849 フロートーク
「――というわけで……。不可抗力というか何というか。けど、全てはシャラのせいってことになるかもしれないし! まだ天使がどうとか、そんな話は出てないわけで」
オレは顔を半分沈めつつ、もそもそ言った。
そう、まだ何もやらかされてはいない。全ては、これからの展開次第だ。
浴槽の縁で仰のいたまま、段々反応の薄くなってきたカロルス様をちらりと見上げる。
うむ、あまりよろしくない反応だ。お風呂の後は、ここを離れておいた方が無難だろう。
それとも、今既に逃走した方が賢いだろうか。だけど、せっかく帰って来たのに。
思案していたら、伸びてきた腕に捕まった。
「お前は……なんでそう、やらかしバリエーションが豊富なんだよ」
『そういうところは、とても多才なのね』
褒められて……はいないね。
そんなことを言われても。オレだってとても困っている。そもそも、今回やらかしているのはシャラとラピスだもの。
賢明にも口を閉じてむっとしていると、苦笑の気配が伝わってくる。
「まあ、最近はお前の心配はいらねえからな。そこは随分助かる」
両脇を支えた手がスッと上がり、オレの身体が湯から浮いた。滴る水滴が音を立てる中、ぬいぐるみのようにあっちを向け、こっちを向け、ブルーの瞳が丹念にオレを観察している。
なんだか、懐かしいな。
昔は、よくこうやって怪我がないか確認されていたな。
『昔ってお前』
『数年もない』
生まれて数年しか経過していないなら、数年前は昔なの! 相対的な話、そういうことだ。
辛辣組のセリフを聞き流しつつ、当時をなぞるかのような視線にくすくす笑う。
「怪我してないよ? 危ないこともして……してない?」
うん、これも相対的な話。オレにとって、別に危ないことはしていないし。
「それはしてるだろ。けど、怪我がねえならそれでいい」
気が済んだらしいカロルス様が、再びオレを胸に抱き込んで、お湯と共に包み込んだ。
温かいダブルの圧迫感に、ほう、と目を閉じ吐息を漏らす。
カロルス様の日だまりのような気配が、触れた肌から染みこんでくるよう。
「こんなちっこいのになあ……でかい影響及ぼしすぎだろ」
ため息のように零されたセリフは、心地よさについ聞き流してしまった。あんなにつぶさに観察しておいて、その感想はないだろうと思う。
それにほら、バタフライエフェクトって言うじゃない。
蝶の羽ばたきほどの些細な出来事が、思わぬ結果を生むことだってあるんだよ。
『些細、ねえ……』
『主、謙遜はよくないぜ! ドラゴンの羽ばたきは、周囲を吹っ飛ばしてしかりだぜ!!』
『当然の結果』
怒濤のように入る余計なツッコミのせいで、うまく締めくくったオレの言葉が押し流されてしまう。
「でも、天使様とオレは関係ないし! 結果的にオレが前に出ることはなかったんだから、大成功って……言えるよ、きっと!」
『結果的に、な』
そういう意味では、天使とは、オレたちのやらかしを背負うべく生まれた存在なのかもしれない。
それならオレも、天使教に入信して、日々崇めるべきではないだろうか。
『そうね……もう好きにしてちょうだい』
『これって主、寝ぼけてるのか? 通常営業?』
失礼な。こんなに温かくて心地よくて、安全安定した場所にいるのだから、当然――
「天使教なあ……。教会、余所へ建てるか」
うつら……としかけたところで、意外な言葉が聞こえて目が覚めた。
間近なブルーの瞳が、複雑そうな顔でオレを見つめている。
「前々から、要望は出てんだよ。天使教っつったって、主となるヤツがいねえだろ? だから、あちこちに野良教会がある状況でな。正式な教会を作ってくれっつってな。……正式って何なんだよ」
カロルス様は、愚痴を零して髪をかき上げた。
「けどまあ、ウチばっかりに人が来ても困んだよ。余所へ押しつけるか!」
それはそう。それでなくても、どんどん人が増えているロクサレンだもの。
都会を嫌うカロルス様には、あんまり好ましい状況じゃないんだろう。領主様、それでいいんだろうか……無欲と言えば聞こえはいいけれど。
「でも、どこに建てるの? 王都にはあるよね? あれも野良教会?」
人の多い場所と言えば王都だろうかと考え、首を傾げた。
「あそこは、国の息が掛かってるから大丈夫だ。あと、王都は風の精霊がメインだからな」
「じゃあ……ハイカリク?」
オレが知っている大きい都市ってそのくらい。だけど、普段過ごす土地に天使教の大教会ができると思うと、ちょっと微妙な気分だ。
「まあな。ウチからも近いから、順当だろうって話だ」
近い方がいいのか。チェーン店みたく徐々に全国展開ってやつだろうか。
「はー、権利だとかいちいちめんどくせえ。早くセデスが継がねえかな……」
きゅうっとオレを抱えて丸くなったカロルス様が、八つ当たりのようにぐりぐり頬ずりした。少し柔らかくなった無精髭と、濡れた肌。普段と違った感触が新鮮だ。
「でも、大体はエリーシャ様と執事さんがやってくれるんでしょう?」
「そうだけどよ……なら尚更、俺が領主じゃなくてよくないか? 俺は兵士をやればいいだろ」
よくないでしょう……この土地を賜ったのはカロルス様だろうに。
「カロルス様が兵士になったら、アルプロイさんが困るよ」
せっかく猛者ぞろいのロクサレン兵をまとめてくれてるのに、こんな規格外、たまったものじゃない。
今日は戦闘モードだったせいか、カロルス様のお仕事嫌々病が悪化している。
「じゃあ、アルプロイが領主をやればいい」
確かに、頭脳派で向いていそうではある。突如担ぎ上げられたアルプロイさんが、引きつった笑みで固まっているのが目に浮かんで苦笑した。
「領主は、カロルス様がいいよ。……今日は、疲れたもんね」
よしよし、と幼児にしがみついて不貞腐れる大人を撫でると、ちらりとブルーの瞳が覗いた。
「……疲れてねえよ」
それはそれで、どうなんだろうか。魔物の絨毯ができていたけれど。
「そういえば、カロルス様は怪我してない?」
ハッと身体を離して、ちゃぱちゃぱ湯を揺らしつつ小さな両手を滑らせた。
「遅っせえな」
されるがままのカロルス様が、可笑しそうに笑う。
だってそもそも、大きな怪我をしているとは思っていない。だけどかすり傷だって、お風呂に入ると痛いじゃない。
まじまじなで回して観察してみたけれど、多分、大丈夫。
「お前、回復したじゃねえか。あの時点で、大体デカブツは片付いてんだよ」
そうか、確かに……。じゃあ、あのときは多少怪我はあったんだろうな。回復しておいて良かった。
「デカブツって、やっぱり手強い魔物も居たんだ……」
「おう、ヒュドラほど厄介じゃねえけどな、Aランクが出たぞ! エリーとグレイが目の色変えて、絶対に剣技を使うなっつって魔物の方を庇ってよ――」
厄介じゃないAランクとは。
そして、貴重素材らしいAランク魔物は、大切に丁寧に屠られたそうで。
さっきまでとは打って変わって生き生きと目を輝かせる領主様には、本当に困ったものだ。
だけど、オレはそういうカロルス様が大好きなのだから、本当に困ったものだ。
「――じゃあ、また村でお祝いのお祭りしなきゃいけないね」
少々のぼせてきたオレは、ぺたっと大きな身体に身を伏せて笑った。
「祭り? ああ、それもいいかもな。何せ、肉が大量にあるし、素材もある。祭りにしてしまえば、後片付けが楽かもしれねえな」
そうか、素材か……。
ラキを呼んであげなきゃいけないな、と考えながら、オレの意識はゆるゆる霧散していったのだった。
活動報告には書きましたが、ひつじのはね、体調不良と連勤が重なって少々執筆滞っておりました!復活したので(そして連勤終わったので)書きます!!