871 わずかな可能性を
「……なんか、静かだな」
浸食してくるような空間に耐えきれず、エリオットが小さく呟いた。
通路は、かなり広い。少なくとも、いままで通過してきたどの階層よりも。
「下層の方が、魔物は少ないのか?」
「ワシとしては、なぜこんなに広いのか、気になるところじゃ……」
「言うなって……」
乾いた笑みが、暗闇に消えていく。
「まあ、急ぐ必要もあるまい。今のうちに休憩しておくのはどうじゃ」
「確かに! 魔物が来るまでは――」
それがフラグというやつだったのだろうか。
何かを引きずるような音が、彼らの口を噤ませた。
「大きい、よな?」
「重量級じゃろうな」
「複数か?」
不規則な足音と振動は、いずれも肯定しているだろう。
こちらに気付いたらしい魔物が、あっという間に距離を詰める。
「う……3体……。これ、ヨロイガメか?」
「にしては、足が長いのう。こんな攻撃的な甲羅じゃったか? スパイキーの方かの?」
現れた魔物は、乗用車ほどもある。太いトゲの生えた甲羅を持った6本足、亀と言うには獰猛な雰囲気を持っていた。
「どっちにしろ、キツイことに変わりは無い。魔法頼み、だな!」
大きく裂けた口が、ダリアのいた空間を噛み砕く。躱したダリアの剣がその首元に振り下ろされた。
「――っ?! 硬い!」
ガインと弾かれた剣に驚愕し、すぐさま距離を取った。
首を落とすつもりで振るった剣で、一筋の傷しか残っていない。
「こいつら、硬ぇえ!! 何のための甲羅なんだよ! 皮膚が既にめちゃ硬じゃねえか!!」
同じく声を上げたエリオットと視線を交わす。
「動きはそれほどでもない! 諦めさえしなければ……!!」
「バル、1体ずつじゃなきゃ無理だ! 突破される、俺らの近くへ!」
「チィ、若いモンと同じようには動けぬからな!」
まずは、ダリアが傷つけた1体から。
彼らの、地道な戦闘が始まった。
*****
考えなきゃ、動かなきゃ。
そう思うのに、まるで頭に穴が空いたように、考える端からそれが消えていく。
「ピッ!」
ただ立ちすくんでいたオレの肩で、澄んだ声が響いた。
真っ黒に塗りつぶされていた思考が、ふっと雲を払うようにクリアになる。
「ティア……ありがとう」
完全に思考が空回りしていたオレは、唇を結んで両頬を叩いた。
「ラピス! ここから下層を全部探して! 5匹編成の部隊で、一階層につき1部隊を派遣! 最下層を発見したら、部隊は下から順に多くなるよう再分配!」
――ライライジャー!
誰もダンジョンの最奥の発見には至っていないけれど、この規模では最低5階層、最高で15階層と言っていた。今は8階層、残り最大で7階層! 管狐部隊は、ええと、確か33匹くらいいたはず。小回りの利く管狐部隊が総出で当たれば、きっと見つけられる。
「シロ、行くよ! オレたちは最下層目指すよ! モモ、シールドお願い!」
「ウォウッ!」
『了解!』
力強い応えに頷いて、オレはすぐさまシロに飛び乗った。オレの方が管狐部隊より遅い。最下層を目指していれば、最速で救出に行けるはず……!
――ラピスが階層転移の場所まで案内するの。10階層までなら部隊で探索済みなの!
十分! オレたちはダンジョン内に風を巻き起こしながら、疾走を始めたのだった。
*****
岩陰に身を寄せる虫は、きっとこんな気分なんだろう。
彼らは朽ちた甲羅の影に身を潜め、気取られぬよう荒い呼吸を抑えていた。
地響きをたて、悠々と通り過ぎていくのは、先ほど戦った魔物をさらに二回り大きくした魔物。
ダンジョン内は、時折甲羅が転がっていた。大きさは違えど、全て同種と見える。
「……はあ、はあ……ここ、あいつらの巣かよ!」
「まさか、戦ったアレがチビだとは」
まさに満身創痍の様相で、ため息を吐いた。
辛勝を収めた彼らが勝利に沸く暇もなく、轟いた咆哮。そして、地響き。
すぐさまその場を後にしたものの、地響きは方々から響いてきた。
「まさか、あそこまでデカブツじゃとはな……」
ぐったりしていたバルタザールが、ようやく身体を起こして土壁に背中を預ける。
「大丈夫か、バル」
「全然大丈夫じゃないわ!」
口だけは達者であるものの、あれだけ動き回れば疲弊しきっているのは当然。
「ここで休むしかないな。眠れやしないだろけど、隠れるところがあるだけマシってもんだ」
収納袋から保存食をつかみ出した時、馴染みのない瓶を見つけた。
「これ、何だっけ……あ!」
「あ! それ、ユータの!」
二人が同時に声を上げ、顔を上げたバルタザールが薄く笑みを浮かべた。
「なんじゃ、あやつめ、いなくなってもワシらを助けよる」
――喉を通り過ぎていった疲労回復ドリンクは、萎れた気力までもを取り戻すようだった。
「あと数本、これがありゃあ寝ずに行動できる!」
「耐えれば、他のパーティと合流できる可能性だってある」
「確かにの。他が到着するまで、なんとか命を繋ぐのじゃ!」
わずかな可能性が、微かな希望を生んだ時。
無情にもそれを踏みにじるような雄叫びが聞こえた。
「くそっ……走れるか、バル?」
「今はの。じゃが、そう長くもたんぞ」
「何とか、やり過ごせればいいが」
息を殺した3人は、徐々に近付く地響きに違和感を覚えた。
おそらく、1体。しかし、音と音の間隔が長い。そして、振動は身体が浮き上がりそうなほど。
「嘘だろ? どんな大きさだよ……?!」
干上がった喉で軽口を叩いたエリオットが、息を呑んだ。
通路の奥、闇の中うっすら浮かぶ影。
ああ、ここの通路はこのために大きいのだ。ひと目で理解できた、通路の幅いっぱいの、高さいっぱいの、巨大な影。
「走れ!」
巨大な6本の足が、全てを踏み潰して行く。
彼らが身を隠していた甲羅が、まるで卵の殻のように破壊された。
何にも興味のなさそうだった目玉が、ぎろりと動いて彼らを捉える。
滅多に見ることもない生の肉。
生きるだけならば可能なダンジョン内で、貴重な、貴重な食事。
果たして魔物がそこまで考えたかどうかは分からないものの、事実としてそれは猛然と彼らを追いかけ始めたのだった。
*****
入り組んだダンジョンの中、シロも草原を駆けるようにはいかない。
それでも、壁を、天井を駆け、全ての魔物を置き去りに。スピードが出ない分、可能な限り嗅覚での調査も交え、オレたちはまっすぐ階層転移目指して走る。
――ブッチギリは今、11階層到達なの。ラピスも11階層まで案内できるの!
オレたちが9階層を走り抜けた時、先頭パーティを追っている管狐から連絡が入ったらしい。
そして、管狐部隊も11階層に到着したから、階層転移場所を見つけるのも時間の問題だ。あわよくば11階層が最深部でありますように……!
ちょうどそれは、彼らが巨大な魔物に追われ始めた頃。
そして、まもなく袋小路に追い詰められる頃合いだった。