830 ぬくぬくの中で
「……うるせー……」
いかにもうんざりといった調子に、オレは口を閉じて顔を上げた。
「どうせ聞いてないのに。耳ぺたってしてるじゃない」
ぴったり伏せられた耳に手を伸ばすと、まるで耳自体が生きているようにひょいと躱した。
「分かってるなら、話すんじゃねー!」
じろり、とこちらを向いた金の瞳へ不満顔を返し、唇を尖らせた。
「オレは話したいの! それに、こうして口に出しながら考えをまとめてるんだから」
「なら、余所でやれ」
そんなこと言うなら、モロモスを取り上げるからね?!
さすがにモロモス二体を食べ尽くすのは無理だったので、こうして色々試作してみた次第だ。
せっかくだからルーにも味わってもらおうと、残り全部持ってきてみたのだけど。決して残飯処理ではない。
「だって、ルーも興味深くない? 知ってるんでしょう、モロモス。それがさあ、美味しくなるメカニズムとか、絶対知りたいだろうと思って」
「全く知りたくねー。美味けりゃそれでいい」
つまりは、美味いってことか。
思わずにま、と笑ったオレに気がついて、ルーがしまったと言うようにそっぽを向いた。
「全部食べてもいいけど、そんなに食べられる?」
「てめーと一緒にするな」
そりゃあ、ルーはモロモスよりも大きいしねえ。でも、人型になったらオレたちとそんなに変わらないのに。お腹いっぱいになってから人型になれるんだろうか? お腹爆発しないの?
至極どうでもいいことを考えて、ルーの脇腹を撫でる。
ごつごつ触れる肋骨を通り抜け、すいと手応えのなくなる腹部分。はふ、はふと頬張るたびに大きな体が揺れている。
モロモス料理の美味そうな香りに混じって、日に温められたルーの匂いがした。
「いい匂い」
「てめー、腹一杯だと言った」
ルーがべしりとしっぽでオレをはたいて、柔らかな脇腹に顔から突っ込んだ。
熱いくらいに日干しされた、外側の被毛。ふかっと空気を含んでなお、なめらかに滑るような。
存分に顔全部で堪能して、くすくす笑う。
「言ったよ。それ、オレが作ったんだから。もう味見でお腹いっぱい」
だから、取らないよ。もしかして、オレが欲しいと言ったらくれるつもりがあるんだろうか。そもそも、オレがあげたものだけど。
フンと鼻を鳴らしたルーが、再びモロモスの角煮に取りかかる。警戒していたしっぽがゆるりと力を抜いた。
「モロモスって柔らかいから、角煮にするともしかしたらとろけちゃうかもと思ったんだけどね。……ほら、案外しっかり弾力が保たれて不思議でしょう? だけどちょっと味が染みにくいみたい。ジフとも色々実験してみたけど、まだまだ研究の余地があるよ! そうだ、プレリィさんにだって報告して共同研究を――」
「うるせー!」
べし、と再びルーの毛並みに顔を突っ込む羽目になり、苦笑してその背中によじ登った。
「もう、じゃあ何の話ならいいの!」
「黙ってろ」
そんなの、もったいないじゃない。せっかくここにルーがいるんだから。
ルーだって、もったいないでしょう。せっかくここにオレがいるんだから。
そうに決まっている。
滑らせた手が心地いい。指の間を滑らかに抜ける柔らかい毛並みは、ルーの体温よりずっと温かく、ほかほかの電気毛布みたい。油断するとすぐに寝てしまいそう。
「それでね、学会は大成功で、収益もなんだかちょっとすごいことになっちゃって。困った先生が大半をオレたちに支払おうとするから大変だったんだよ!」
そのときの先生を思い出してくすっと笑う。学会運営費は突如潤ったけれど、きっと無駄に使われることはないだろう。だって、あんな人たちだから生き物関連に使うしかない。
オレたちはオレたちで、そつなく賊を捕らえてさらに株を上げた……はずだ。
「引率だってこなして、他パーティとの依頼だって成功! ギルドでのオレたちを見る目も変わってきた気がして……そうだ! ねえルー、オレ煽り言葉だって練習してるんだよ? 聞く?」
「いらねー」
ちら、とこちらを見た瞳の、何と小馬鹿にしていることか。
言ってみせようかとここまで言葉が出かかったけれど、まあいい。こんなにリラックスしていい気分の時には、上手に言える気がしない。
『上手とか、そういうのじゃないと俺様思う』
――ラピス、上手なの! ユータより上手に言えるの!
いやいや、さすがにラピスの微妙に間違えた啖呵や煽り文句よりは、オレの方がマシってものだ。
密かに苦笑して、やれやれと肩を竦める。
『やれやれじゃないのよ……』
『どんぐり?』
『目くそ鼻くそだろ』
誰がどの台詞か分かるだろうか。辛辣組は相変わらずだ。
ふいに振動が止まって、身じろぎの気配を感じる。
食べ終わったのだろうか、フシュ、と満足の鼻息をついた大きな体がのたりと伏せて前足を舐め始めた。
「……魔物は?」
感じる寛ぎの気配に引っ張られ、オレもうつら、としかけたところで低い声が聞こえる。
「え、魔物? 何の話だっけ?」
あれ、オレ寝ていただろうか。話の前後が見つけられず慌てると、ルーがゆっくりと横になった。上にいたオレは姿勢に合わせてよじよじと位置を変える。
「増えていると言った」
少ない言葉は、まるでチャトみたい。オレ、そんなこと言ったっけ? 首を捻ったところで、モモが呆れたように呟いた。
『随分時差のある会話ね……』
その助け船(?)でハッと思い出した。それ、前に話してたことだよね……むしろよく覚えてたね。
「王都での話だったでしょう? こっちではどうなんだろ。クリアビートルは増えてたし、そういえばダーロさんたちと採取に行った時も、随分多いなと思ったけど……」
たまたまの範囲内かと思っていた。でも、そういえば王都で増えているなら、地方でも増えている可能性はあるのか。
「もしかしたら増えているかもしれないけど、でも、ハイカリク周辺だとクラスメイトたちがいるから……」
うん、増えても狩られてそうだから分からないね。
「ここは、俺がいるから変わらん。変化があるなら、言え」
「どうしてルーがいると変わらないの?」
「それが、霊峰たる所以じゃねーのか」
ちら、とオレを見る瞳があからさまに馬鹿にしている。
そ、そうか。ルーがいる山は霊峰って言われていたもんね。神獣様だもの、そういう悪い変化は起きにくい……んだろうか。
「大丈夫、変わったことがあったら、大体ルーに言ってると思うよ」
「どうだか。お前は気づきが悪い」
フンと鼻を鳴らされて憤慨する。そんなことないですけど! オレはよく異変に気付いて対処する側にいると思うんだけど!
『卵が先か、鶏が先か……ね』
『主いる所にトラブルあり、だぜ!』
そんなこと……な、ないよ。多分。
「そ、そもそも! それをルーに伝えてどうするの? 何かするの?」
苦し紛れにそう言って、ぎゅうとたっぷりした首元へしがみついた。
「…………別に、何も」
「ええ? 知りたいだけ? どうして?」
取り立てて何にも興味を示さないルーが、そんなことを気にすることの方が気になる。オレはそっちの理由を知りたい。
「うるせー」
今はうるさくないでしょう! むっとするオレに構わず、ルーは目を閉じて大きなあくびをした。奥の牙も、舌の付け根も全部見える大きなあくび。
「ふぁ……」
完全に釣られて、オレからも小さなあくびが漏れる。
「ちょっと……寝ないでよ……?」
途端にぶり返してきたまどろみに抗って、ぐいぐい毛並みに顔をこすりつけた。だってまだ話の途中なんだから。
「寝るのはてめーだ。よだれを拭くな」
「よだれなんて垂らしてない!」
まだ、とは言わないでおく。
ぱふっと頬が毛並みに埋まれば、もう持ち上げる気にはなれない。
ぬくぬく、ぬくぬく温かい。
湖を抜けた風が、柔らかくルーの毛並みを撫でて、ついでにオレの髪を撫でていく。
「……何もしねー。ただ……覚悟はする」
ぼそりと呟かれた言葉は、きっとオレに聞かせるつもりはないんだろう。
ルーは、いつもオレが寝る頃合いを見て何か言うんだから……。
その不満も、聞いた言葉も、あたたかい夢の中に霧散して消えていったのだった。
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