836 幸か不幸か
「――なあドース、あれ何だろう?」
ドースと呼ばれた大柄の男が、面倒そうに振り返る。
「いいか、俺らは散歩してんじゃねえんだ、そうやって何にでも興味を――なんだ? なんであんな所に」
ドースはひげ面を撫で、訝しげに細身の男と視線を合わせた。
「気になるだろ? 荷車……にしては造りがしっかりしているし、付属品が色々あるんだよね。けど、馬すらいない」
そこまで聞いたところで、ドースは慌てたように細身の男の肩に手をかけ、くるりと街道の方を向かせる。
「ならねえ、気にするな。この分だと休憩所に行くまでに夜が来る。せめて宵の口に着かねえとマズいだろ」
「そうは言っても! もしあれが賊の置き土産だったりすればさあ、報告する義務があるわけじゃん」
既にそちらへ足を踏み出しかけている相方を見て、ドースは盛大に鼻息を吐き出したのだった。
「……魔物に襲われた形跡は、ないね」
「前へ出るんじゃねえ」
遠慮無く顔を掴んで押しのけられ、細身の男が不服そうな顔をして風変わりな荷車をのぞき込んだ。
「造り的に、お手製の馬車だったのかもしれないね。おや、空檻がある……何か捕獲する予定だったのかな。それとも、中身ごと賊に持って行かれた?」
「何でもかんでも事件にすんな。賊にしちゃ、綺麗だろ。血痕すらねえ。誰かが捨てて行ったんだろ? 大方、馬がやられて車体を運べなくなったってとこか」
「うう……説得力がありそうなのが腹立つ。けどさあ、これ結構いい素材だよ? 捨てて行くには惜しいと思うんだけど」
「惜しいも何も、運べなきゃどうにも――ッ」
背中で相方を押しやり、咄嗟に武器を構えたドースが、じっと馬車もどきを見据える。
確かに、今、布の塊が動いた。
「何、風? 何かいた?」
「いた。魔物か?」
「もしかすると、檻の中に入っていた生き物かも」
のこのこ近づこうとする相方を押しやりつつ様子をうかがっているが、それから動きはない。
用心しいしいにじり寄ったドースが、剣を片手に鞘でそろそろ布を持ち上げる。
「今嫌な想像しちゃったんだけど、グロテスクな……人だったものが残されていたりなんて」
思わず手を止め、じろりと相方を睨んだ拍子に、鞘から布が滑り落ちた。
「……!」
「まさか、子供……」
夕闇の中、わずかにまくれ上がった布から覗く、随分小さな手。
躊躇いを忘れ、一気に剥がされた布の中身は――
食い入るように見つめた二対の瞳が、思わず安堵に緩んだ。
「ひとまず、五体満足。生きてるね」
それを証明するように、幼子が顔をしかめてまくられた布を引き寄せる。
「生きちゃいるが……なんでこんな所に。この状況で寝ているのもおかしいだろ」
「うーん捨て子、の線はないね。だってこの子、もの凄く価値がありそう。賊か魔物に襲われたけど、この子だけでも……なんて親心から眠らせて隠した線が――」
持論を展開しつつ当然のように抱き上げた男に、ドースが眉根を寄せた。
「連れて行く気か」
「え、置いていく気?!」
さすがに置いていくのはマズいと思ったか、ドースはまだ鼻息を吐いて背中を向けた。
「乗せろ。急ぐぞ」
小走りに駆け出した二人と一人を見送って、モモは草間でふよふよ揺れていた。
『……行っちゃったわ。むしろ悪党だった方が面倒がなかったわねえ』
――きっと誘拐なの。ラピスが救出に行ってあげてもいいの!
フンスと鼻息荒い隊長は、分別あるアリスが必死に止めていたのだった。
「マズいね、本格的に暗くなってきた。明かりは?」
「まだいい、魔物が寄る」
「そうは言っても、ほとんど見えないんだけど?!」
走る二人の弾む息が、街道に響く。遠く、近く、何かの吠え声が聞こえて不安が募った。
「その子、大丈夫? 生きてるよね?!」
「温かい、大丈夫だろう。まずは、俺らが――フシャ、明かりだ!」
言われた相方が、ほとんど反射的にライトの魔法を唱えた。
ギャウ、と響いた声はひとつではない。
「トラッカーズ……何匹?! いける?!」
「分からん! こいつ預かれ!」
押しつけられた幼子をおぶって、フシャが表情を引き締めた。厄介ではあるが、個々の魔物はゴブリンより弱い。ただ、群れでどこまでもついてくる。
光に慣れたか、遠巻きにしていた魔物が様子を窺うように寄っては離れ、周囲を彷徨っているのが分かる。光の中に晒された姿は、四つ足の餓鬼のよう。顔の半分を埋めるような大きな目が、時折光を反射して怪しく光っている。
2、4……8、10、20。目で追うたびに、草間から覗く大きな目が増えている気さえした。
まろぶような足取りで接近した一体が、ふいにバネのように飛びかかった。
すかさず切り伏せたドースの剣が止まらぬうちから、みるみる四方の魔物が飛びかかり始める。勇猛に剣を振るうドースを覆い隠すかのような物量に、思わず苦鳴が漏れる。
「ドース! 近すぎる……周囲から減らすよ! ライトの維持が難しい、火で行くよ!」
早口の詠唱を終え、フシャが片手をかざした。
「「ファイアランス!」」
ゴッ、と立ち上った熱風がフシャの髪を巻き上げ、炎の矢が暗闇を切り裂いた。
トラッカーズの悲鳴と、ばちばち草の燃える音がする。周囲には青草の燃える香りと、何とも言えぬ嫌な臭いが同時に漂っていた。
放射状に放たれた数多の炎で、草原が明るく照らされている。
「は……?」
齧り付かれた腕を払うのも忘れ、ドースが間抜けな顔で振り返った。
「え……?」
フシャは、思わずぽかんと自分の手を見つめた。
トン、と背中に軽い衝撃を感じて我に返った時、逃げ惑っていたはずのトラッカーズは、既に目の前まで迫っていた。
ハッと身構えるより早く、飛びかかった1体が悲鳴をあげて吹っ飛んでいく。
二人は、声もなくそれを見つめていた。
「食べられそうにないね」
熱風に煽られる闇色の髪が、揺らめいて白い頬を見え隠れさせている。
小さな手が無造作に目元を擦って、あくびをかみ殺した。
ゆっくり上がった視線が二人を捉え、ふいににっこり笑みを浮かべた。
「何が何だか分からないけど、魔物は倒した方がいいよね?」
上の空で頷いた二人にもう一度微笑んで、幼子はくるっと回った。途端、悲鳴と共に襲いかかったトラッカーズが沈む。
「まだ結構いるから、魔法かな。火がいいんだよね?」
何を問われているか分からず、曖昧な反応を返す二人に首を傾げ、幼子は両手を空へ向けた。
「ライトの代わりって言ってたもんね。じゃあ――」
今、もしや詠唱をしたのだろうか。聞き取れなかった言葉に耳をそばだてた時、はっきりと宣言するような声が響いた。
「ランタンフェスティバル!」
「「なっ……?!」」
ボッ、と小さな火の玉が現れたのを皮切りに、空は次々灯った火で埋め尽くされる。
まるで真昼のような明るさの中、幼子がその手を振り下ろした。
「――閉幕!!」
流星群のように。見ようによっては幻想的な火の雨が降る。
思わず顔をかばった二人が再び目を開けた時、周囲は何事もなかったように静かになっていた。
「あ、れ……?」
「火、火は……」
あれほど明るく照らしていた火が、見当たらない。
ただ、そこにはライトを浮かべた幼子が視線を彷徨わせているだけ。
狐につままれたような顔を見合わせた二人の鼻には、何とも言えない焦げた臭気が届いていたのだった。