845 大魔法
「……ね、ねえ!」
メリーメリー先生に促されるまま、舞台を離れようとした――その時。
一人が、引き留めるように声をあげた。
何かを期待するように、クラスメイト全員が足を止める。
「あの、さ! 今って兵士はほとんどいないし、ユータもいないでしょ。あんな魔物に対抗できる戦力がないわけじゃん?」
「だから、早く逃げないといけねえんだろ?」
首を傾げるタクトを、不安と決意に揺れる瞳が見つめ返した。
「だから、その。今、ここにいる最大戦力って……僕たちなんじゃない?」
その瞬間――空気が震えた気がした。
ぐっと奥歯を噛みしめた彼らは、倍ほども大きくなったように見える。
ラキは、苦笑と共に思い出した。あのとき、クラスメイトたちに火を付けたグレイの言葉を。
そして、今、広がる炎の中で既に決意した彼らの瞳は。
「……いいのか? 全員は、多分守れねえ」
「僕たちのリスクは、跳ね上がるわけだけど~」
最終的には、先生と共に自分たちが足止めするしかない。そう胸に秘めていた二人は、視線を交してクラスメイトたちを順繰りに見つめた。
「はあ? 元々守ってもらおうなんて思ってねえわ!」
「私らだって、ちゃんと冒険者なんだから! 自分の身に責任は持ってるんだからね!」
「それにさ、ここで大活躍すりゃ、出世間違いなしってワケじゃん?」
「ユータに胸張ってやろうぜ!! 俺らがやってやったんだぜってさ!!」
途端に元気になった彼らは、もう揺らがない。必死に避難を呼びかける先生の声だけが、そぐわない温度で響いていたのだった。
*****
すごい……これが、大魔法。
オレは、迫り来る魔物さえも忘れて、目の前の光景に目を奪われていた。
他校の大魔法とはもちろん、執事さんたちの大魔法とも違う。ひとつひとつは細くささやかな魔力が、絹糸のように澄んで緻密に編み上げられている。
細いからこそ、隙間なく。
弱いからこそ、幾重にも、幾重にも重なって。
透明な魔力が、一塊の強靱な魔力になる。
そこにいるのは、もはやひとつの生き物のよう。
美しい魔力を持つ巨大な生き物に惹かれ、魔素が溢れるほどに寄ってくる。
きっと、光っているのはオレ以外にも見えるのだろう。
呆然と足を止めた人たちがいる。
ゆるゆると揺らめいていた内部の魔力が、ぴたりと留まった。
ふいに、宣言するような声が朗々と響く。
「「我は、頭!」」
「「我は、腕!」」
「「我は、足!」」
「「我は、尾!」」
漂っていた光が、一気に収束する。
光の中で、揺らめく竜がグッと翼を上げて首を巡らせた。
「ド、ドラゴン……」
どこからか、畏怖の声が漏れる。
「「「――我ら14名、竜と成って敵を討つ!」」」
14対の瞳が、一対の視線となって彼方を睥睨する。その瞳が、すうっと細められた。
「「「ドラゴンブレス!!」」」
大きな白い翼が広げられたのが、見えた気がして――そして、光が爆発した。
音は、遅れてやってきた。
ズズ、と轟く振動に、観覧席から乗り出していた身体が落ちかかってハッとする。
視界の中に、さっきまでと違う光景が見える。
なぎ払われた魔物たちと、抉られた大地。
その中には、小山のように大きな魔物までいた。
まるで、カロルス様の一閃みたい。
なんだか、胸が詰まる気がした。
「よっしゃあ! やったぜ! 見ろよ!!」
「……タクトはなんでそんな元気なの~。僕、もう無理~」
馴染みの声に視線を下げると、舞台の上で一人元気なタクトと、呆れ顔のラキ。
そして、めいめいへたり込むクラスメイトたちと、腰を抜かしているメリーメリー先生。
「みんな!!」
感極まったオレは、一気に観覧席を駆け下りた。
「あれ? ユータいるじゃねえか。なんで泣いてんだ?」
「いなかったよ! さっき来たんだよ!!」
いつものように笑うタクトに飛びつくと、微かに傾いだ身体がオレを抱き留める。
ハッとして回復魔法を展開すると、クラスメイトたちの顔が少し寛いだ。
「ユー……タ??」
「え、それユータ?」
訝しげな視線を受け、少しばかりむくれる。肝心な時に居なかったからって、そんな言い方……
「ユーちゃん、来てたんだ~」
ラキがそう言ってオレを抱き上げ、クラスメイトに向かって人差し指を唇に当ててみせた。
「あっ、うん、そうだな! ユーちゃんって言うのか……めっちゃ可愛いな?!」
「いやあぁ! 私も抱っこしたい!!」
思わぬどよめきに、きょとんと目を瞬いて、視線を下げる。
視界の中にばっちり映る、白いエプロンと黒のスカート。
「うわ、うわわ! ち、違う! オレ、ユータじゃなくって!!」
慌てふためいてラキの胸に顔を伏せてなお、周囲からの生ぬるい視線を感じる。
「とりあえず、ユーちゃんは避難しておいで~? 僕たちも、避難しなきゃね~?」
着替えておいで、と耳打ちされ、一も二もなく頷いて駆けだした。
「えっ! ねえみんな、あんなちっちゃい子が! きっとはぐれたんだよ、助けてあげなきゃ!」
やっと魂が戻ってきたらしいメリーメリー先生の声は、背後から不意打ちでさっくりオレを突き刺したのだった。
「どうするのがいいのかな……」
魔物たちはなぎ払われたけど、全滅とはいかない。だけど、この程度なら森の暴走なんかであり得る数だ。ラキとタクト、そしてメリーメリー先生がいれば、クラスメイトたちはなんとかなるだろう。
チャトの背中で早着替えを終え、眼下を見下ろして眉尻を下げた。
街道は大混乱、進まない馬車を乗り捨てて走る人たちがいるせいで、街道自体が塞がってしまっている。
ただ、ドラゴンブレスのおかげで相当な時間を稼げた。ほとんどの人は逃げ切れるだろう。
問題は、まだバラバラと会場から続く人の群れ。逃げ遅れた最後尾あたりの人たちだ。
避難所みたいなものがあれば、何とかなるだろうか……。
頭を悩ませていたところで、ぽんっと顔の横へもふもふが出現した。
――素晴らしい見世物だったの。
フンスフンスと鼻息も荒く、群青の瞳を輝かせている、小さなふわふわ。
言い方! きっと、問題なく王都の方は騒動が収まったということだろうけれど。
――すごかったの! フウウゥルスイング!! がぶちかまされて、ドーンだったの! 風が、全部全部ぶっとばしたの! お城が極厚ガッチガチシールドだったの! 世界が終わっても残りそうだったの!
……なるほど、大体把握した。
その分だと、町のみんなも無事だね! なんだか、むしろ魔物たちに同情しそうな様相だ。良かったね、バルケリオス様はお城に引きこもっていられたようだ。
ひとまず、ラピスと管狐部隊が活躍していないようでホッとした。
「じゃあ、もしかしてシャラは手が空いてるかな?」
ここなら、王都に近い。少しだけシャラの力を借りてもいいだろうか。切羽詰まったらオレがやるしかないけど、そうするとちょっと、後々困ったことになるだろうし。
『主……成長したんだなあ』
『感無量』
目尻を拭うチュー助と蘇芳をじろりと睨み、オレはシャラの元へと転移したのだった。
ああ……やっと大魔法まで来た……(T-T)