870 罠
「はあっ、はあ、キツイな……さすが、ここまで来ると厄介だ」
「戦闘員3人では、ちょい難しいんじゃねえ……?」
「仕方在るまいよ……。引かぬよう、せめてこの階に留まるのじゃ」
魔物の数が多い。きっと、通常のダンジョンよりもずっと多いのだろう。今まさに冒険者たちによる間引きを行っているわけだけど、この階層まで来れば、先を進むパーティはごくわずか。
何とか魔物の群れを退けたものの、3人はぐったりと疲弊している。
オレはちらりとバルタザールさんを見上げた。
ここまで来ると、魔法使いが生きてくる。その分、魔力が切れた時が運の尽き。魔物の群れ相手に魔法なしで対応するのは、中々難しい。
「……なんじゃ、ワシの心配か? いらんよ、このバルタザール、魔力量は年の分蓄えておるからのう」
フン、とあしらわれ、少し安心した。魔法使いに年を取った人が多いのは、年齢と共に魔力が増えることも理由のひとつ。
「それより小童の魔力はどうなんじゃ、そのナリで相当とは見たが……」
オレは、にっこり笑った。
「大丈夫。怪我の度合いによるけど、重傷じゃなければ100人くらい平気」
今までの経験を鑑みてきちんと答えたつもりなのに、3人がフッと吹き出した。
「た、頼もしいな。安心させようとしたんだな、ありがとう」
「あっはっは! こんな場所で笑わせるじゃん!」
「まったく……。まあ、気概は受け取っておくわい」
……全然信用されてない。むっとしたものの、場の雰囲気が明るくなったからよしとしよう。
「これ、オレ特製の栄養ジュースだよ! 疲労回復に効果あるから、飲んで!」
せめて、と差し出した飲み物は、ムゥちゃんの葉っぱとオレの生命魔法水を少量混ぜて作ったスポーツドリンク。きっと一眠りしたくらいの効果はあるはず。
「うま……なんでこんな冷えてんの? つうか、気のせい? すげえ身体が楽……」
「回復薬では、ないんだな? かすり傷は消えてない、か……」
「おかしいじゃろ、コレ! なんでこんな元気ハッスルになるんじゃい!」
ということは、結構疲れていたんだな。
「だって、疲労回復ドリンクだもの」
当たり前でしょう? とにっこりすると、そういうものなのか……?! という雰囲気になるから不思議だ。
8階層に下りてまだいくらも経たないのに、これで2回目の休憩。中々、厳しい。
「疲労回復ドリンク、疲れた時に飲めるよう、各自で持っておく?」
たくさんあるから、と大鍋を取り出すと、目を丸くした3人は一拍置いて大いに笑ったのだった。
ダンジョンの中は、静かだ。時折転がる石の音も、ぴたり、と落ちてくる水滴の音も聞こえるほどに。
これ以上はきっと進むつもりがないのだろう、歩みは随分とゆっくり慎重に、3人は緊張を漲らせながら、少しずつ進む。
「くそ、来たぞ!」
ふいに近付いてきた足音と、荒い呼吸音。身構えてすぐに現れたのは、5、6匹の魔物。
四つ這いになって足が1対増えたゴブリンみたいで、少々薄気味悪い。
「ぐうっ! ダリア、バル、頼む!」
「「おう!」」
4匹に囲まれたエリオットさんが、足と腕を負傷した。下がった彼の後を埋めるようにバルタザールさんが少し前へ出て、魔法の連射を始める。
飛んで行きたいのをぐっと堪え、足を引きずりながらやって来た彼へ回復を施した。大量の汗を流した顔がほっと緩み、オレと視線が絡んだ。
「助かった。マジで」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、前線へ駆け戻っていく。
しんどいな。戦闘って、しんどい。
ちなみに、オレへのガードはかなり危ういものになってきている。
ここは、オレが怪我した方がいいのだろうか……? と悩むものの、シロがいるとそうもいかない。シロがオート回避するので、オレは乗っているだけで無傷。
何度か紙一重があったので3人が大いに焦って、その都度集中が乱れているように見える。守りながら戦うのは、難しいね。オレみたいにシールドが張れるわけじゃなし。
「ユータ、お前……本当にすげえな」
やっと終えた戦闘の場で、足を投げ出したエリオットさんがそう言って笑った。
疲労回復ドリンクを配りながら、ちょっと首を傾げる。回復のことだろうか?
「何つう度胸じゃ。感服するわい」
「ユータの怪我は? 掠ってたろう?」
ああ、そっち。
「大丈夫だよ? もし怪我しても自分で治せるし」
にっこり微笑むと、また笑われた。
「「「頼もしすぎる……!!」」」
オレが何か言うたび、笑われる気がするのだけど。
「さ、早めに休む場所を確保しようぜ! 見張りが憂鬱~! 一人で見張ってて、もし強いの来たら一発でやられねえ……?」
「うまく身を隠せる場所を見つけねばならんじゃろうな」
オレたちなら、土魔法の壁を作れるのに。シロ&ラピス部隊の見張りと、チャトの見回り、モモシールドで防衛体制も完璧なのに。
自分が恵まれていることが、よくよく分かる。
「良い場所があれば、そこを拠点にすべきだな」
確かに、これより下層へ行かずに調査をするならそれがいい。
今日は、オレも疲れた……。きっとまだ昼下がりくらいだろうに、なんだか既に眠い。
緊張が続くと、こんなに疲れるのか。
終わりのないダンジョン。いつまでも続く気がする、暗い通路。
楽しいと思っていたダンジョンが、こんなにも心を重くする。
うつら、としかけて慌てて顔を上げ、ふいに違和感を覚えた。
なんだろう、何かあるような。
目を凝らしたところで、うっすら床に張り巡らされた魔力が――
『ゆーた!』
目の前で、カッと魔法の光が弾けた。
凄まじい反応速度で飛び退いた、シロの足の先が出るのが早いか、光が収まるのが早いか。
「……え?」
呆然とするオレの視界から、3人が消えていた。
「なんで……? どういうこと?!」
半ばパニックを起こすオレの頬に、ぺちぺちまふまふと小さな衝撃が加わった。
『落ち着いて! 罠じゃないかしら?』
『転移罠だぜ、主ぃ! このダンジョン、罠がある!』
だって、だって今までひとつも……!!
「どうしよう?! オレが油断したから……! どこ、どこへ?!」
『ごめんね、ぼくビックリして逃げちゃった……』
焦るオレの顔を舐め、シロが耳を伏せて鼻を鳴らした。
「ううん! 何の罠かなんて分からないもの。ありがとう! 大丈夫、転移の罠なら合流すればいいんだよ」
3人一緒にいるから、だから、きっと大丈夫。オレがいなくなっても普段通りだ。
水色の瞳を見つめて毛並みに手を滑らせると、少し落ち着いてきた。
「よし、じゃあ合流目指そう! ラピス、部隊総動員であの人たちを探して!」
――ダンジョン全部探すの? 結構時間かかると思うの。1日じゃ無理だと思うの。
だけど、それしか方法がない。むしろ、方法があるのが幸いだ。ダンジョン内では、オレのレーダーはほとんど役に立たないもの。
『主、いい話と悪い話があるぜ』
そこへ、ほんの少し躊躇いがちにチュー助が言った。
『いい話はさ、捜索範囲、もっと絞れるんだぜ!』
ぱっと目を輝かせたオレに、チュー助は首を振った。
『……で、悪い話は……転移罠ってさ、基本下層に飛ばすんだぜ……』
目を見開いたオレは、喉がカラカラに干からびるのを感じた。
だって、そんな。
3人が抜け出すための魔道具は、オレが持っているのに……?
*****
「マズ……! ユータっ?!」
突如生じた光と視野のブレに、慌てて周囲を見回した3人は、居るはずの一人が欠けていることに気がついた。
「転移罠……か」
「そのようじゃの。万事休す、というヤツじゃ」
幸い、転移直後に魔物の餌になることは免れた。
「ここ、何階層なんだ……? ユータは巻き込まれなかったのか?」
「ああ。結果的に、良かったな」
「どうせなら、最下層じゃといいのう。ワシらの名が刻まれるぞ」
魔道具を、ユータに渡しておいて良かった。
どうせ、使うことのない魔道具。ギルド代表として、逃げ戻ることだけはできなかった。
手元にあれば、使ってしまったかもしれない。
3人は自分たちの勘の良さに、少々苦笑して視線を交した。
「じゃ……行くか!」
「美味い思いもしたしのう」
「バル、一応最後まであがくぞ」
……ユータが、悲しむだろうか。
それは少し彼らの胸を苦しめ、そして、奇妙な優越感で満たしたのだった。