキ、ライトの左横!」
光量を落としたおひさまライトを配置して、ラキを振り仰ぐ。
オレの方を見ないまま、集中しきった『無』の瞳で、ラキはゆっくり天井へ狙いをつけた。
「――高めて……貫け!!」
ずっと唱えていた詠唱が、高まり尖り続けていた魔力が、ようやっと解放された。
――ド……ッ!
破壊音は、エコーがかかったように聞こえた。
ライトに照らされ、見えた天井に描かれた、黒い円。
フッと崩れ落ちるラキを、タクトが難なくキャッチして横たえる。
「……ちょっと……立て、ない……かも~」
すごいな……全力を一撃に込める、なんて普通……できない
「うえ、すげえ~! 空いたんじゃねえ? てっぺんまでっ!」
言いながらシールドの外へ飛び出したタクトが、水中に広げたモモシールドの上で剣を構えた。
「行くぜ、エビビ! 見ろよ、水なら使い放題だ!」
にやっと笑った顔は、こんな時でもやっぱり楽しそうで。
水に浸した剣から、びりりとタクトの『力』が伝わっていく。
水そのものを操る海人の技。
そして……周囲の魔素を引き寄せる、それは。
「ナギさん直伝! あと、見よう見まねカロルス様!! ……と、ラキ」
水が、タクトを歓迎するように沸き立った。
……二人にとって、大魔法の影響がここまでとは思わなかった。
力ある水が、その剣に。
乱れ舞う魔素が、その剣に。
ねえ、これはもう剣技だよ。
細く長い呼吸が、止まった。
「――潮槍貫流!」
ぶん、と一瞬翻った剣が、水が、真っ直ぐ天井へ突き立った。
ラキとは違った、凄まじい破壊音。
大量の岩石が降り注ぎ、水面とシールドを打ちつける。
「チャト!!」
『濡れるのは、ごめんだからな』
すかさず飛び立った大きな獣が、小さく呟いた。
ズガンッ! ズガン!
耳をつんざくような轟音と、閃光。
ああ……、と誰かが吐息のような声を漏らす。
はたして、もう目前に迫っていた天井は、再び大きく後退していた。
「もういっちょぉお!!」
再度立ち上がった水柱が、ドリルのようにラキの穿った穴を広げていく。
追随する雷は一気に水分を蒸発させ、まるで発破のよう。
もう一度……! もう一度!!
水と、雷の共闘でガラガラ崩れてゆく天井とは裏腹に、シールドに守られた人たちの瞳に光が灯り始める。
ふいによろめいたタクトが、ぐっと体勢を立て直した。
「大丈夫?!」
「全然! 血ぃ吐きそう!」
無理しすぎ?! いや、しすぎも何も無理しなきゃ死んじゃうんだけど!
「戻って! 今すぐ回復はできないからね!」
――と、今にも膝を折りそうだったタクトが、オレを見て……にやっと笑った。
「っらああぁ!!」
裂帛の気合いとともに、一際大きく迸った水。
もう無理って言ったんじゃなかったの?!
「おいっ、あれ……!!」
チャトの雷撃が吹き飛ばした瓦礫の奥、まだ遠く、遙か奥に。
だけど、確かに見えた気がした微かな光。
視線が天井に集中する中、完全に意識を手放したタクトを、今度はラキが引き寄せた。
「ダメなのか……?!」
「もう少し、もう少しじゃないのか?!」
商人さんたちが、手当たり次第天井へ物を投げつける。
フシャさんが、ドースさんが、他の冒険者さんたちが迫る天井に攻撃を放つ。
「あー……死にそう。イケるよな?」
意識が戻ったらしいタクトが、オレを見上げて微かに笑った。
「頼むよ~?」
傍らにへたり込んでいるラキが、オレを拳で叩いた。
「ここまで来れば……大丈夫!! シロ、行こう!」
「ウォウッ!」
元あった天井は既に水没し、オレたちは今、オレたちの開けた穴の中で生きている。
狭い穴をらせん状に駆け上がっていくシロの背で、オレは周囲へ魔力を広げた。
『ぼく、これ以上入れない!』
「うん!」
シロから飛び降りたオレは、土壁を蹴って、蹴って、ほぼ隙間と言える縦穴まで入り込む。
眼下にみるみる近付いてくる、モモのシールド。
『もうつっかえるわよ!』
オレは息を吸い込んで、触れた土壁に思い切り魔力を流した。
「行くよっ! ――発芽っ!!」
種が芽吹いて土を割るように。
地の底から、明るい外へ。
轟音を響かせながら、捲り上げるように大地が開けていく。
シールドの上で、オレは土を割る芽になった。
「わっ……?!」
視界が真っ白に、そして唐突に抵抗がなくなって――
「うわああ?!」
「外――っ?!」
水流に押し上げられ空中に放り出されながら、オレはこれって発芽じゃなくて噴水だな、なんて思ったのだった。
(探索班にいないはずのモモが登場してました~!教えて下さってありがとうございます!!)
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