872 一矢
「は、ははっ! 走りやすいのはっ、いいこと、だな!」
余裕ぶったセリフも、乱れた呼吸と上擦った声では効果が薄いらしい。
背後から迫る小山のような魔物は、悠々と追ってくる。体高だけで5、6mはあるだろうか。あまりに大きな歩幅は、全速力で駆ける彼らとの差を、あっという間に縮めてくる。
ただ、通路いっぱいの巨大な魔物は、同種にとっても脅威らしい。これだけ走っても、ただの一匹も他に遭遇しないのは幸いだった。
「あの図体だっ、小さな、脇道があれば……っ!」
「体力が尽きるのが先か、追いつかれるのが先か――ファイアボム!」
エリオットにおぶわれたバルタザールが、魔物の鼻先で炎を弾けさせる。
魔物が鬱陶しげに顎を鳴らし、踏み出す挙動がわずかに遅れた。図体からしてほんの些細な炎も、嫌がらせ程度にはなる。
バルタザールは、自分を置いていけとは言えなかった。
この妨害なくして、彼らが助かる見込みがなかったから。彼の身体などひと呑みで終わり。老いた身を挺しても足止めにもならないことが無念だった。
「ファイアボム! く……段々慣れてきておる……!」
「きつい、な……」
喉が焼け、段々視野の狭くなってくる中、彼らはただただ全力疾走を続けた。
「……?!」
「あ……」
ふいに視界に壁が現れ、ハッとした時には遅かった。
右も、左も、空間がある。そして、ぐるりと見える土壁。
大きく拓けた大空間は、いくら目を凝らしても、続く通路がない。
唯一は、今彼らが通ってきた通路。そして、今魔物が足を踏み入れてきた通路のみ。
「終わり、かの……」
弾む息と、バルタザールの小さな呟きが零れて落ちていった。
*****
まれにすれ違うパーティの驚愕も余所に、オレたちはひたすら下を目指して走る。
「これで、10階層……! お願い、ここにいて!」
各階層全ての通路を回る時間はない。通り抜けた範囲ではオレの感覚でも、シロの鼻でも見つけられなかった。あとは管狐部隊がしらみつぶしに探索してくれる。
階層転移をするたび同じ願いを繰り返しつつ、10階層の魔物を見て、嫌な汗が止まらない。
2階層下がると、こんなに違うのか。
先頭にいるパーティは、なんと十数名で構成されているのだとか。
きっと、Aランクだろう。
そんな環境の中に、Bランクの3人。
鼓動が早すぎて胸が痛い。小さな心臓は、戦闘中よりもずっと早鐘を打っている。
大きな魔物、素早い魔物、魔法を展開する魔物。手強くなる魔物に、どうしても足止めを食らって、トップスピードの維持が難しい。
「退けてよ! 通りたいだけなんだから!」
中型魔物の群れを前に、ぎゅっと拳を握った時、先行するラピスが呼応するように吠えた。
――邪魔なの! 立ち去るの!!
叩き付けるような圧倒的な魔力が、雷となって通路を貫いた。
――ラピスが道を空けるの! 進むといいの!
「ありがとう……でも、小規模で! 小規模でお願い!」
ラピスの魔法の先に、彼らがいるかもしれないのだから。
『ゆーた、次行くよ!』
「うん、お願い!」
どうか、次で見つかりますように!
次が、最下層でありますように!
走る勢いそのままに、11階層へ飛び込んだ途端、待ち構えていた魔物が飛びかかってきた。
ルーほどもある大きな狼。ガチンと両顎が閉じられた音がする。
一瞥もせずに躱したシロが、追いすがる魔物をみるみる引き離していく。
同じ狼系の魔物でも、速度においてシロは圧倒的だ。
「きっと、きっと居るよね……」
まだ、管狐部隊から発見の連絡はない。
ふいに、ラピスが耳をぴこりと上下させた。
もしや、と期待に逸る心を抑え、じっと群青の瞳を見つめる。
――ユータ、連絡が入ったの。……次の階層転移場所が見つかったの。
次の、階層転移……。
ここが、最下層じゃなかった……。
見え隠れする絶望を無視して顔を上げ、頷いた。
「ありがとう! 転移場所が分かれば、ここも走り抜けられる!」
考えまい。それは後から考えて十分間に合うのだから。
*****
「「……」」
ただ肩を上下させて、壁と魔物を見つめる二人。滴る汗が、ぼたぼた地面へ落ちた。
「しゃんとせい!」
エリオットの背中から滑り降りたバルタザールが、執拗に魔物の目へ向かって魔法の連射を始める。
「お主ら、どうするかの?! 最期の選択くらいは残っておるぞ!」
どう、終わりたいか。
呆然としていた二人が、息を吹き返すように目を瞬いた。
「……エリオット、アレを!」
「そうか……バル、戻ってこい! 最期なんて、最初っから決まってるだろ」
訝しげに振り返ったバルが、何かを手にする二人を見て、にやりと笑った。
「ほう? 最後まで、じゃな」
希望の詰まった小瓶を呷って、3人は笑みを交わす。
「正真正銘の全力で挑めるなんて、幸せなことじゃね?」
「確かにな」
「傷のひとつも残せれば、我らの名を刻めるということじゃ!」
万全な身体は、心を立て直して奮い起こす。
苦笑しか浮かばない巨体を仰ぎ見て、3人は武器を構えたのだった。
「――とは言うものの! どこ斬りゃいいんだ?!」
弾かれた剣と共に転がって踏みつけを逃れ、エリオットが悔しげに歯噛みした。
恐らく、この階層にいた甲羅の魔物が成長しきった姿なんだろう。カメとトカゲに獣を少し混ぜたような、奇妙な姿。甲羅の硬度はもちろん、皮膚すら鎧のようで。
「魔法もダメじゃの。一点集中するしかなかろうよ!」
「と言っても……! 狙えるか?!」
刺々しい甲羅に、3対の太く長い足。振り回される長い尾にも巨大なトゲが並び、掠っただけで肉が持っていかれるだろう。
存外素早い噛みつきと尾を恐れ、常に回り込むよう駆け続けている状況で、彼らが狙えるとすればせいぜい足。
回復したばかりの体力が、みるみる削られていく。
汗みずくになった手の中では、湿った剣の柄からも汗が滴っていた。
「どこかに、攻撃の目印を……! つっても、足しか狙えねえけど!」
「他より少しでも弱い部位はないか……?!」
首は、硬い。四肢の付け根は……巨体のせいで位置が高すぎる。腹は、甲羅のようになっていた。
「どこだ、どこなら弱い? 俺なら……」
長い尾を避けて腹側へ滑り込んだエリオットを、巨大な足が狙う。
「ぐっ……!」
辛うじて掠めるに留めた足が、エリオットの目の前に着地して地響きをたてた。
「あっ! ここなら――! うおおお!」
雄叫びとともに、渾身の力を込めた突きが放たれる。
そして、初めて、魔物が声を上げた。
「!!」
「……フン、なるほどの。地味じゃな」
魔物は着いたばかりの足を高く掲げ、恐らくはその図体になってから感じたことのない痛みに驚いている。
「イケるぞ! 指の間なら、俺らの剣でも!!」
それが、ほんのささやかな抵抗であっても。
彼らは確かに、一矢報いた。
「エリオット、離れろ! 怒ってるぞ!」
「分かってるけどよ?!」
痛みをもたらした人間へ、ぎろりと魔物の無感動な目が向けられた。
「連射行くぞ! 魔力切れるかもしれんがの!」
魔法の連射で視界を塞がれた魔物が、怨嗟の声を上げる。
「助かっ――」
援護を受けて離脱を図ろうとしたエリオットが――二人の視界から消えた。
「「エリオット?!」」
彷徨った視界の中、ゆらりと持ち上がった尻尾。その先端に、また新たなトゲが生えそろったのが見えた。
そして、地面にいくつか刺さった杭のような巨大なトゲが。
そのうちのひとつが、標本のように彼を縫い止めているのが。
嘘のような勢いで広がっていく、鮮やかな赤色の地面が。
「う、うわああ!!」
「待て! 行くでない! 今なら、今ならお主は出られる!」
魔物など目にも入らぬように駆け寄ろうとするダリアを、バルタザールが止める。
指さされたのは、無防備に晒された通路。
エリオットに気を向けるあまり、魔物は塞いでいた通路から離れていた。
「何を今さら!」
「なら、戦うのじゃろう?! もう助からん……いや、もう死んでおるわ!」
「だけど!!」
悲鳴のような声をあげつつ、ダリアがぎりりと剣を握った。
やれやれと言わんばかりに、エリオットに首を伸ばす魔物。
分かっているけれど、それでも。仲間が食われている隙に攻撃するのが、正しいのか。
「悪い、バル! 私はこの最期を選ぶ!」
ダリアは、走り出した。
「そうかの……。なら、よい」
今にもエリオットをくわえ込もうと開いた口に、炎が弾ける。
不服そうなうなり声をあげ、首を巡らせた魔物が二人を見据えた。
ピクリともしないエリオット目指して、二人が走る。
ブン、と振られた尻尾は、随分と二人からは離れた位置で――
尻尾から何か飛来するのが、視界の端に見えた気がした。
「バル!」
ハッと反射的にバルタザールに飛びついて、ダリアが地面を転がった。
方々を掠めるように地面にめり込む、巨大なトゲ。
「近付くこともできんか……」
奇跡的に軽傷に留めた二人は、尻尾が再び持ち上がるのを見た。
そして、その先端に再びトゲが生えそろうのを。
「ごめん……」
「何を言う」
為す術なく立ち尽くした二人が、せめてとエリオットに目を向けた。
「――避けて!!」
まさに、トゲが射出された瞬間に響いた、不釣り合いな声。
同時に文字通り吹っ飛ばされた二人が、もんどり打って転がった。
まさか、まさか。
猛烈な勢いで起き上がったダリアの前を塞ぐように、白い獣が割り込んだ。
「ユータぁっ!! 来るな、逃げろ!」
血を吐くような声に、ユータはちらりと二人を振り返って、微笑んだ。
新たな肉の登場に、魔物がエリオットとユータを見比べて尻尾を持ち上げる。
「オレは、回復術士なんだよ! まだ頑張って! オレが行くから!」
やめてくれ、叫ぶ二人の声も空しく、フッと尻尾のトゲが消えた。
ユータは、ひらひらと蝶のように不規則に舞う。嘘のように、トゲをすり抜けて。
おや、と向きなおった魔物が、空気を引き裂くように尾を振るった。
薙ぐ風をくぐり、叩き付ける杭を避け、ユータは一度も立ち止まることなく、みるみる間合いを詰めていく。
そして――滑り込むようにエリオットの身体に触れた。
「オレが来たよ! もう大丈夫!」
ぶわりと立ち上った苛烈な光は、まるでユータの怒りのようで。
視界を塞ぐような光に……魔物は、気圧されたように首を引いた。
もふしら17巻発売まで、1週間切りました!
特別版の特別たるゆえんについて、活動報告に色々書いてますのでぜひご覧ください!
発売前だけは、これ言ってみようかな!
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