873 絶対の回復
「…………あ……れ?」
どうしてこんなところで寝ているんだっけ。
エリオットは眩い光に瞬いて身体を起こそうとし――べちゃり、とぬめった感触に顔を顰めた。「なんでこんな濡れ……うわあぁ?!」
ぬるりとぬめる手。黒々と濡れそぼった服。赤黒く染まった地面。
パニックを起こしかけたところへ、穏やかな声が聞こえた。
「よかった……間に合った」
苦しげに笑うユータの頬を、ころりと光の粒が滑っていく。
半ば呆然としていたエリオットは、ただ、綺麗だなと思った。
「エリオットさん、分かる? 今、割と死にかけてたよ。あっちまで逃げられる?」
柔らかな光が消えていく中、小さな指に釣られるように振り返って、ボロボロになった二人を見た。まるで、幽霊でも見たような顔で、目も口もまん丸に開いている。
「逃げるって――はぁ?! お前、なんでこんな所に! 逃げるのはお前だ! 来い!」
どこかぼんやりしていたエリオットの瞳が、みるみる危機感を帯びて険しくなる。
ユータに手を伸ばした時、巨大な魔物が咆哮を上げた。
引いた己を恥じるように、まとめて食らえばいいとでも言うように、無感動な瞳がエリオット達を捉える。
「シロ!」
ウォウッ、と聞こえたのが先か、ぐんと身体が引かれたのが先か。
猛烈な勢いでその場から引き離されたエリオットは、声を上げることも叶わず手を伸ばした。魔物の射程に、ユータが。ユータだけが。
巨体に見合わぬ素早さで獲物を捕らえ、巨大な顎が閉じた音が響く。
「でっか……! 避けるの、難しいね」
呼吸の止まったエリオットの耳に、どこか場違いな台詞が届いた。
その目には、咀嚼したはずの魔物が、ギロギロと視線を彷徨わせるのが見えた。
そして、何事もなかったかのように魔物と相対する、小さな、小さな冒険者の姿が。
再び襲ってきた顎を躱し、閃いた尾を避け、踏みつける足を駆け上がり。
「ゆ、ユータ……?」
甲羅の上に立った幼児は、こちらを向いてにこりと笑った。
「まだ、頑張れる? もうすぐ応援が来る。だから、それまでは」
自らの尾で強かに甲羅を打ち付けた魔物が、うなり声を上げた。その一撃で、甲羅のトゲが一部破壊されている。
思い切り身体を振るった魔物の勢いを利用し、ユータが一直線にこちらまで飛んできた。くるりと空中で身を捻り、壁に足をついて難なく彼らの前へ立つ。
「絶対に、オレが回復する」
見上げる黒い瞳が、強い光を帯びて順繰りに視線を絡めた。
「――来るよ! 思い切り前へ飛び込んで!」
「むうっ!」
バルタザールが、水泳の飛び込みよろしく勢いよく前へ転がった。
ドドドッと揺れた地面を感じて、バルタザールの肝が冷える。
「OK! ばっちりだよ!」
ふわり、柔らかな声と光が通り過ぎた後には、擦り傷のひとつすらない。
『危ないよ!』
「おわあっ?!」
シロの体当たりで転がったエリオットが、辛うじて尾の軌道から逃れた。
「うっ……!」
奇跡的に射出されたトゲを逃れたダリアが、それでも削がれた腿を押さえて蹲る。
『無傷、とはいかない』
宝玉を煌めかせた蘇芳が、ダリアの背から視線を彷徨わせた。
「回復するよ!」
どこからともなく滑り込んできたユータが、瞬く間に回復を施し、前へ出る。
躍起になって振るわれる尾を、射出されるトゲを避けて、避けて、避けて。
「「うおおお!」」
ついに、3対の足のひとつから、血しぶきが散った。
「叩ッ込んでやるわい!」
大胆に前へ出ていたバルタザールの杖から、稲妻が迸って傷口を穿った。
肉の焼ける臭いと、魔物の苦鳴が空間の中へ満ち満ちる。
「はは、なんだよ、すげえ……」
「油断するな、離れろ、バル!」
「心得とるわ!」
片時も表情を緩めず離脱した二人に比して、一瞬笑みを浮かべたエリオットが皮肉である。
「――こ、これは……」
ふいに聞き覚えのない声が、空間の中へ割り込んだ。
ざわめきを感じるほどの、人の気配。
ユータは、通路へ視線を向けて安堵の笑みを浮かべた。
*****
ラピスの先導の元、オレたちは11階層を駆け抜けていく。
もう、他の冒険者の姿もない――と思った時。
「ラピス!」
『人がいるよ!』
間一髪、ラピスがぶちかます前にオレとシロの声が間に合った。
前を行くのは、かなり装備も薄汚れた十数人の冒険者たち。もしや、これが先頭パーティなんだろうか。
即座に気付かれてしまったので、なるべくそっと駆けながらすり抜ける。
「転移罠にかかったの! 急いでるから、ごめんね! 追いかけて来て!!」
すれ違いざまにそれだけ言って、ぶわりと回復の光で包み込んでおいた。
「お、おいっ! 待て――」
「何?! 速すぎるだろう!」
きっと、Aランク。この人たちは、3人が無事に帰るために必要だから。きっと無事でいる。だから、助けが必要になるから。
3人が見つかったら、管狐部隊を呼んで彼らの道中を陰ながら手助けしてもらおう。
そう指令を飛ばして間もなく、階層転移場所へと到達した。
ここが、12階層。随分、雰囲気が違う。
「広い、ね……」
それが何を意味するのか分からないけれど、ただ不気味に感じた。
『……!!』
ピン、とシロの耳と尾が立った。地面へこすりつけるように鼻を下げ、丹念に匂いを嗅いでいる。発見の期待と、微かに過った最悪の出来事。
固唾をのんで見つめるオレを振り返り、シロがぱっと笑みを浮かべた。
『……見つけた!!』
*****
――本当に、本当にギリギリだった。
きっと、蘇芳がいなければ確実に3人とも世界からいなくなっていただろう。
だけどここから、無事に帰らなくてはいけない。
オレたちはシロとエリオットさん、ダリアさんと蘇芳、バルタザールさんには念のためのモモと遊撃ならぬ遊回復を兼任するオレ。その組み合わせで何とか、即死を避けることができていた。
でも、魔道具を使うにしても逃げるにしても、もう少し隙を作らなければ……。
まさに、それが今じゃないかというタイミング。魔物にダメージを与えて怯ませたその瞬間、あの時のパーティがここまで到達した。
「どういうことだ、これは?! 君たちは、一体……そして、その子は」
呆気にとられていた面々の中から、リーダーらしき赤毛の男性が一歩踏み出した。
「あ……もしかして、俺ら、助かった……?」
「Aランクの……」
「こやつら、『金銀同盟』か?!」
やっぱりAランク! 良かった、間に合った。
戸惑う視線が彷徨ってはオレに向くので、にこっと手を振っておいた。
「俺ら、Bランクの『暁の盟友』なんすけど、転移罠にかかってこんな所に……」
どこか呆然と説明するエリオットさんに、『金銀同盟』は訝し気な顔をする。
「なら、この子は? 幻ではないよな? 噂に聞く天使かと……」
「私らは、この子が転移罠にかかったのかと」
あ、そう取られるとは思わなかった!
「オレだけ罠にかからなかったの。だから急いで合流しようとしてたんだよ」
全然納得できていない顔でリーダーさんが口を開こうとした時、魔物が吠えてトゲを射出した。
瞬時に張られたシールドと、息を揃えたかのようにパッと掲げられた大きな盾たち。
轟音をたてて、巨大なトゲが防がれた。3人があれほど生命の危機に瀕したトゲが、当然のように。
「すげ……」
Aランクの圧を感じるのだろうか、魔物の方もむやみに突っ込んでこようとはしない。
安堵のあまり足元をふらつかせるエリオットさんをちらりと見て、リーダーさんは厳しい顔をした。
「まさかタラスクゴアまでいるとは……Bランクが相手できる魔物ではないと思うが、よくぞ」
「安心するのは早い。我らとて、簡単な相手ではない」
もう一人、銀髪の男性と視線を交わし、彼らが緊張をみなぎらせていく。
ゴアって、魔物につく場合最悪とか最強みたいな意味になる。だから、タラスクの最強種ってことだろう。
亀と言うにはスリムな甲羅と長い脚。太い首にはタテガミが生えて獣の要素を覗かせている。全体的にトゲトゲしたシルエットは、魔物というよりも怪獣を彷彿とさせた。
巨大な口を開閉する顔は、ワニガメに似ているかもしれない。
パーティ内で視線を交わす彼らは、しびれを切らしたように動き始めた魔物に、パッと広がって自然なポジションを取った。
「君らは、十分やった。下がっているといい」
「万が一の時は、伝令を兼ねてくれ」
顔を見合わせた3人も、自然と頷いて武器を握りなおした。
「余裕がないなら、手伝うすよ」
「サポートに回る」
「あまり役には立たんじゃろが、いないよりマシにはなるじゃろ」
苦笑する彼らが、最後にオレを見た。
「もちろん、オレはみんなのサポートをするよ! 回復役だからね!」
にっこり微笑むオレに、彼らの苦笑がますます強くなったのだった。
皆様、ありがとうございました!
先日、ひつじのはねはしかとこの目で、皆様が打ちあげて下さった花火を見ました。
ランキング、100位以内に入った瞬間があったんですよ!これが、皆様の力……!! わずかな時間の輝きでも、確かに花火はあがりました。ひつじのはね、まことに感動しました!!!ありがとうございました!!
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