843 危機的な状況
「魔物が……? どうして? もしかして、またゴブリンの集落?」
大量発生と言えばゴブリン。だけど生命の魔素が豊富なせいか、それともAランクの気配を感じるからか、ロクサレンは村まで魔物が来ることはほとんどない。
「ううん、何か色々らしいよ? 村からはちょっと離れてるんだけど、シールドを張った方がいいんじゃないかと思って、気が気じゃなかったんだよね」
シールドが必要なほど……?! だって、ここにいないってことは、カロルス様たちが出動しているってことだ。きっと、セデス兄さんが村の守り番なんだろう。
「そう……大物も含めてかなりの数がいるらしくて、もし万が一のことがあったら……」
浮かない顔のセデス兄さんに、大丈夫だと思っていたオレの心臓が早鐘を打ち始める。
「そんな! じゃあオレ、急いで手伝いに行ってくる!!」
大急ぎで転移しようとしたら、むんずと捕まえられた。
「セデス兄さん?! どうして――」
オレはもう、Dランクとして活躍している。そろそろ認めてもらってもいいはずだ。
非難を込めた目で、キッとセデス兄さんを見上げる。
「どうしてじゃないよ、こっちを手伝ってよ! 父上が嬉々として行っちゃったんだよ?! 魔物の大群なんだよ?! 万が一、村の方に剣技が飛んできたら……!! 『お前、弾いとけ』なんて軽く言ってくれちゃって! 無理だってば!!」
オレの心臓が、スンと静かになった。
「カロルス様たちの心配は……」
「だから! めちゃくちゃ心配なんだって!!」
うん、そうじゃないよね。オレの言ってるのはそうじゃない。
「手がいらないのが一番なんだけど、そういう危機的状況なわけ。だから、ユータはここで待機しておいてよ」
つまり、ロクサレンは今、領主による脅威にさらされているということだ。
「はあ……あっちの荒野は何もない所だけど、それはそれで訓練用とか、今後の発展のための土地として有用だと思ってたのに……! 土地が消滅したらどうしよう」
見当違い……でもない心配で頭を抱えるセデス兄さんは、案外領地のことを考えているらしい。ほんの少しだけ見直した。
「だ、大丈夫! もしそうなったら、オレがちょっとずつ元に戻すから!」
「本当? 助かる~! さすが僕の弟!」
『誰もかれもロクサレンすぎるのよ……』
『俺様、誰もまともじゃないってすごいと思うぜ!』
ロクサレンは悪口じゃないんですけど?!
ひとまずモモにシールドを張ってもらって、オレは詳細を聞くためにアフタヌーンティーの用意を始めたのだった。
*****
「なんか、騒がしいな。ここで待っててもしょうがなくねえ?」
「何かあったらしいね~。僕らの番、回ってくるかな~」
何気ないラキの台詞に、緊張感を高めていたクラスメイトから『ええ?!』と悲鳴が上がる。
「ここまで来て中止とかないよ!」
「またの機会があるとも限らないのに……」
大魔法の順番は、次の次。だけど、そこから一向に進まなくなってどのくらいだろう。
次に披露するはずだった他校の学生たちが、不安げな顔を見合わせて憔悴している。
「みんな~! なんかね、お偉いさんたち帰っちゃったみたい! せっかく、せっかくみんな頑張ったのに……! 大会は継続の方針で話が進んではいるみたいなんだけど、そんなのってないよね……」
飛び込んできたメリーメリー先生が、そう言ってぐすぐす鼻水を垂らした。
「どういうこと~? 戦争でも始まった~?」
とんでもない発言に、ぎょっとした視線がラキへ集中する。
「そこまでじゃないよ! なんか王都の方で魔物が大量発生したって! 一時的なものっぽいんだけど、念のためこの会場の兵にも帰還命令が出たみたい……」
それは多分、両手に持っている串焼きを買い回るうちに、知り得た情報だろう。
「ええー! じゃ、一般客しかいないの? どんなのぶちかましても意味ないってこと?!」
「あんなに頑張ったのに?!」
お偉方の目に留まること、それはこの大会での大きな目的でもあり、ユータの懸念材料でもあったわけで。
「そう、そうだよね……。先生、ちょっと行ってくる! 頑張ったら追いつけるかも!」
くるっと踵を返そうとした襟首を、タクトが素早く捕まえる。
大分前に発った馬の足に追いつけるのは、シロくらい。そもそも、追いついてどうするのか。
「王都か……メイメイ様いるし、大丈夫だよな! じゃあさ、メイメイ様のドラゴンブレス、見れんのかな!」
「そうだね~最強戦力が集まる場所……のはずだし~。一応、Sランクのバルケリオス様もいるし~」
ちらりと頭をよぎったロクサレンの名は置いておき、泣きわめいているだろうバルケリオス様の姿は押しやって、大丈夫と頷いた。
「なんか最近、ちょこちょこ魔物大量発生するよな」
「さすがに兵に帰還命令出るのは、そんな害虫みたいなレベルの話じゃないと思うけど~。でも不穏な噂は聞くよね~」
ラキたちが首を傾げていると、大人しく串焼きを食べていた先生がごくりと肉の塊を飲み込んで、口を開いた。
「そうなの! だから先生たちも実地訓練に悩んでて。外国では『悪夢の霧』とか『魔物の靄』って現象が起こって、甚大な被害があるんだって! 怖いよね、この国でも起こったらどうしようね!」
顔を見合わせた生徒たちは、誰もが初耳らしい。タクトがずいと身を乗り出した。
「なんだそれ? そういう名前の魔物なのか?」
「現象だってば! なんかね、急に黒い霧が湧き出してきて、魔物がわんさか出てくるんだって……」
両の頬にお肉を詰めながら、メリーメリー先生は身震いするように首を竦めた。
……それなんじゃね? 生徒たちは、再び無言で顔を見合わせたのだった。
*****
「――これ、美味しいね! すーっとする感じが癖になりそう」
しゃくり、セデス兄さんが小さなスプーンできらきらをすくって口へ運んだ。
これは、先日フシャさん・ドースさんと朝ご飯を食べた時のフルーツティー……を、アレンジしたもの。
ばらした果肉とミントっぽい香草シロップを追加して、シャーベット状にしてみた。
透き通るオレンジ色が、目にもスッキリと頭をクリーンにしてくれる。
「それで、その霧? から魔物が湧いてくるの?」
「そうみたいだね~、で、ウチは村から霧の発生源まで遡るように討伐して行ってるってわけ」
「よく被害が出る前に気がついたね……」
荒野の方は、正直人もいないし何もない。魔物が発生していても、村で被害が出てから気付きそうなものだ。
「うちは帝国にも近い、国の端っこでしょ? 帝国で結構な被害があったらしいから、当然警戒してるよ。ただでさえ、最近魔物被害が多いしね」
そうなのか……! そんな話、全然知らなかった。実は本当にロクサレン家って領主様だったんだなと思う。情報を集められるのなんて多分、メイドさんたちと執事さんと、あとスモークさんとアッゼさんと……うん、結構いるな。それも世界随一レベルに優秀な連中が。
「あ! もしかして王都でもそれ、発生してるかも! 帝国のモニャって、靄のことじゃない?!」
「そっか、でも王都とウチだけなら、割とこっち側にとって最適解な場所だね」
にやりと笑ったセデス兄さんに、カロルス様の面影が見える。
確かに……よりにもよって、どうして一番戦力のある場所に出現しちゃったんだろうね。
溶けたシャーベットをくいと飲み干し、キンと鋭い冷たさが喉を流れ落ちるのを楽しんだ。
爽やかな柑橘の香りが鼻を抜け、頭が冴え冴えとしてくる気がする。
漂う『嫌な感じ』が相当薄くなっていることを考えると、多分霧自体はもう消滅しているんだろう。あとは、カロルス様たちが帰ってくるのを待つだけだ。
「こっちはモモがシールドを張ってるから、オレちょっとカロルス様たちを見てくるよ!」
「いいけど、気をつけてね? 興奮してると思うから、遠目に見るだけにしておきなよ」
多分それ、魔物のことじゃないよね。
頷いたオレは、念のためにシールドを張って転移したのだった。
先日無事に展示会終了しました!
羊毛作品は(デカブツ除き)完売です~!作品集はあるので、少しだけ「ひつじのはねショップ」に置いておきますね!次の展示会もよろしくお願いします!