831 何としてでも
そろそろ外がオレンジ色になってきているというのに、寮の部屋にはまだ誰も帰っていない。
「もう夕方かあ。ルーのところにいると、大体半分以上は寝ちゃってるよね」
やっぱりもったいない。だけど、ルーと一緒に寝ると、すごく気持ちいいんだよ。あの素晴らしい寝床のおかげはもちろんだけど、それだけじゃない。きっとお年寄りだったら、腰痛や肩こりが治ったりすると思う。さすがは神獣、といった所だ。
『地味ね……』
モモはそういうけど、一緒にいるだけで不調が良くなるなんて最高じゃない?!
『じゃあ、主もそういう効果あるってこと?』
「オレ? そんなわけ……」
ない、と言おうとしてそうでもなかったと口を閉じる。タクトはオレの側だと体が楽になるって言うもんね。漏れ出る生命の魔素のおかげで、ラピスからすれば歩く聖域らしいし。
おかげでロクサレンに療養に来る人たちが出る始末で、そのために生命の魔石入り天使像を作ったくらいなんだもの。
そう、だからこれもあって困ることはない。誤魔化すようにそう考えて頷いた。
「結構、頑張ったよね。どうかな、まだ必要かな」
目の前にごろごろ転がるテニスボール大の透明な魔石は、薄暗い部屋の中で不自然なくらい美しく煌めいている。
以前作った時は危うく魔力を使い果たすところだったので、少しずつ継ぎ足し継ぎ足し、成長させる方式をとっている。今日もルーのところで頑張ってきたので、これで生命の魔石(特大)4つだ。
魔力保管庫はとうにいっぱいだし、これだけあれば……と思うのだけど。
「でも、チャトの時で保管庫二回分と、魔力二回分に魔石でしょう、となると……ダメだ、やっぱりまだ不安!!」
なんせ、銀次おじさんだから。
『放っておけばいい』
そんなことを言ってしっぽを揺らすのは、チャト。
子猫の頃に大分怒られたからね……。思い出して、くすりと笑う。
「だけど、魔力ばっかりいくら貯めても、喚べる自信はつかないよね。ダメでも仕方ない、まずは取っ掛かり! ……あと、もう1……やっぱり2個、魔石を貯めたらね!」
『思い切り二の足を踏んだわね』
『情けないぜ主ぃ!』
なんとでも! だって、だって1回で喚べなかったらまた相当先になっちゃうんだよ? そりゃあ躊躇っちゃうってもんだ。
その代わり、生命の魔石作りはもう少し精を出して頑張ろう。そうだ、もし余ったら聖域に持って行けばいいんじゃないだろうか。あそこなら、そこらに転がしておいても誰も悪用はしないだろう。
いいアイディアに笑みを浮かべたところで、大きな音と共に扉が開け放たれて飛び上がった。
「お、お、おかえりっ!」
「ただいまー、疲れたぁ。ユータ、今日は肉食おうぜ」
タクトが疲れるだなんて珍しい。慌てて魔石を収納へ入れ、振り返って思わず声をあげた。
「えっ?! 大丈夫? どうしたの?!」
一人で帰ってきたのだと思ったら、小脇に抱えていたのはカバンではなくラキ。
「大丈夫じゃない~」
ぐったり洗濯物みたいにしおれていたラキが、ちょっとだけ片手を上げてひらひら振った。うん、大丈夫そうだ。
「どうしてそんなに疲れてるの? 今日の授業って何だっけ?」
二人共受けている授業で、そんなにくたびれるようなものがあったろうか。この二人がこれなら、他のクラスメイトは……。
「授業じゃねえよ、大魔法」
「練習で結構消耗するよね~? やってる間はあんまり気付かなくて~」
「ああ……」
ちょっと遠い目になる。
そう、オレたちの大魔法は精霊舞いの要素を多分に入れてあるから……。
だから、入り込んじゃう。下手すると、舞いながら失神なんてあり得る。
「しょうがない、回復するよ。だけど、多分疲れた感じはとれないと思うな」
それはもう、オレで実践済みだから。
ふわっと光で包むと、二人は表情をくつろげたものの、目の輝きは減ったまま。
「疲れって取れないんだ~? 楽にはなったけど、何か……横になりたい~」
「舞いもそんな感じ。すごく疲れるよね。回復魔法より、お風呂の方が楽になるかもしれないよ」
「でもお風呂に入る方が面倒~」
ぱふっとベッドへ伏せたラキは、夕食もとらずに寝てしまいそうだ。
「発動してねえのに、なんでこんな疲れるんだ?」
同じくベッドでごろごろしているタクトが、不思議そうな顔をする。
だって、魔素を集めるのに魔力を使っているから。
それに、何と言えばいいのか。舞いって精神力というのか、生命力というのか、魔力以外の何かが消費される気がする。
「だけど、それだけ疲れるってことは、ばっちり出来てるってことでもあるよね!」
鼓舞のつもりでそう言うと、二人が顔を上げた。
「明日はお前も、付き合えよ」
「見てみるといいよ~」
意味ありげににやっと笑うその顔は、隠しきれない自信に満ちている。
疲れ切った姿も、その笑みも。
正直、格好いいなと思ったのだった。
――締め切った訓練場で、密やかに流れる声。
ゆったり一定の速度で、土を踏む音がする。
一糸乱れぬとはこのことだ。
けして早い動きではなく。けして複雑なものではなく。
だけど、ただ伸ばした腕に、踏み出した足に、視線が釘付けられる。
徐々に、個が消えてひとつの大きな動きとなり、オレの目には引き寄せられた魔力が眩しいくらい。
「はいっ! ここまで!!」
大きな声と共に、バチッと稲妻が弾けた。
ハッとした皆が、虚ろだった瞳に各々を映して表情を取り戻す。
メリーメリー先生が、ふうっと息を吐いて額の汗を拭った。まあ、先生は何もしていないんだけど。
「……すごい! すごいね!!」
オレは素直に感動して、渾身の拍手と共に止めていた呼吸を再開した。
「あーやっぱ疲れる……けど、すげえだろ!」
タクトが大きく息を吐いて笑った。
「うん! すごい!! これなら完璧に発動できるよ! すごい大魔法になるよ!」
力を込めてそう言うと、クラスメイトからホッと安堵の吐息が漏れた。
「よかった~、ロクサレンであれだけしてもらって、貧弱魔法じゃ合わせる顔がないからね~」
にこ、と笑うラキに、周囲の笑みが引きつった。もしかして、ラキがみんなを引っ張ってくれていたのかもしれない。
「先生、見せてもらってないんだけど、発動したら一体どんな魔法なのかなっ?! なんかこう、ビッシバシにすごい気配だけは伝わってくるんだけどねっ!」
メリーメリー先生は発動しているところを見ていないし、大魔法の巻物も見ていないからね。オレも、ここまでの完成度ならどうなるのか、わくわくしてしょうがない。
「オレ、大会の時期には依頼で抜けちゃうんだけど、なんとしてでもみんなの大魔法だけは見る!」
「何としてでもって……依頼で抜けてるなら無理だろ?」
「何とかしたら見られるのか……?」
ぼそぼそ言うみんなの台詞は聞こえなかったことにして、オレは当日どうやってみんなに見つからずに大会を楽しむか、策を練り始めたのだった。