876 特別な普通
みんなの奇行に戸惑って目を瞬いていると、サブリーダーさんが盛大にむせつつオレに詰め寄った。
「おま、お前、もう一度その名を言ってみろ!」
「その名って……カロルス様?」
「聞き間違いじゃなかった……!! 嘘だろ?! お前カロルス様の子?! 本物?!」
「いやいやいやいや、だって俺が聞いた噂だと王子様みたいな青年だって話で……!! いやいやいやどうりで!!」
……なんで触るの? しきりと嘘だと言いながら、サブリーダーさんとリーダーさんはオレの型取りでも始めるのかという勢いで触ってくる。
「それはセデス兄さんだよ! あの、オレは実子じゃないんだけどね」
「もう一人いたのか! そうだよな、カロルス様と同じ空気吸うだけでもきっと、規格外になるだろうぜ」
「あのカロルス様だもんなー! 日々同じ空間くそ羨まぁ……!! 俺だってな、毎日顔見てたらもっと強くなってるわ!!」
……実子じゃないって、結構大きいことだと思ったのだけど。当たり前のように流された気がする。
なるほど。やはり、ロクサレンは感染するというのが周知の事実なのかもしれない。
オレが規格外になったのはロクサレンの、主にカロルス様のせいだと証明された形だ。
『されてないわね』
『主ぃ、逆に考えるんだ! 主が規格外の影響をロクサレンに及ぼしている可能性を……!』
やっぱり、オレの味方はいないらしい。
「ええと、みんなカロルス様を知ってるの?」
「知ってるに決まってんだろ!」
「知らないAランクがいるかってんだ!!」
曰く、Aランクになって改めてその異質……じゃなかった、偉業さが身に染みるとか。
あちこちから語られるカロルス様の話。オレの知らない英雄の話。
押さえようにも勝手ににまにまと口角が上がって、手近にいた蘇芳で口元を隠しておく。
「待て待て、お前ら! ここは俺らが知ってる話より、知らねえ話をすべきじゃねえか?!」
ふいにリーダーさんが立ち上がり、皆へ向かって両手を広げた。
「と言うと……」
「そうとも! かの英雄が引退した後の話! あるだろ? 色々……なあ、そうだろ?!」
皆の目がぎらりと光った。ものすごい圧を感じる。AランクとBランクの凄まじい圧を。
「え、えっと……そう言われても、何を聞きたいの……?」
カロルス様のことなら、話してはダメなことってそんなになさそうだし。
「お前、もしかして稽古つけてもらったり……?!」
「それは、もちろん……。だけど、腹が立つよ! 小枝で受け流されて――」
オレの腹立ち紛れの訴えに『うおお』と悶える面々は、もしかしてうらやましがっているのだろうか。
「はいはいっ! に、日常生活はどんな感じなの? やっぱり訓練に明け暮れたり……?!」
「日常生活は……普通だよ? 書類仕事は嫌だーって怒られたり、お肉ばっかり食べたり、一緒にお昼寝したり、お風呂に――」
「一緒に、お風呂っ……!!」
女性陣が悲鳴なのか歓声なのかわからない声を上げている。
ロクサレンでの生活を思い浮かべていたオレは、くすりと笑った。
そうか、一緒に過ごした『普通』の日々。だけど、他の人にとってそれってもの凄く特別なことなんだな。
プリメラに起こされて、マリーさんが飛んできて、エリーシャ様がぎゅっとして、セデス兄さんの頭が爆発していて、カロルス様が朝からもりもりお肉を食べて、ジフが嬉しそうで、執事さんが朝食後にすかさずカロルス様を引っ立てて行って。
時々アッゼさんがやって来て、庭ではアルプロイさんとタジルさんたちが訓練していて。
寮に戻ったら、筋トレしているタクトと、作業しているラキがこっちを向いて『おかえり』って言うんだ。あと、窓際ではムゥちゃんが手を振って。
身の内が、温かい光に満たされる。
そうか、これはオレにとっても『特別』だ。
「……帰りたくなってきちゃう」
盛り上がる冒険者の中、くすっと呟いた時、ふとこちらを見つめる瞳と目が合った。
「帰りてえな。――なあ、帰れるぞ。俺は、帰れるんだ。……お前のおかげで」
真摯にこちらを見つめたエリオットさんが、ふいに顔を歪めて笑った。
「帰れる、帰れるぞ……!! なんだ、俺、こんなに……」
俯いて食いしばった歯の間から、嗚咽が漏れる。苦笑したダリアさんが、自分の背中にエリオットさんを押しやった。
こんな時に、そんなこと言わないでよ。
こんなに、帰る場所が愛おしいと思った時に。
これはきっと、釣られてしまったから。目からこぼれ落ちる滴を拭って深呼吸する。
良かったね。本当に良かったね。
ちゃんと、帰れるよ。みんなの『特別な普通の日』に。
大事な大事な普通の日、みんなの普通の日が、明日もちゃんとある。
それがどういうことか、オレは今、少し分かった気がした。
「――そう思うなら、とっとと帰れ」
溢れる思いを切々と訴えていたら、不貞腐れた声にぶった切られた。
「そうなんだけど! でも、今帰ったらべったり甘えてしまいそうで! ここもオレの帰る場所でしょう? だから、ちょっとこっちで先に……」
うっとりする毛並みの下の、引き締まった身体。ぎゅうぎゅう抱きしめて頬ずりすると、艶々煌めく黒の被毛が心地良い。
オレ、Aランクに混じって大活躍したのに、家に帰って幼児になってしまうのはちょっとばかり悔しい気がして。
だけど、それよりもこの溢れる思いを受け止めてもらいたい。だから、折衷案だ。
「ルーには、べったり甘えていいことにしてるから! ルー大好きだよ、格好いいね、綺麗だね、最高の毛並みだね!」
「うるせー!!」
ばし、ばし、とオレを叩くふわふわ尻尾が忙しい。ちっとも合わない金の視線が腹立たしい。
好きが溢れて困るから、先にルーに受け取ってもらうんだ。
ルーになら、いくら言ってもいい。どれだけ甘えてもいい。だって、ルーの分もオレが代行しているから。
撫でさする手が気持ちいい。深く埋めた手が温かい。
お日様を吸収した毛並みから、ルーと土と葉っぱの匂いがする。
ごうごうと喉から鳴る音が、くすぐったいほどオレの身体に響く。
「そうだ、ねえルー!」
思い立ったかのように身を起こして呼ぶと、面倒そうに持ち上がった顔がこちらを向いた。
しっかり絡んだ金の瞳に満足して、満面の笑みを浮かべる。
「大好きだよ!」
言った途端、持ち上がっていた耳がピッと横へ伏せられ、鼻面にシワが寄って即座にそっぽを向いてしまう。
「うるせー!! さっさと帰れ!!」
「どうして怒るの!」
「うるせー!」
仕方ない。くすくす笑ってブラシを取り出すと、ゆっくり丹念に胸元の被毛を梳き始めた。落ち着かなかった尻尾の動きが止まり、やがてまぶたが落ちる。
これは素直に受け取ってくれるのに、どうして言葉はダメなんだろうね。
カロルス様だって、ちょっと照れくさそうにしながら『おう』って言うのに。
オレだって、ちゃんと言うよ。
ルーが、オレに大好きだよって言ったら、言ったら……
思わず吹き出したら、不服そうな目がちらりとこちらを向いた。
慌てて梳く手を再開しながら、考えてみる。
ルーは一体、どんな顔で言うだろうか。
全く、想像がつかない。
少なくとも、オレみたいに満面の笑みで言うことはないだろう。再び吹き出しそうになるのを堪え、うつらうつらする横顔を眺めた。
オレ、伝わってるけれど。だけど、いつか言えるといいね。
だって、言った方が嬉しいよ。オレがじゃなくて、ルーが。
だってオレ、大好きだよって言うとすごく楽しいよ。すごく嬉しくなるよ。
言えたらいいね。オレ、ちゃんと返せるからね。
漆黒の光に手を滑らせながら、オレはまだまだ溢れる思いを持て余して笑った。
活動報告にも書きましたが、もふしらファンアートコンテスト、皆様作品見ていただけましたか?
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