834 八つ当たり
「おい、起きるんだろ?」
わっさわっさと遠慮なく体が揺すぶられる。それはもう、よだれが左右に飛び散りそうなくらいに。
眉間にしわを寄せて耐えていると、むんずと掴んで持ち上げられる気配。決して抱っこではない。
「窓から放り投げりゃ、起きるだろ」
窓枠のきしむ音と、ふわり頬を撫でる冷えた空気。
軽いスイングに『え?』と思う間もなく体が浮いて――
「ちょっと?!」
ここ、3階なんですけど! 思わず目を剥いて、空中で着地体勢を取った瞬間、軽い衝撃と共に落下が止まった。
「よう、おはよ」
目の前には、オレを抱えるタクトのにやけた顔。
「お、おは……よう、じゃないよ!!」
ぐい、と腕を突っ張って胸板を押しのけ、オレの早鐘を聞かれないようにする。
清廉な早朝の空気の中、薄布一枚の体が頼りない。
「目ぇ覚めたろ?」
「だから! もうちょっと優しく起こしてって何回も言ってるじゃない!」
「だーから、優しくだと起きねえって何回言ったら分かんだよ。それとも、ラキに『優しく』起こしてもらうか?」
うっ……。や、優しくにも色々とあって……アレじゃない優しさがいいわけで……。
俺の方がいいだろ? と言わんばかりに、タクトがにやっと笑う。
「……とにかく! 下ろして!」
オレ、こんな格好なんだから早く戻らなきゃ。
タクトは、窓からオレを放り投げつつ自分も飛び降りたらしい。見ている人がいたら、きっと悲鳴をあげる光景だったろうな。
こんな早朝の暗い中じゃ、見られることはなかったろうけれど。
「下ろしたら、足、汚れるだろ」
そうだね! 裸足だからね!
誰のせいだ、と睨み上げると、肩を竦めたタクトが跳んだ。
あっちの出っ張り、こっちの出っ張り、片手と足で軽業師のようにいとも簡単に部屋の窓へ辿り着く。
カロルス様みたいだな、と思ったけれど、絶対に言わないでおく。
「言っとくけど、起こしてやったんだからな」
びし、と指を突き付けられて不承不承、礼を言った。
「けど、さすがに早くない? お外真っ暗だよ」
「早くねえよ、俺はこのくらいに起きてるぞ。冒険者なら結構起きてるから、早く帰った方がいいんじゃねえ?」
タクトは謝礼代わりに差し出した猫缶おにぎり(6個)に嬉しそうな顔をして、さっそく頬張っている。
冒険者って本当にこんな暗い時間から活動しているんだろうか。そんなの、お昼ご飯はいつ食べるの。一日がすっごく長くなりそう。
『あなたの一日は、短いものね』
起こし疲れた、と怒っているモモがまふまふ揺れる。
仕方ないよ、幼児に睡眠は必要だ。大きくならなくてはいけないから。
ちら、とベッドを見た途端、タクトがじろりとこちらを睨む。くそう、鉄壁だ。今日は特訓に行かないんだろうか。
仕方ない、向こうで寝よう。シロも帰って来ているから、シロの上で寝ていれば誰も文句は言わないだろう。
渋々支度をしつつ、そういえばどうしてここで寝ていたんだっけと思い返す。
「……あ、そうだ! テント! また隙を見て帰って来るから、テント作ってね。夜じゃなかったらいいんでしょう?」
「いいけど……お前それ、本当に野営の意味ある? つうか、完成したテントを地面ごと取り出すくらいなら、土魔法の部屋の方がフツーだと思うけどな」
野営の意味はある! 何のためにわざわざ人目のあるところで行動していると?!
今回のこれは、シーリアさんたちのためではあるんだけど、オレのアリバイ工作の意味合いが強いんだから。オレが各地で旅をしている目撃情報が必要だ。
「土魔法でもいいの? でも、すごく目立つでしょう」
「お前それ、無駄なあがきだろ。どうせ死ぬほど目立ってる」
「そんなことないよ! ちゃんと注意してる!」
今回目立ったのは、地面で寝ちゃった時くらい。それくらいなら、幼児として当たり前だ。むしろ普通だ。
「あ、そう……」
『知らぬが仏ってこのことね』
モモとタクトが同じ顔でオレを見る。モモはともかく、タクトはオレがどうしていたか知りもしないのに!
オレは不貞腐れつつラキのベッドへ近づくと、ゆさゆさ揺り起こした。
「もう~、何~?」
若干不機嫌なラキが、目を擦りながら渋々起き上がる。
オレはちょっと考えて、大きいはちみつ飴をラキの口の中へ押し込んだ。
「んっ?! 何~? 甘……美味しいけど、起き抜けに……」
しょぼついていた目がぱちっと開いて、微妙そうな顔をする。寄って来たタクトにも飴を渡して、二人へにっこり極上の笑みを浮かべてみせた。
「じゃあね、オレ行ってくるね!」
「「いってらっしゃい~」」
*****
手を振ってふわりと消えたユータを見送り、ラキはまだ回らない頭で首を傾げた。
「……あのさ~、どうして僕起こされたわけ~?」
いってらっしゃいのために起こしたんだろうか? ユータってそんな『普通にかわいい』ところがあっただろうか。腑に落ちない。
「八つ当たりだろ」
こともなげにそう言われ、訝し気に口の中の飴をころりと鳴らす。
「八つ当たりって何の……ああもういいや、眠い~」
再び布団に伏せた途端、ハッと気が付いた。
「ユータ~~自分が起こされたからって……起きなきゃいけないからって~! ちょっとこの飴、邪魔なんですけど~! 眠れない~!」
してやられた、としかめ面をして口の中を確かめる。まだまだ、大きな飴はしっかり存在を主張している。こんな美味しいものを噛んで食べてしまうなんて、もったいない。
「眠いのに~! タクト、飴あげる~」
「いらねえよ?!」
結局ラキは、修行僧のような顔で飴を舐め続ける羽目になったのだった。
*****
「――よし、ここからはシロに乗っていくよ」
いきなり野営地に転移なんて危険すぎるので、タクトみたいに早朝からトレーニングを済ませて帰って来た風を装えばいい。昨夜もこっそり野営地を出てから転移しているから、バレてはいないはず。
『ねえゆーた、みんな何かしてるみたいだよ』
シロの背中でうとうとしていると、遠慮がちな声に起こされた。
「そうなの? やっぱり冒険者って早いんだね」
こんなに早起きしたのに、まだ足りなかっただろうか。
ぼんやり体を起こして、近づいて来た野営地の方へ視線を向けた。
なるほど、皆忙しく動き回っている。何なら、野営地から離れて動き回っている人たちもかなりいる。
「朝ごはんを捕りに行ってるのかな?」
早朝からせいが出ることだ。もしかして、早朝しかとれない何かがあるのかも。
「おはよう! ねえ、何を採ってるの?」
下を向いてがさがさ草をかき分けていた人が側までやってきたので、身を乗り出して声を掛けた。
「うわっ?! な、え? え……??」
シロを見て、思いのほか飛び上がって驚いた冒険者さんが、次いでオレを見てもっと驚いた顔をする。
まさか、寝間着のままだったろうかと慌てたけれど、大丈夫、ちゃんと着替えている。
ぱくぱく口を開閉する姿に首を傾げたところで、彼が大声をあげた。
「い、い、いたぁ~~~!! 居たぞぉーー!!!」
耳がびりびりするほどの声に目を丸くするうち、わらわらと寄って来た冒険者さんたちが瞬く間にオレを取り囲んだのだった。
アンケートにて、限定SSの中から全体公開に選ばれたのは、タクトとラキのお話でした!
タクトにラキのことを聞くという話を考えていた時に出て来たお話です。
『もふもふを知らなかったら人生の半分は無駄にしていた 【閑話・小話集】』の方に投稿しています。