819 知る由もない
……ハンバーグだ。きっと、ゆーたはハンバーグを作ってくれるに違いない。
今おやつをたらふく食べたところだというのに、シロはあふれ出るよだれが零れないよう、舌なめずりすることに忙しい。しっぽは床が綺麗になるほど揺れっぱなしだ。
ガタン、と大きく揺れた拍子に、傾いた体が檻へ押し付けられ、慌ててバランスを取った。
下手をすると、シロを支えきれずに檻ごと転がってしまう。
明らかにサイズの合っていない檻は大変窮屈だったけれど、ハンバーグが待っていると思えば何という事もない。
荷台の見える範囲には、シロだけが乗っている。
荷馬車全体に掛けられた覆いは、カビと泥と、そしてたくさんの生き物の匂いがした。
本来はもっと会場から攫ってくるつもりだったのだろう。それを証拠に、空の檻がいくつも積まれて重々しい雰囲気を漂わせていた。
『ゆーたたちのおかげだね!』
「きゅっ!」
自分たちも忘れるなと、マリスが鼻先を上げて一声鳴いた。
「おい、暗くなるまでに――」
三角の耳が、ぴくりと動いた。
荷台の前方はきっちり壁で仕切られ、人間用の空間になっているらしい。御者台にいる二人を含め、馬車には4人の男が乗っている。
どうやら、野宿の相談を始めたらしい。
陽の落ちるぎりぎりまで粘って、馬車を隠せる森近くで夜を過ごすとのこと。
マリスがきりりと顔を引き締めてぽんっと消え、シロもなるほどと頷いた。
『森の近くだと、お肉もたくさん捕れるもんね。いい作戦だと思うよ』
男たちはまさか攫ってきた犬が、壁向こうで相談の輪に加わっていることなど知るよしもない。
「森近くは避けたいが……やはり、もっと早くコトを済ませるべきだったろ」
「しょうがねえだろう、何もかもハコの中に入ってたんだからよぉ。手ぶらっつうワケにいくかよ」
そっか、とシロは足を踏みかえしっぽを振った。
『良かったね、ぼくがいるから、ちゃんと手ぶらじゃなくなったよ!』
何となくいいことをした気分で、シロはにこにこしている。これは、ちゃんとアジトまでついて行ってあげなくてはいけない。
「この人数なら、交代で夜通し走らせる方が良くはないか? 森近くは危険だろう」
「馬がヘバらぁ! 走ってるからって魔物が来ねえわけじゃねんだからさ」
「けどよ、確かに森はなあ。ならよ、予定の野営地まで行けばいいんじゃねえか?」
なるほど、とシロも同意する。
『お馬さんは、ずっと走るの嫌なんだね。ぼくが引っ張ってあげたらすぐなんだけど……』
しかし残念ながら、獲物が自ら馬車を引いてアジトまで行く案は出してもらえないようだ。
切なげにピス、と鼻を鳴らしてみたけれど、どうやら予定地まで走る案が採用されたらしい。馬がへばってしまうことがあれば、いよいよ自分の出番だとシロのしっぽが勢いづく。
「きゅ?!」
ちょうど帰って来たマリスが、変更された予定に慌てふためいて瞳を潤ませた。
『大丈夫だよ、勝手に予定を変えたのは悪者だもの。ラピスもゆーたも怒らないよ』
きゅうぅ、と情けない声で項垂れていたマリスを慰め、再び立ち上がった耳としっぽににっこり笑う。
引き続き報告は任せろ、と胸を張ったマリスがぽんっと消え、シロは狭い檻の中で前足に顎を乗せた。
馬車はひっきりなしにガタガタして、伏せた体に不快な振動が伝わってくる。
シロ車は、きっともっと乗り心地がいいに違いない。
だけど、次に引っ張る時はもう少し、走る場所を見極めよう。
『乗ってるより、走る方がずっと楽しいのに』
どうしてわざわざ乗るのか、シロには不思議で仕方ない。
『でも、乗ってくれないとぼくが楽しくないね』
だから、ちょうどいいのだ。
立てた耳に響く、軽快な蹄の音と、車輪のガタガタ言う音。うずうずしてくる気持ちを抑えていると、マリスが帰って来た。
『おかえ――わあ、いい香り! もうすぐだね! もうすぐハンバーグだ!』
思わず立ち上がって檻の天井に頭をぶつけたのにも構わず、シロは盛大にマリスの匂いを嗅いでいる。
「きゅ? きゅ……?」
訝し気なマリスには、きっとこのハンバーグの香りは分からないんだろう。ハンバーグと、ユータのいい匂い。
『――そっか、後でユータが来てくれるの? ラピスがフェアリーサークルを?』
ふんふんと頷いて尻を落ち着けたものの、シロは待ちきれずに何度も足を踏みかえ、右へ左へ体勢を変え、前足を舐め、ついでにマリスを舐めて嫌がられた。
『ゆーた!』
前足の爪を噛み始めたところで、ようやく待ちに待った匂いに飛び起きた。また頭をぶつけたけれど、気にしない。それなりに頑丈な檻だから、きっとこのくらいで壊れないだろうし。
「わ、シロこんな狭い所で……ごめんね。出てきてもいいんだよ」
『ぼく、大丈夫だよ! 出ても走れないならここでいいよ』
ばちばちとしっぽが檻を叩いているのを見て、ユータが顔を曇らせる。そんな顔しなくて大丈夫なのに。
『チャトも、こういう所好きだよ! ぼくも、結構好きだよ』
広い所は好きだけれど、狭い所も好きだ。
「本当だ、チャトならここ大好きかも!」
ふわっとユータが笑うと、いい香りもふわっと広がる気がした。
「じゃあ、頑張ってるシロに。マリスも、おいで」
どうやって特大のハンバーグを檻に入れようか思案したユータが、一旦収納袋に入れ、檻の中で取り出した。シロの顔ほどある、特製ハンバーグ。おにぎりもある!
喜び勇んでかぶりついたシロの檻に寄り添うように、ユータが座って自分のお皿を取り出した。
「シロが食べているのを見ると、お腹空いてきちゃう。オレもここで食べていこうかな」
『うん! どうぞ! ゆーたも一緒に食べよう!』
踏み鳴らした前足が、チャカチャカと楽し気な音を立てた。
シロはハンバーグを頬張りながら、同じくらい熱心にユータを眺める。
ユータは、お皿を膝にのせて一口ずつ、箸で切ってゆっくり食べるのだ。箸を入れると、おいしい肉汁がお皿の上にきらきら溢れてくる。あれを舐めると、とても美味しい。
だけどユータはパンを浸すようにしてぬぐい取り、上手に口の中へ入れた。今日は、ユータはパンらしい。とても小さい丸いパン一つ。ハンバーグもパンも、とても小さくて、シロならほとんど一口で食べてしまうのに。
小さいパンに今度はソースをつけて、小さい口でみちっとちぎる。小さいハンバーグを一口食べて、もむもむとほっぺを動かして、そして目を合わせて美味しいね、と笑う。
シロはぺろりと口の周りを舐め、美味しい! と笑った。
そして、少しだけゆっくり、少しだけ小さい口で続きを食べ始めたのだった。
『ハンバーグ、美味しかった……』
「きゅう……」
満足のお腹で、シロは夜風に腹を晒してご機嫌に口の周りを舐めている。残念ながら、ユータが洗浄魔法をかけてしまったので、舐めてもハンバーグの味はしないのだけど。
どうやら男たちも粗末な夕食をとっているらしい。前から保存食の匂いと、咀嚼音が聞こえる。
荷台の獲物が、彼らよりずっと美味いものをたらふく食って寝転がっているなど、知る由もない。
あふ、と小さくあくびした途端、大きく揺れて後頭部でゴンと音がする。これではゆっくり眠れない。
こんなに気持ちがいいのに。
ユータが掛けられていた覆いを一部外してくれたおかげで、風が通るし外が見える。腹の毛が風でくすぐられ、そろそろ草木の眠る匂いが鼻先を掠めていく。
魔物の時間。
方々から、魔物たちの気配を感じる。昼間とは違う、禍々しい濃い気配。
森の側での野営は、やめて正解だとシロは思った。
『だってぼく、お腹いっぱいだし』
森の側だとひっきりなしにお肉がやって来てしまう。美味しいのばかりならともかく、そうでないのもいるのだから。
『あの人たちもさっきごはん食べたけど……でも、お肉は食べてないから、このくらいならちょうどいいのかも』
シロは半分夢の中に足を突っ込みながら、鼻をうごめかせた。大丈夫、最高ではないけれど、まずまず美味しいお肉。少なくとも、さっき食べていた保存食よりずっと上等なはずだ。
『ぼく、お腹いっぱいだけど、もうちょっと食べられる……』
この人たちは全部食べないだろうから、きっと後で分けてくれるに違いない。
シロはうつらうつらしながらぺろりと舌なめずりしたのだった。






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