822 決死の防衛戦線
あ、これはダメなやつ。
賢明にも瞬時に察したオレは、すぐさま修正を試みた。
「あのっ、シロが……シロが食べそうかなと思って!」
ここにはジフがいない。お前も食うつもりだろとか余計なツッコミを入れる存在は、オレの召喚獣たちくらいだ。勝機はオレにある。
「食べそう……? 食われそう、てことか??」
「だなあ。俺なんか遭遇しちまったら、簡単に食われるだろうな」
たらり、と汗が伝う。圧倒的立ち位置の違い……!!
そうか、食う側にいることがおかしいのか。
「しかし、モロモスがなんでここで氷漬けになってんだ」
最初の疑問に立ち返った料理人さんが、首をかしげて指示を仰ぐように執事さんに視線をやった。
「ええ、どうしてでしょうね? ええ、ええ、まさか食べようとして保存しているとか、とてもではありませんが、そんなことは思っていません。なぜ食べられるか聞いたのか、非常に疑問に思っていたところです」
執事さんがにっこり笑みを浮かべてオレを見る。つられるように他の視線もオレに流れた。
「いやいや、さすがになあ。虫や触手も食っちまう坊ちゃん、なんて聞いてどんな御仁かと思ってたんだけどな」
「綺麗な坊ちゃんじゃねえか、なあ。生肉だって貪り食うなんて、誰が言ったんだ」
こそこそ話す料理人さんたちは、一体どんな人物を想像していたんだろうか。
すごく語弊があるような噂を広げるのやめてくれる?! それ、カニとタコのことでしょう?! お刺身にチャレンジしたのが、そんなにいけなかっただろうか?! それともユッケのことだろうか。
これ以上、悪名を増やしてはいけない。
「だから、オレじゃないよ! シロが! 食べるのはオレじゃなくて!」
「そうですか、シロ殿が食べるためにここへ?」
念を押すように尋ねる執事さんに、大きく頷いた。
「そう! ラピスもシロのために冷凍して運んでくれただけで! 全てはシロのためだから!」
「なるほど。つまりこの有様になったのは、ユータ様に責任があると」
「そう! ……え?」
きょとんと目を瞬いて見上げると、執事さんはにっこり笑ったのだった。
……どうしてオレが怒られるのか。
やったのはラピスとシロなのに。ああ、従魔術師も召喚士も、責任が重い。
しかも、きっちりガッチリ冷凍された魔物は、解凍も一苦労だ。さすがラピス魔法。
ちゃんと片付けるように言い含められ、現在せっせと解凍中。
もうこのまま収納に入れてしまおうかと思ったけれど、後で解凍するのも面倒。今のうちにやってしまえば、ここにいる料理人さんたちが手伝ってくれるかもしれないし。
「しかし、見事なモロモスだな。こんなにまじまじ見ることねえけど、やっぱ気味悪ぃ」
「一体、何がどうなってこんなことに? 崖から落ちたにしちゃ体が綺麗だもんな」
若い料理人さんたちは薄気味悪そうにしながらも、溶けていくモロモスに興味津々で取り囲んだままだ。
大きな魔物だけど、致命傷はひとつ。完全に破壊された頸部がそれだろう。
ラピスたちがやったなら魔法だろうし、人間でこんなことできるのはせいぜいマリーさんやカロルス様やエリーシャ様とかタクトたちか……うん、結構いるね。
ひとまず、これをやったのはシロだね。そしてこうして寄越すってことは、お肉的に悪くない部類というわけだ。
どうにも見た目がよろしくないけれど、そのあたりはもう、小さく解体されて食材になってしまえば無視できる部分なわけで。
『多分、一般的にはそういうわけではないと思うわ』
『無視できるのは主だからだぜ!』
左右から突っ込んでくる二人に、静かに首を振る。
「そういうの、よくないから。食わず嫌いはダメって教わったでしょう。人も食材も外見じゃないんだよ。大事なのは、持ち味なんだから」
『いいこと言ってる風に言わないでほしいわね……』
『俺様、多分人も食材も外見で8割くらい持ってくと思う!』
そ、そういう面があることは否めないけども!! 外見が9割なんて話もあったけど! でも全てじゃないの!
そうこうするうち氷塊を溶かしきったら、部分的に完全解凍して冷たい皮膚に触れてみる。
水生生物みたいだと思った白い肌は案外堅く分厚い。ぬめるような質感は、水分が多いせいだろうか。
「ねえ、ちょっと大きすぎるから解体手伝ってほしい!」
半解凍にとどめて振り返ると、さすがに気の毒だと思ったのかおっかなびっくり刃物を手に寄ってきてくれる。
大きいし見た目は異形だけど、概ねの形としては普通の生き物より足が多いだけなので、解体に戸惑うことはない。
「毛がないから、その点は便利だね! だけど、皮が結構厚くて……これを剥ぐのは一苦労だね」
「なんで皮を? 何かに使うんで? ぶった切ったらマズいスか?」
なるほど、まず部位別に分けてから剥ぐのも手か。
「あ、別に皮を調理するわけじゃないし、切ったからってマズくはならないと思うよ! どうせ食べる時はもっと細かくするんだし」
試しに切り出したもも肉は、まるで鳥肉のような淡い色合いをしていた。肉質は案外しっかりして、もしかすると火を通すと固めかもしれない。
「これだと、焼き肉やステーキよりも煮物が向くかもしれないね。うーん、味の想像がつかないし、まずは味見をしてみないことには……」
切り出した大きなもも肉を前に腕組みをしていると、ふと静かな周囲に気がついた。
傍らにいた料理人さんを見上げて首をかしげると、彼はこくり、と喉仏を上下させる。
「……坊ちゃんは、これをどうするおつもりで?」
「まだ決まってないよ! 見た感じの印象だと煮物かなって思っただけ」
まずは、何に向いているかの調査から!
他の部位の切り出しはみんなに任せることにして、もも肉ブロックを手頃な大きさにカットし厨房へ足を向けた。
「死守だ! 死守ーーッ!! 出入り口を固めろ!」
「総員身を挺し我らの厨房を守れ! 坊ちゃんを近づけるな!」
「エリーシャ様から守りきった我らの手腕、今こそ活かす時!」
オレは裏口の前に敷かれた決死の防衛戦線を前に、きょとんと目を瞬いたのだった。
「――何も、そんなに嫌がる必要なかったと思うんだけど」
だって、ただのお肉だ。別に毒があるわけでも、臭いわけでもない。見た目だって、肉塊になってしまえばどんな生き物だって同じ。
――それ、良いの! ラピスも使うの!
『悪役の台詞だな』
チャトに鼻で笑われ、慌てて取り繕った。
「ち、違う! 言い方がアレだっただけでしょう! えーと、どんな生き物だって、お肉はお肉!」
『生きとし生けるもの全て我が養分となれ!! ってヤツなんだぜ!』
『そうらぜ! カッコイイんらぜ!』
シャキーンとやったチュー助とアゲハ。勝手に悪役な台詞に加筆するのはやめていただきたい。
結局、泣いて嫌がられたせいで厨房は使えなかった。じゃあなんのために解体したのかと思ったら、邪魔になるから分解して処分するつもりだったらしい。そんなもったいない。
『食べないってあんなに主張して安心させたところで、アレだものねえ』
『可哀想。きっと、トラウマ』
モモと蘇芳が何かを悼むような顔をしている。
……だって、解体し出したらもう半分くらい調理じゃない? その気になってしまうのも仕方ないっていうか。もう既に料理モードに入っちゃっていたというか。
ひとまず、追い出されたオレはチャトの背中で風に吹かれている。
もちろん、モロモス一式は収納の中だ。
「アジトを見つけたなら、もうシロは戻って来ていいんだけどね」
シロからの伝言で、アジトの場所が分かったから、そこで落ち合おうってことらしい。
ちょっぴりオレに伝えるのを忘れていたラピスだったけれど、シロがアジトに到着するのはもう少しかかるらしいのでちょうどいい。
律儀にアジトまで行く必要はないと言ったのだけど、ついでだから行くらしい。何のついでなんだか。
確かにシロが囮として潜入してくれる方がスムーズではあるだろう。
オレは頭の中でモロモス料理を考えつつ、シロとの待ち合わせ場所へ急ぐのだった。