840 目立たない一般的なもの
ふはっ、と息を吐き、動かし続けた手足を止めた。
そのままぱたりとひっくり返った草地が、ほどよく冷えて心地いい。
見上げた空は、まるで祝福のように朱に染まっていく。
「……おわった、のか?」
「やりきった……俺たちは、やり遂げたんだ……!!」
ぽつり、ぽつりと夢うつつのように呟かれた言葉が、さざ波のように広がって心を震わせた。
そう、オレたちは勝ったんだ……!
沸々と沸き始めた鍋のように、堪えきれなくなった料理人たちが歓声を上げて拳を突き上げた始めた。
『終わった? お食事いっぱいだね! いっぱい食べられるね!』
いつの間にか側にいたシロが、大きなあくびをしながら尻尾を振った。
食べちゃダメだよ……せっかく作ったんだからね?
「ふふ……ジフが帰ってきたらきっとビックリするよね!」
してやったり、だ。新兵ばっかりだと思ったら大間違い、オレがいるんだから!
満ち足りた気分で、もうここで寝てしまおうかとシロを枕に目を閉じる。
「……こんな所に落ちてたね」
さあ目を閉じようとしたかしなかったかのうちに、ひょいと身体が持ち上がった。
「ユータって、寝てるか料理してるかだよね。いい匂い~」
オレの腹に顔を突っ込み、王子様が深呼吸している。
「もう、オレ疲れてるんだから! ベッドまで連れて行ってくれるならいいよ!」
「何が『いい』なんだか。そろそろ夕食だけど、もしかして夜もカレーな感じ? 別に嫌じゃないけど、ユータがいるから何か出てくるかなって。だってさ、ずっといい匂いがするからお腹すくんだよね」
そう言って、セデス兄さんは館の方へ足を向けた。もちろん、オレを抱えたまま。
それってこの疲れ切ったオレに、何か夕食を作れと言っているんだろうか。
そんな無体なことを言うなら、野菜オンステージなディナーにするからね! むっすりとへの字口をしたところで、セデス兄さんが首を振った。
「別に作らなくたっていいじゃない、ユータはきっと何か持ってるでしょ。それ食べようよ」
「何かって……収納の中? まあ、それなら」
不良在庫がいっぱいあるし、何を入れていたか忘れてしまいそうだから、処分するのもいいかもしれない。
促されるままに食卓に雑多なものを並べていると、どうやって察知したのかカロルス様もやって来ていた。
「いいじゃねえか、色んなモンが食える。カレーはねえのか?」
「うわ~本当いっぱい持ってるね! これなら十分じゃないかな! ありがとう、じゃあね!」
既に残り物尽くしにかぶりついているカロルス様と、にっこり手を振るセデス兄さん。
うん? 確かにオレはさっきまで散々作っていて、お腹は空いていないけど……。
「じゃあねって――え?」
首を傾げたところで、ふいに身動きが取れなくなった。
気配もなく背後からオレを拘束した、しなやかな二本の腕。
そのとき――オレは、何のためにここへ来たのかを思い出したのだった。
「最高」
エリーシャ様が、なぜか満身創痍の様相でかろうじてそれだけ言った。
マリーさんは、荒い息を吐きながら何かに苦しんでいる。まるで、猛毒でも受けたよう。
試しにくるりと回って見せれば、ぐはっと血を吐くような声を上げて二人は崩れ落ちてしまった。
……相変わらずだ。もう何度もこんな格好しているというのに、二人は相変わらず。
オレは、苦笑しながら姿見を眺めた。
うん……これは……うん。
やっぱりというか、当然というか、ユータリアではある。散々ユータリアで過ごしたせいで、割と平気になってしまった自分が怖い。
今回はどんな恐ろしい衣装かと思ったけれど、これはマシな方……? だって、作業着だもの。そう、これがアレな感じだと思うのは、オレが元いた世界の影響を受けているだけ。
「だけどこれ、もしかしてモモが助言してない?」
だって、マリーさんが着ているのと大分違う。
『あら分かる? だって、この素晴らしい衣装の真価を発揮しなくちゃ勿体ないじゃない!』
真価は、動きやすく目立たないことじゃないんだろうか。
『ぼくとお揃いだね!』
シロが嬉しげに前足で跳ね、オレの周囲を駆けた。
そうか、確かにシロも同じ衣装があったね!
そう、オレが着せられているのは定番中の定番――メイド服。
こちらではまさにメイドさんの制服だもの、恥ずかしいものじゃない。絶対に違う。
これはオレの意識の問題だ。色はシンプルで男性の正装でもあり得る白と黒、装飾だって最小限だ。セデス兄さんが時々着せられているような、破廉恥な露出もない。
「これはある意味正解かもしれない……」
メイドさんなら、どこにいてもおかしくない。会場で目立つはずもない!
そして今後もユータリアになる必要があれば、この衣装が一番無難……!!
オレは深く頷いて、ぐっと拳を握ったのだった。
「か、可愛い……ちっちゃいメイドさん……これは可愛いよ」
まだ食べていた二人の元へ戻ると、セデス兄さんが額を押さえてテーブルに突っ伏してしまった。
「で、でも、小さい子が見習いすることもあるでしょう? 不自然じゃないよね」
言いつつ散らかったテーブルをせっせと片付ければ、気分まで本当のメイドさんになったみたいだ。
「これは……いいのか? 大丈夫なのか? 囓りたくなるぞ」
ちょこまか働いていたのに、ひゅっと伸びてきた腕に捕まって抱え込まれてしまった。
あむ、とほっぺを囓ろうとする顔へ両手を突っ張ってジタバタする。どうしてカロルス様は口に入れようとするのか。普通、目に入れても、とかじゃないの?
「ああ~やってしまった。やってしまったのよぉ! 見慣れたメイド服なら攻撃力が減らせるかと思ったの!」
「ですが、ですが……!! まさかこんな最終兵器になるとは想定外で! こんなはずではっ!」
時々転がり回るせいで、服までボロボロになりつつある二人が、血走った目で必死に訴えている。実験に失敗して災厄を生み出してしまった魔法使いみたいだ。
そんなこと言われたら、気になってくるんだけど。これなら大丈夫かと思ったのに、ダメだろうか。
不安に駆られたオレは、あまり参考にならないロクサレンの人たちではなく、他人の意見を聞くべく転移したのだった。
「ねえ」
声をかけるまでもなく、さすが野生の勘、転移と同時に視線がこちらへ向いていた。
「――っうわああっ?!」
と、その目が大きく見開かれ、抱えていた剣ごと後ろへでんぐり返してベッドから落ちた。
思わぬ反応にぽかんとしていると、ぽんと頭に手が置かれた。
「いらっしゃい、ユーちゃん~。その格好の時は、いきなりタクトの側に行かない方がいいかも~」
くすくす笑う声を聞いて、ベッドの向こうからそろそろ赤茶の頭が持ち上がってくる。
「……ユータかよ!! ビックリさせんな!」
オレに決まってるよね?! 転移してやってきたんだけど?!
「それ、もしかして当日の変装~? う~ん、確かに衣装の選択としては、目立たないはずなんだけどね~」
さすがラキ、何を言うまでもなく察したらしい。
「そうでしょう? 一番紛れ込める姿だと思うんだけど……なんかみんなの反応が微妙で」
ベッドの上でぱふぱふ跳ねてみせると、座れ! とタクトに押さえ込まれてしまった。
「だろうね~。だけど、僕が思うに、どんな格好しても結局同じじゃないかな~」
「そうか? めちゃくちゃ詰め物して、太った子供にすりゃいいんじゃねえ?」
「動きにくいじゃない……しかも、口の中にも詰めるんでしょう? 屋台でものを食べられないと困るよ!」
「それは多分、ロクサレンの人たちが許さない気がする~」
『よく分かってるじゃない』
モモが大きく頷いて弾んだ。いつの間に作ってもらったのか、メイドさんエプロンとカチューシャがついていて、とても可愛い。
「じゃあもう何でもいいんじゃね? どうせお前、元のままでも目立つし」
反論しようと口を開きかけたオレは、アリバイ道中のことが頭をよぎって、静かに口を閉じたのだった。
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