844 混乱の中で
「ユータ、どうしたんだろ~? 不思議に思ってやって来そうなものなのに~。どこか行っちゃった?」
観覧席に戻ろうか、なんて声が増えてきたところで、ラキがタクトへ視線をやった。
「んー多分ユータ、いねえよ? 少なくとも近くにはいねえ」
しばし首を傾げたタクトの返答に、軽く頷いてみせる。
「じゃあ会場にいないんだろうね~。あの様子じゃ、呑気に屋台へ行ったりしてないだろうし~」
出場する自分たちより、よほど緊張していたユータを思い出し、少し笑った。
「あ、もしかして王都に行ってんじゃねえ?」
「確かに~! 王都の方で目立ってなきゃいいけどね~」
「けどさ、あいつ1個しか頭の中に置いとけねえから、俺らのこと忘れんじゃね?」
無言で交す視線は、何よりも雄弁にそれを肯定していた。
と、控えの間が急にざわつき始めた。
前方の他校生徒たちが、口々に何か言いながら立ち上がり始める。
「――おお、やっとか! 中止じゃないんだな!」
耳を澄ませていたタクトが思わず声を上げ、クラスメイトたちが顔を見合わせた。
「やる……らしいね。待ったかいがあったのかな?」
「だけどさ、お偉方はいないわけじゃん?」
期待半分、不服半分のざわめきが広がっている。
やがて、漂う緊張感と共に、前方の生徒たちが会場へと案内されていった。
「ユータ、間に合うかな~?」
「連絡しようがねえしな」
会場に響くアナウンスを聞きながら、二人は眉を下げて顔を見合わせた――その時。
「!!」
タクトが身構え、メリーメリー先生が飛び上がった。
「何? 何かあった~? 何だろう、変な感じはする~!」
「分かんねえ! でも、危ねえって感じがすげえする!」
「何何何?! 先生も分かんないけど……魔物の暴走? 魔力の暴走? ああ、気持ち悪い~」
ラキとクラスメイトたちが一拍遅れて戦闘態勢をとった時、会場からどよめきが聞こえてきた。
「離れんな! とりあえず外出るぞ!」
幼くとも手練れ揃いのクラスメイトたちは、一丸となって舞台の方へ走り出した。
「なんか……揺れてる~?」
「だな。観客が騒いでるせいだったらいいんだけどな」
走っていても分かるほどに、建物が振動している。会場のどよめきには、既に悲鳴が混じっていた。
「ねえねえ、先生アナウンスが避難って言ってる気がするんだけど!」
「避難って言われても~。何からか分からないと無理だよね~」
分かるのは、何か危険があるのだろうということ。
『みなさん落ち着いて避難して下さい! まだ遠い、間に合います! 兵士もいますからー!』
拡声道具を通してなお張り上げた声も、この騒ぎでは聞こえるかどうか。
ひとまず舞台へ出たクラスメイト一同は、大混乱となった周囲を見回した。
「何があったんだ?」
戸惑っている他校生徒を捕まえると、不安をありありと浮かべながら首を振った。
「分からない……! だけど、魔物が来たって! ねえ、僕らどこに避難すればいいの?! 迎えの馬車はまだ来ないよ?!」
聞くなり観覧席を駆け上がったタクトが、手をかざして遠くを眺め、大きく跳躍して飛び降りてきた。
「珍しく、よくない顔だね~」
ラキが口の端を上げ、表情を引き締める。
タクトは苦虫を噛みつぶしたような顔で頷き、口を開いた。
「魔物……の、群れだな。けど、何か変だ。一種じゃねえと思う。先生の言ってたアレじゃねえ? なんか、黒い煙みてえなのも見える」
「黒い煙って……まさか『悪夢の霧』?! な、なんでっ? もしかして、王都だけじゃなくてあちこちで同時に?!」
多発する可能性があったから、王都に兵が集められたのかも、とラキは投げやりに笑った。
「君らも、早く避難しなさい! ここは、わ、私たちが……」
残されていたらしい数人の兵が、口角から泡を飛ばしながら学生たちを押しやっている。
舞台の切れ目からは、既に魔物が見える。荒野の方から、無秩序に広がりつつ迫る、種々の魔物。
「なあ、あれ……」
「ロックヘッド?! 戦術級だろ?!」
ひときわ目立つ巨体は、まるで小山のよう。岩石じみた巨大な甲殻からは、無数の触手がはみ出して地面を這っている。岩を被った巨大アンモナイトの様相に、兵士の顔が引きつった。
数人の兵士で、どうにかなるものではない。
「逃げなきゃ……でも、どこに……」
誰かの呟きが、震えて消えた。
ここは、郊外。魔物の方が、足が速い。
「……みんな、逃げるよ! 先生がいるからね! あのデカいの以外なら、追いつかれてもなんとかするっ!!」
キッと視線を鋭くして、メリーメリー先生が踵を返した。
*****
「……うわあ。めちゃくちゃだ」
ひっそり転移したオレは、思わずそう漏らして絶句した。
死屍累々。ここは、魔物の墓場だ。
大丈夫、地面はまだある。多少じゃなく地形は変わっている気がするけれど。
黒い靄は、と探してみるけれど、見当たらない。
「これ、後片付けはどうするんだろう……」
そんなことを考えている場合でないのは重々承知なんだけど、そう思わずにはいられない。
累々と続く嫌な道しるべを辿っていくと、派手な戦闘音が響いてきた。
「あれ、どういう仕組みだったんだ? 黒いのが消えたら、もう出て来ねえのか」
「そのようですが……とりあえず、残念そうに言わないでもらえます?」
ドン、と走る剣筋。ひとつも無駄なく命中する氷の矢。
「はっ……?! ユータ様の気配がします!」
「本当ね?! 待って、ちょっと待って! 私今、はしたないわ?!」
ガントレットをつけたメイドさんと、珍しく乗馬服のような軽装の貴婦人が、返り血を浴びた姿で慌てふためき始めた。
「あの……大丈夫? 一応、回復はしておくけど」
不要だろうなと思いつつ、ふわっと回復の光を広げる。
「おうユータ、遅いぞ! もう祭りは終わりだ!」
汗と色んな飛沫で汚れた顔に、両の瞳がぎらぎら燃えている。
満ち満ちる力を持て余すように、カロルス様は大きく口の端を引いて、にっと笑ったのだった。
「――じゃあ、見えた頃には黒いもやが消えかかってたの?」
残る魔物を追い立てながら、Aランクたちはゆっくり歩く。
「そうなの。何か手がかりがあるかと思ったのだけど、何にも」
エリーシャ様が残念そうに肩を竦めた。
突如出現した黒いもやは、大量の魔物を吐き出して、すぐに薄れ始めたらしい。
「帝国の事例がありますのでね、調査できれば良かったのですが。アッゼさんとスモークが情報を集めていますが、同じ頃に王都でも発生したようですね」
執事さんが難しい顔をして顎に手をやった。
やはり、王都のものとロクサレンのものは同じ現象らしい。
そのとき、遠慮がちにちょん、とオレの頬に手を触れる小さなもふもふがいた。
「アゲハ、どうしたの? 怖い?」
そっと包み込むように撫でると、ふるふる首を振ったアゲハが、じっとオレを見上げて小首を傾げた。
「あうじ、戻やなくていい? まだ、だいじょうぶ?」
釣られるようにオレも首を傾げ……
「うん? あ……ああ~~~っ?!」
突如大声をあげたオレに、カロルス様たちが目を丸くしている。
「こっちは大丈夫だよね?! オレ、行ってくる!!」
返事など聞く余裕もなく、オレは涙目で転移したのだった。
「お願い、間に合っ……あれ?」
さっきまでの戦場と変わらない、嫌な感じ。
さっきまでと逆に、逃げ惑う人々。
「チャト!」
騒ぐ胸を押さえて上空へ舞い上がると、当たってほしくなかった予感が的中しているのが見えた。
「あれが、黒いもや……! みんなは?!」
既に薄くなっているようだけれど、まるで、高純度の邪の魔素が世界から漏れ出したみたい。
旋回しようとした時、大きな魔力が動いたのを感じた。
視線をやったオレは、ハッと動きを止めた。
――重い空気を塗り替えるように、軽やかな魔力が渦を巻く。
密やかな声は、歌うように、さえずるように。
一糸乱れぬ動きが、それぞれ無秩序だった魔力を紡いでいく。
紡いで、編んで、ひとつのものに。
編み上がっていく大きな魔力が、研磨するように洗練されていく。
混乱極める周囲の中で、ただそこだけは、別の世界のよう。
「みんな……」
どす黒く混じり合った色を分けるように。
きらきら光る大きな魔力が、魔素を呼んでいる。
惹かれるままに、見惚れるように、みるみる集まってくる魔素で、舞台が光に満ちて見える。
完全に舞いと同化した彼らが、場違いに恍惚と不思議な笑みを浮かべているのが見えた。
オレは、ただ固唾をのんでその光景を見つめていた。
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