838 アレのアレ
「へぇ……あんな遠くの山まで行くのか? 一人で?」
「今回はオレ一人で請け負ったからね! 普段は3人パーティなんだよ」
ドースさんの日に焼けた顔が、たき火に照らされて赤鬼みたいだ。
隙を見てテントの設置を終えたオレは、ようやく落ち着いてたき火の前に座っている。ラピスの『見つかりにくくする魔法』も使えば、思ったより簡単だった。
「あとの二人は怪我でもしたの? さすがにさ、一人ではキツくない? 道中もそうだけど、山だよ? 結構標高もあったはずだけど」
眉根を寄せて見つめられ、慌てて首を振った。
「大丈夫! オレ、王都までもよく一人で行くんだから。一人って言っても、ほら、シロたちがいるし」
まあ、王都までは転移で行くのだけども。大丈夫を強調しておかないと、この二人、ずっとついて来そうな気がして。
「俺たちが送れたらいいんだけど、さすがに遠いよなあ」
「俺らは俺らで、依頼受けてるからな」
それを聞いて密かに安堵する。これ以上一緒にいるのはマズい。交流を深めすぎると、アリバイ工作に色々ボロが出そうなんだもの。
『よく分かってるじゃない』
『成長』
モモと蘇芳が訳知り顔でうんうん頷いている。
ちょっと不貞腐れたけれど、さすがにオレだってそのくらい分かる。もう少し危機感を持って過ごせればいいのだけど……幼児は緊張状態を長時間保てないらしい。
そう、悲しいかな、全てはこの魂と体の影響によるもので。
『お前から緊張感を感じたことはなかったが』
『あなたいつも、窓も扉も開けっ放しで注意されていたじゃない。そのまま縁側で寝るから』
……そんなことは『オレ』の記憶にはない。それに、シロやチャト、銀次おじさんがいたんだからきっと大丈夫だったんだよ。
そう思って、気がついた。
「あれ? だったらさ、今はみんながいるんだもの。当然油断も隙も溢れるわけで」
『溢れるな』
チャトの台詞を聞き流し、ちょっと納得してしまった。子犬や猫すら頼りにして気を抜いていた人間が、幼児になって急にしっかりするわけがないよね。
「みんなって、あのデカくて賢い犬とそのスライムか? ああ、猫もいるんだったか」
大人の低い声に現実に引き戻され、自分の目が半分になっていたことに気がついた。ほら、言ってる間にこれだ。
『俺様もいるんですけどぉ?!』
『あえはもいるですけどぉ?!』
シャキーンとポーズを決めた二人に、フシャさんが苦笑した。
「ちっこいものばっかだけど、割と大所帯だったんだ。その中だと、確かにあの犬は頼りになるよね」
相手にしてもらえなかったチュー助が、よしよしとアゲハに慰められている。
「そう、一人に見えて実は結構な大所帯なんだよ」
オレは透明な煙のたなびく夜空を見上げ、にっこり笑った。
――そうなの! ラピスたちはオオジョ隊、いつでも戦闘に入れるの!
張り切るラピスと、『きゅっ』と鳴く管狐部隊の気配。こんなにたくさんいるって知ったら、彼らはきっと腰を抜かすだろうね。
ちなみにラピス、大所帯は強い部隊とかそういう意味ではないから。
まだまだ賑やかな野営地の中で、小さな口から大きなあくびが漏れる。
「昼から寝てたんだろ、まだ眠いのか」
めざとく見つけたドースさんの声音が呆れている。オレだってそう思うけど、まだ眠い。いや、また眠い、だろうか。
またそこらで寝て大騒ぎされないよう、今日はちゃんとおやすみを言ってテントに引っ込んだのだった。
「……本当に大丈夫なのか。昨日見ただろ、最近やたら魔物が増えているんだぞ」
ぼうっと椀から立ち上る湯気を見ていたら、遠慮がちな指がオレのおでこを突いた。
「大丈夫。昨日、見たでしょう?」
小さな木さじをぱくりと咥え、ドースさんを見上げて笑う。
今朝は少し冷えたので、朝ご飯はあったかいミルク粥。チーズに塩漬け肉やアスパラっぽい野菜を入れた甘くないお粥なので、どちらかというとカルボナーラ粥みたいだ。
とろり、口に含む優しい口当たり。こくん、と喉を通った粥が胃に落ち着いて、しみじみ体を温めてくれる。
「見ちゃったよなあ、アレだもんなあ。気を抜けるだけの実力もあるんだろうけどさ、心配にはなるよねえ」
既に食べ終わっているフシャさんが、苦笑しながら湯気の立つティーカップを傾けた。
ふわ、と香った柑橘の香りで、オレの口の中は一気に唾液があふれ出す。
ミルク粥の代わりに思い切り甘くしたデザートティー。蜂蜜と柑橘果汁がたっぷりの……むしろ、あったかいオレンジジュースにちょっぴり紅茶が入ったもの、だろうか。
オレの口がデザートを欲してしまったので、慌てて残りの粥を掻き込んでマグカップを両手で包み込んだ。
口元に近づけるだけで、澄んだ柑橘の香りがこれでもかとオレの顔にぶつかってくる。
溢れるよだれを押しやってから、小さく一口、確かめるように味わった。
たっぷり甘くて、微かに舌がしびれるような柑橘の酸味と苦み。隠し味に入れた生姜もどきがいい仕事をしている。
鼻に抜ける清涼感と共に、今日がいい一日になるような気がしてきた。
これは、我ながら何とも朝食にぴったりな飲み物だと感心していると、綺麗に飲み干したフシャさんがカップを置いた。
「もう出る?」
二人は朝から出発すると聞いていたので、こうして朝食を報酬にオレを起こしてもらった。
少し残念に思いながら見上げると、二人はオレよりずっと不安そうな顔をしている。
「……大丈夫?」
つい尋ねると、キョトンとした後盛大に笑われた。
「本人は至って大丈夫そうなのが、な! お前、帰りもここ通るだろ。多分、まだ近辺に滞在してんだろうから、声かけろよ」
「そうそう、また美味しい食事にありつきたいしね!」
「う……うん」
オレは断ることもできずに頷いた。帰りはさっさと転移で帰ろうと思ったのに……寄り道が必要になってしまった。
二人を見送ってから、オレものんびり野営地を出発する。
スムーズにいってもまだ三日ほどかかる道中だけど、そろそろアリバイも十分じゃないだろうか。
何もずっと真面目に街道を走る必要もあるまい。時々顔を出せば、誰かが見つけてくれるだろう。
『目立つからね』
『主は目立ってるからな!』
『すぐ分かる』
……それはどうかと思うけれど。でも、今回ばかりはアリバイ作りに役立つんだから、いい方へ考えよう。
「シロ、林の方へ行く道に!」
これからはスパイみたいな二重生活開始だ。
冒険者として任務を遂行中のオレ。
そして、魔の祭典へ参加する一般客としてのオレ。
そう、みんなが参加する祭典は明後日。オレが向かっている山とは方角も全然違う。絶対にオレが参加できな……ええと、フェンリルや空飛ぶ猫に乗ったり、転移じゃなければ絶対に参加できない距離だ。
「問題は、変装なんだよね。オレが会場にいるってバレると元も子もないわけで」
当初は白ユータになれば、と思っていたのだけど、王都関連の人も多いのでオレとバレるより先に『天使様』なんて言われたらマズすぎる。それならオレがいるってバレる方がずっとマシだ。
着ぐるみ案もあったのだけど……むしろオレ関連だと宣伝しているようなものだ、と指摘されてしまった。
「そうなるときっと、アレだよね……」
もうさ、大分慣れたからいいけども。
アレならクラスメイトに会ってもそうそうバレないみたいだけども。
衣装なら任せろと豪語してしまったメイドさんズとエリーシャ様が、一体何を用意しているのか不安しかない。だけど、今回は目立たないという大きなポイントがある。だから、ゴージャスなふりふりドレスなんてことにはならないのが幸いだ。
「じゃあ、一旦ロクサレンに戻るよ。シロ、モモ、ニーチェたちをお願い」
林の中でシロ車を収納すると、ニーチェたちをシロの背中へ乗せた。彼らもずっと狭い檻の道中より、ロクサレンで羽を伸ばす方がいいだろうと思って。何ならオレとシロ車で山に到着してから、迎えに行けばいい。
「モモがシールドを張ってくれるから、落ちたりしないよ。向こうでゆっくりしようね」
ほんのり不安そうな顔のニーチェたちを撫で、オレはちょっぴり憂鬱になりながら転移したのだった。






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