839 口にしてはいけないその名
「ただいま……」
いつものオレの部屋。そうっと呟いてみたけれど、いつもいの一番に出現するマリーさんが来ない。
ぱふっと布団に倒れ込むと、お日様を感じるふかふか感。肌に触れる乾いた布地が心地いい。
そして、条件反射のようにやってきた睡魔と、少しばかり小競り合いを開始する。
『ただいまー!』
ほんの少しうつら、とした瞬間に聞こえたのはシロの声。いくらなんでも早すぎやしないだろうか。
『お前の寝るのが早いんだ』
小馬鹿にしたチャトの声は聞き流し、己を叱咤してベッドから転がり落ちた。
窓を開けると、待ってましたとばかりにシロが飛び込んできた。
モモシールドがあるので、ニーチェたちは無事……うん、無事だけど随分疲れていそうだ。
「ここ、オレの部屋だからゆっくりしているといいよ」
「ニ、ニィー……」
2匹を抱き上げてベッドへ乗せると、くったり横になってしまった。
オレの寝場所が取られてしまったので、さてどうしようか。
マリーさんとエリーシャ様がいる場所は、レーダーなんてなくても想像がつく。それだけに、そこへ行くのは憚られた。呼びに来ないんだし、まだ大丈夫。
「厨房でも行ってこようかな。猫缶も大分減ってきたし、カレーも補充したいしね」
現実から目をそらすように、そう呟いて立ち上がる。
『もう諦めて、早く試着に行けばいいじゃない……楽しみね! 町娘風かしら? それとも良家令嬢風? ううん、きっとどれも揃っているわよね!』
激しく伸び縮みするモモが、肩から飛び降りて廊下を弾む。
『私、ちょっと見てくるわ! チュー助も来てちょうだい』
『え、俺様も~?』
『この際、チュー助も色々注文しておけばいいんじゃないかしら? 騎士服とか、作ってくれるかもしれないわよ』
言われたチュー助の目はキラキラ、口元はによによ、満更でもない様子で『いやいや、俺様はあくまで冒険者なわけだしィ』なんてもじもじしている。
どうも、女の子衣装は確定らしい。駆けて行く二人を見送って苦笑した。
まあそうだろうな……そのうち、オレの服よりユータリア衣装の方が増えそうな気がしてくる。
「そんなに衣装を作ったって、すぐに着られなくなるのにね」
エリーシャ様たち、オレが大きくならないとでも思っているんだろうか。
だけどそう考えると、せっかくあんなに一生懸命作ってくれるのだから、今のうちに着ておかなければ申し訳ない気持ちもある――多少は、ね!!
苦笑しながら厨房をのぞき込んで、ちょっと目を瞬いた。
この時間、朝食は終わって昼食の支度も終了しているはず。つまり、休戦中のはずなのに。
「くそ、外の状況はどうだ?!」
「あっちも手一杯だ! ここは、俺らだけで守り切るしかねえ!」
「ウッ……すまん、もう意識が……」
「馬鹿、お前が抜けたらどうなると思ってんだ! 耐えろ! もう少し、もう少しでボスが戻ってくるから……!!」
……鬼気迫っている。
さながら、敗戦濃厚な戦場に残された新米兵士の集団。
厨房外の庭でも、作業をしているのが見える。
オレは、そうっと足を引いて、ゆっくり顔を引っ込める。大丈夫、誰も気付いていない。
――というわけにはやっぱりいかなかった。
鍋をかき混ぜながらふらついていた人が、頭を振って顔を上げた瞬間。吸い寄せられたようにオレと視線が絡む。
「――あ」
小さく、だけど起死回生の可能性を見たように。その口から漏れた音は、幽鬼のような顔をした全員の耳に届いた。
虚ろな視線が、一斉にオレを捉える。
溢れていた音が、しんと静まりかえった。
じわり、溢れる嫌な予感とは裏腹に、彼らの顔には徐々に喜色が浮かび始める。
厨房には、くつくつ湧く鍋の音だけが響いて――彼らの震える唇が、歓喜と共に開かれた。
「「「ま、魔王ーーッ!!」」」
どっと上がった歓声が耳を突く。
………………ちょっと待って?
一瞬どころじゃない疑問が逃げようとしたオレの足を止め、まんまと伸びてきた腕に捕まってしまった。
「うおおー! 捕った! 捕ったぞ!!」
「幻覚じゃねえよな?! 本物だよな!」
まるでツチノコをゲットしたような盛り上がりっぷりに、これはもう逃げられまいと観念する。
「分かった! もう、手伝うから! それより何より、聞きたいことがあるんだけど?!」
お神輿状態になりそうなのを制し、オレはひとまず周囲に回復など施したのだった。
「――それが、どうして『魔王』になるわけ?! みんなだって魔物食べるじゃない!」
オレはぷりぷり怒りながら鍋をかき混ぜる。オレの呼び名がカニから触手、そして色々飛び越して魔王に進化してしまった。
どうして、『色んな魔物を食べるから』って理由で、オレだけそんな扱いを受けるのか。
魔物は別に忌避されているわけじゃないし、ごく普通に一般人から王様まで食べる。まあ、王様が本当に食べているのかは知らないけれど。
「いやあ……色んな魔物を、っつうか。どんな魔物でも、っつうか」
「全ての魔物を食うなら、ほら、魔物界の頂点捕食者ってことで……」
だからって魔王?! おかしいでしょう! そしてなんで魔物界にオレを入れたわけ?!
「だって色々人外な噂を聞くし……なあ」
回復で顔色の戻った彼らが、へへ、なんて視線を交わして気まずそうに笑う。
「俺らも、さすがに酷えあだ名だと思って……本人に言うつもりはそんなに無かったわけで」
「そうそう、ただの陰口なんで」
それも本人に言っちゃダメなやつだと思うんだけど?!
『天使と魔王……』
ツボに入ったらしい蘇芳が、笑いの発作に苦しんでいる。
やめて! オレ、嫌なんですけど。そんな小っ恥ずかしいあだ名の数々。
――我ら、魔王直属精鋭殲滅部隊と天使直属清廉粛正部隊として、その名に恥じぬようシュワンとするの!
ほらあ! さっそくラピスが目を輝かせてるじゃない! ちなみにシュワンはオノマトペじゃなくて、発揮するものだと思うんだ。難しい単語は言えたのにね……。
「もうそのあだ名禁止! それで、ジフはどこ行ったの!」
怒りの矛先をジフに向けたものの、どうやらロクサレンを出ているらしい。
「カレーと猫缶が恐ろしい勢いで各方面から要求されるもんで、食材が尽きそうで……」
「俺らとしちゃ、尽きたら終わりでいいと思ったんだが」
「それが、エリスローデに伝手があるとかで……」
カレーと猫缶、大盛況だったもんね。うん、聞いたことあるな、エリスローデ。
オレは、スッと怒りの形相を消して、目をそらした。
「そ、そっか。大変だったんだね! 大丈夫、オレが手伝うから」
にっこり微笑んで庭へ出ると、期待に満ち満ちた視線がついてくる。
すうっと息を吸い込んで、両手を地面へついた。
「行くよっ! 総力キッチン展開!」
ズズッと大地を揺らし、さながら要塞のように無数のキッチン台とコンロが立ち上がる。
料理人たちから上がる野太い歓声に気を良くし、さらに頭上へ両手を広げた。
「管狐部隊キッチンフェーズ! 魔王部隊・天使部隊両翼全速全開フル稼働! 全力殲滅粛正モード!!」
「「「きゅううっ!!!」」」
ぽぽぽぽっ!!
オレの左右に、まるで翼を広げるように管狐たちが出現する。
見よ、力強く現れた部隊の目の輝きが違う。かけ声ひとつで、これほどにやる気がみなぎるのだ。
――ラピスは、ラピスは一生ユータについて行くの!
感涙せんばかりのラピスに、重々しく頷いてみせる。
『この主にしてあの従魔、か』
……ねえチャト、一応、チャトの主もオレなわけで。
「さあ、始めようか! 全ての食材に片を付けるよ!!」
「「「きゅうっ!!」」」
「「「おおっ!!」」」
コンロへ一斉に火が灯る。
合図と共に管狐が飛び出し、食材が宙を舞う。
いざ、決戦の時。
オレは両手に刃物を携え、一歩踏み出したのだった。
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