811 チャトの欲しい物
石ころに見えるものが数種類、ラキのかざした手の下で形を変えて一体になっていく。
いつも見た目は穏やかな淡い瞳が、きりきりと集中して鋭く素材を見つめている。
ラキの使う魔法は、無駄がない。ほとんど漏れないから、魔法を使ってるんだか使ってないんだか、見ていてもよく分からない。緊密で丁寧なそれは、まさに『魔法』みたいだ。
ラキの作業を見ながらぼうっと手だけ動かしていたオレは、息を吐いて顔を上げたラキにつられ、意識を浮上させる。
「ベースの素材はこれでいけそうな感じかな~。それで、シロは本当に囲いいらないの~? かなり大きなサイズになっちゃうから、必要ないなら助かるけど~」
『ぼく、いらない! 囲いがあったらみんな触れないでしょう?』
シロのしっぽが止まらない。既にたくさんの人に撫でてもらう想像をしているのか、瞳はきらきら、四肢が弾む。
秘密基地にて、いつものくつろぎスペースでは狭いと訓練場で素材を広げているラキ。
その周囲を跳ね回っては、時おりチャトにちょっかいを出して怒られているシロ。ビシバシ伝わる嬉しさが、そろそろ具現化して花でも咲きそうだ。
「シロはなんで、そんなに構われるのが好きなんだ?」
訓練場をラキに占領されて不服そうなタクトが、シロに飛びついてごろりと引き倒した。大喜びするシロが、全身でしがみつくタクトを甘噛みしては下になり、上になり。
ごろごろ二人で転がりながらじゃれ合う様子は、二匹の大型犬。
『好きって思われるの、ぼく嬉しいよ! いっぱい好きって言われる方が嬉しいよね? タクトは好きじゃないの?』
「んー? そう言われるとなんでだろな。やっぱ何でも適量がいいんじゃねえ?」
『そう? ぼく、お肉が食べきれないくらいいっぱいでも、やっぱり嬉しいよ?』
「確かに!!」
タクト、犬に懐柔されている……。
まあね、美味しいものはたくさんあっても嬉しいけど、それを口に詰め込まれるなら話は別ってとこだろうか。シロはきっと、無限の胃袋を持っているから平気なんじゃない? 優しさと寛容さと、大きな大きな器、それがシロって感じがする。
『必要な時に、必要な分しかいらん』
チャトが、ゆらっとしっぽを振って緑の目を細めた。
そうだね、チャトはそうだ。いらない時には、にぼしのひと欠片すら食べないもんね。
だけど、ちゃんと知ってるよ。チャトは『オレが必要な時』はちゃんと食べてくれるってこと。
オレは手を止めて、出来たばかりのはちみつレモン飴をチャトに差し出してみた。垂らして固めているだけなので、形がいびつなのは仕方ない。
引き寄せられるようにスン、と嗅いだものの、興味を失ったように視線が外れた。くすりと笑って手を引っ込めると、自分の口に放り込む。きゅん、と顎が引き締まって唾液が溢れた。
ちょっとレモンが強かったかも。爽やかだけど、すっぱい。でも、べっ甲飴とはまた違った美味しさでいいと思う。
「俺が食う!」
『ぼくも!』
そこへ滑り込んできた二匹の大型犬。チャトに差し出したのを見られていたらしい。
「試作品だよ? ちょっとすっぱいかも」
苦笑してぽいぽいと欠片を投げてから、あっと思う。タクトは犬じゃなかった。
まあ、二匹ともばくばくん、と見事に空中でキャッチしたから問題なかったらしい。うん、タクトは手で受けよう?
すっぱい! と言いつつしっぽを振り振り遊びに戻った姿にもう一度笑った。
「僕には、試作じゃなくなってからちょうだい~」
『スオーも』
ちらりとオレを見たラキと蘇芳が、そう言って再び素材加工に集中する。2対の瞳が真剣な面持ちでただ一点に意識を収束させていく。……ちなみに、蘇芳は何もしていないけれど。
今日は、秘密基地でそれぞれ作業中。ラキは当然学会のための展示ブース作り、オレは学会のご褒美差し入れ作り。ちなみにタクトはそれぞれ力が必要な時要員。
差し入れと言えば、はちみつレモンだろう。なんとなく。
そう思ってクッキーからパウンドケーキに飴まで色々作っていたんだけど、チャトだけが不服そうな顔でぶっすりしているので、気になっていた。
「チャト、このおやつ好きじゃなかった?」
『……』
そうでもないらしい。だけど、そうじゃないらしい。
「えーっと、食べたいものがあった?」
ぴくり、と反応しつつそっぽを向いて、オレに背中を向けてしまう。
そのしっぽが、期待を込めてぴんと立ち上がっている。何か、欲しいものがあるのか……だけど、ヒントが! 少なすぎる!!
『……褒美は、コレじゃない』
すっかり背中を向けてしまったオレンジの縞々が、ぼそりと呟いた。三角の薄い耳が、精一杯こっちを向く。
違うの? チャトの好きなもの……? この世界に来て、チャトは割と何でも食べる。召喚獣になったことで色んな味覚を味わえるようになって、チャトの場合はむしろ食べ物の選択が簡単になった。甘いものもお肉も、全部好きなように思う。特別コレ、と言ったものなんてあっただろうか。
ご褒美になるくらい、好きなもの……あっ! ご褒美?
ハッとして、ふわふわの背中を撫でた。
「そっか、久々に食べたくなった?」
目を細めた柔らかな体から、ゴウゴウと振動が伝わってくる。
正解、かな。
思い出しているんだろうか、チャトが、ぺろりと口の周りを舐めた。
オレはくすっと笑って、チャトの希望を叶えるべく構想を巡らせたのだった。
「――いろんな材料を一緒くたにするより、それぞれ違う味の方がいいよね」
だって、まぐろとかササミとか、色んな味があったもんね。確かにチャトのご褒美、特別なおやつとしてあげていたっけ。
カットして荒くほぐした鶏肉は、一見シーチキンみたいだ。もう一方のボウルには、タクトがフードプロセッサーとなって、すり身に仕上げた鳥肉が入っている。これだけだと淡白だから、ジューシーなモモ部分も小さくカットして入れようかな。
あと、魚介系とお肉系と……中々手間暇がかかる。
そう、チャトが食べたくなったのは――猫缶!! 時々ご褒美にあげていた猫用ウェットフード。
ただ、今のチャトの舌にあの頃の猫缶が美味しく感じられるかというと、そうでもなさそう。現に、調理していない素材はあまり食べないもの。
だったら、オレたちが食べておいしい猫缶を作ればいい! だって、チャトが食べてるの美味しそうだなって思ってたんだよね。実際美味しいという噂もあったけど、ちょっと食べる勇気が出なくて。
そうと決まれば俄然やる気がみなぎってくる。オレたち用の猫缶、面白いじゃない!
まず猫缶っぽい、で想像したのはリエットやパテ、テリーヌみたいなもの。ええと、リエットはお肉のペーストみたいな感じ? パテはもう少しそれが固まった雰囲気かな。テリーヌは幅広すぎてこれって言えないけれど、オレが普段作っていたのはペースト状にしたベースとその他具材を長方形のお菓子型に入れて固めたもの。それは焼いたり、冷やしたり、お菓子だったり食事だったり……正直、クリームを入れた場合はムースと区別はついていないし、お菓子の型に入れている時点でテリーヌって言わないとは思う。
「お肉系は、シンプルな味つけの方がいいかな? 鳥はやっぱり、クリームと合わせたやつも欲しいね。色が白っぽくなっちゃうのは猫缶らしさが損なわれるかな……だけど、白っぽい猫缶もあったよね」
『茶色でも白でもいいけど、見た目が悪いわね……』
オレの手元を覗き込み、モモが微妙な顔をする。
だって、猫缶に彩りなど不要だから! 野菜は、歯ざわりのアクセントや匂い消しのためでしかない。限りなく茶色でいいのだ。ただし、味は妥協しない。
猫缶らしさの演出のために、ただのペーストでもなく固形でもなく、とろりとした中にも噛み応えを意識した逸品を目指して……。
試作をいくつか作ったら、ジフとも相談しなきゃ!
オレは思いつく限りの食材を刻んだりすり身にしつつ、うきうきと猫缶に思いを馳せたのだった。
猫缶、食べてみたいですよね!食べてみた人、結構いるんじゃない?私はドッグフードなら食べてみたことありますが……(美味しくなかった)
パテ、テリーヌ、リエットは元々ちゃんと区別があるけれど、今は割と曖昧みたいですね!
何ならミートローフだって含まれてしまいそう……
テリーヌが容器の名前って知らなかった!