841 他人のふり
「……簡単だと思ったけど、間違っちゃいそう」
真正面からの風に目をしょぼつかせ、ふわあ、と大きなあくびをする。
だって、依頼遂行と会場散策を平行してやるなら、その都度衣装&姿チェンジをしなきゃいけないってことだ。
すっかりそのことを失念して、朝からユータリアでシロ車に乗り込むところだった。
「それはそれでマズいけど、慌ててオレのままでメイドさんの衣装、なんてことになったら大惨事だし」
『大して変わらん』
小馬鹿にして鼻を鳴らすチャトに、やれやれと肩を竦めた。まあ仕方が無いね、どうやら猫には分からない感性らしい。
今は冒険者ユータが、空のケージを乗せて街道を走っているところ。すれ違う馬車に手を振るのも忘れない。
「みんなの出番は最後の方だよね……ああ、ドキドキする!」
他の学校は魔法使いしか出ないので、せいぜい1クラス5、6人程度。クラス単位だと足りない学校は、学年単位で出るみたいだ。
そういう事情もあって、今回魔法使いの多いオレのクラスが選ばれたんだろう。……危なかった、オレたちが学年単位で出ていたら、前代未聞の数になるところだった。
つまり、14人で参加するオレたちは圧倒的に数が多い。規模も大きいだろうってことで、ラストの方へ持ってこられたらしい。ちなみに、最後は貴族学校だったかな。
そう、今日が、決戦の日。
オレは参加しない。しないのだけど……タクトとラキがいつもと変わらなかったからだろうか、誰よりも一番緊張しているような気がしてくるのだった。
「――えっと、あとできることは……」
朝方は眠気に負けて気が逸れていたけれど、日が昇るにつれ、ますます落ち着かなくなってきた。
そわつく気分を何とか抑えようと、シロ車は終始キッチンカーと化している。きっと、オレたちの通った街道には良い香りが漂っていることだろう。
暇を持て余したおかげで、みんなへの差し入れは中々気合いの入ったドラゴンクッキー。ちゃんとお野菜パウダーで色をつけ、大魔法でイメージしていたドラゴンを象っている。これなら、味と共に記憶にも刻まれるだろう。
「も、もういいかな?! もう行ってもいいよね?!」
クラスの出番はまだ先だけど、オレにはそれまでに会場散策を楽しんで、他の学校の魔法を見学する計画がある。そして出番の前では再び冒険者ユータとなって街道で顔を見せ、アリバイ工作だ。
もちろん、絶対見逃さないよう管狐偵察部隊を派遣して、直前に戻るようにする。
昼前に我慢の限界を迎えたオレは、ちらっと街道の休憩所に顔を出し、すぐさま発って姿を隠すべく林道の方へ向かった。
「よし、じゃあ行くよ! チャト、スタンバイOK?」
「にゃー」
気合いの入らない返事に頷き、ラピスに視線をやった。
――準備バンバンなの! 作戦決行、射出用意! 3、2……いちっ!!
随分気合いの入ったフェアリーサークルが発動し、ふわっと光に包まれる。
と、次の瞬間体勢が崩れて、ぐんと下へ引かれた。
――幸運を祈るの!
きゅっと鳴いた声があっという間に遠くなり、ごうごうと冷たい風が全身を嬲る。時折視界が白いのは、雲だろうか。
重力に引かれるままに、小さな身体が石のように落下していく。服が、ばたばたと鳴った。
「寒っ……! 上空とは言ったけど――チャト!」
白、緑、水色、とぐるぐる回転していた視界が、ふいにオレンジ色でいっぱいになる。
落下に沿うように案外上手にオレを受け止めたチャトが、すうっと水平飛行に移った。
ばさり、大きな翼がはためく安定した音。
ふわふわ温かな毛並みに包まれ、震えていた身体から力が抜けた。
末端から冷えていく身体を押しつけ、頬をすり寄せる。
「あったかい……」
『冷たい』
不服そうな声にくすりと笑い、顔を上げた。
「着替えるには風が冷たすぎるね、シールドを張るよ。会場までは……」
レーダーで人の集まる場所を探すと、それなりに近い。空を行くチャトなら、5分もかからないだろう。
「下から見えない高さで、ゆっくり飛んでね! 急いで変装するから!」
世にも珍しい、上空早着替えだ。鏡なんてないけど、大丈夫。
『もうちょっと、こう……うん、いいわ!』
厳しいモモ基準をクリアして、無事メイドユータリアに変装すると、眼下に目を凝らした。
「なんだか、すごい所だね」
普段は魔法兵などの訓練場になっているそう。空から眺めると、球場のような施設の周囲には殺風景な荒野が広がり、その遙か先は海という位置取りだ。なるほど、これなら執事さんクラスやカロルス様クラスがぶちかましても、ひとまず自国に被害は出ない。
そして、すごく……胸のざわつく感じがある。たくさんの大きな魔法が使われてきたせいで、魔素が乱れきっているからだろうか。
「なんか、ちょっと気持ち悪いね」
戦場ってこんな感じなのかもしれない。以前、モノアイロスの群れと戦った時みたい。
だけど、雑多な魔素があるからこそ、色々な魔法を使いやすいのかもしれない。
気を取り直して会場付近へ転移し、無事に人混みに紛れて会場内へ潜入成功。小さな身体も役に立つというものだ。
「大魔法は、まだなのかな? みんなどこにいるんだろう?」
本当にお祭りなんだな……こんなに辺鄙な場所だというのに、結構な人がいる。
会場自体は賑やかな活気に溢れ、魔素の乱れも感じない。少しホッとしてきょろきょろ見回してみるけれど、オレの背丈では人の尻しか見えない。やっぱり小さな身体は役に立たない、と密かに毒づきながら、匂いを頼りに屋台の方へ向かった。
「串焼きは、やっぱり定番なんだね。お手軽だもんね」
お昼時もあって、屋台付近は尚更大混雑だ。お肉の焼けるいい香りが方々から漂ってくる。こんなところでカレー屋台を出したら大変なことになっただろうな。
「おいおい嬢ちゃん、もう持てねえだろ? そんぐらいにしときなよ」
ちょうど目星をつけた屋台に並んだ折、間近で困惑の声が聞こえた。学生が多いから、食べ盛りも多いだろうな……と何となくそちらへ顔をやって、そっと視線を逸らした。
「まだイケますっ! ほら、この指の間に差して下さい!」
それは武器か何かだろうか。それとも生け花的な現代アート?
小さな両手の握り拳いっぱいに保持した串焼きの数は、10を超えるだろう。指力がすごい。
鼻息も荒く紅潮した頬に、きらきら輝く淡い緑の瞳。後頭部には相変わらず寝癖が揺れていた。
「学生だろ? 友達はどこ行ったんだよ、よりにもよってこんなちんまい嬢ちゃんに買いに行かせなくても……」
ふらふらする串焼きを追って、屋台のおじさんの視線も右へ左へ不安に泳ぐ。
「いえっ! これは全部私のなのでっ! それに私、学生じゃなく――」
ビシリ、と右手の串焼きを突き出そうとした所で、耐えきれなかった全ての串がぐらりと下を向いた。
はらはらしていた周囲と彼女自身が、思わずあっと声をあげた。
「――もったいねえだろ!」
その瞬間、串焼きたちは突如現れた皿に見事受け止められていた。
既に涙で潤んでいた大きな瞳が、ぱあっと輝いて皿を持った野性味のある少年を見上げる。
「ありがとう~~! 危うく参加の意義を失うところだったよっ!」
「それが意義だったのかよ……」
少年が諦観とも取れる眼差しで苦笑して、彼女の背後に視線をやった。
「どこ行ってたのかな~? 一人で出歩いちゃダメって言ったよね~? さあ帰ろうか~」
いつの間にか、背の高い少年が後ろで優しげに微笑んでいる。
華奢な両肩にそっと手が乗せられ、やんわりと向きを変えられたところで、彼女は自分を挟む二人の少年へ交互に視線を走らせた。
「で、でも先生はまだ――っ?!」
その口の中へ、何かが放り込まれて台詞が止まった。
「先生……?」
訝しげな顔をした群衆へ、少年はすうっと涼しい風の吹く微笑みを浮かべて会釈した。
「先生ごっこは後でね~、じゃあ、ご迷惑おかけしました~」
嬉しそうに咀嚼するメリーメリー先生は、そそくさと二人の少年に護送され立ち去って行く。
――と、彼らが雑踏に紛れようとした時、ふいに赤茶の髪の少年が振り返った。
真っ直ぐこちらを射貫く視線に絡め取られた瞬間、にやり、とその顔に笑みが浮かぶ。
……しっかりバレていたらしい。
まあいい、この格好ならメリーメリー先生とは他人を装える。
オレはせっせと屋台の料理を買い占めながら、密かにタクトとラキを追いかけたのだった。