809 うら若き少年の葛藤
「なあ、何食って帰る?」
何の気なしにそんなことを言うタクトを、じっとり見上げた。
なんだよ? と言いたげな表情の背景は、腹が立つほど似合う青い空。
「……朝ごはん食べたとこじゃない」
「だから、帰りのことだろ! 別に今食おうって言ってねえよ。別に食ってもいいけど」
タクトの視線が、吸い寄せられるようにつうっと屋台の方に引っ張られた。
次いで足までそっちに向きそうになって、慌てて腕を引く。
おつかいの続きなんだからね! 屋台は用事がすんでから! 名残惜し気なタクトを追い立て、オレは目当ての店へ急いだのだった。
「――思ったより早くすんだね」
本当に目的の物が全部揃っているかと、念入りにメモとカゴの中身を見比べる。
今日のおつかいは、本当のおつかい。単なる素材店でのお買い物だ。
ヨシと頷けば、タクトがカウンターへ足を向けた。
「あいつはこれに一体、何時間かけんだろうな」
半ば呆れ顔でカゴをカウンターへ乗せると、ミシリと台がたわんだ。そういえば鉱物系が多かったもの、相当重いはずだ。タクトが持っていると羽毛でも入っているみたい。
なぜラキがこんな魅力的な場所に来ないのかと言うと、目の前の素材へ集中したいから。そのために断腸の思いで諦めたらしい。買い物にはとても時間がかかると言うから……。
だけど、ものの10分やそこらだった。そりゃそうだ、全部店内にあるのだから。
「じゃ、次は屋台だな?」
「まだ早いよ!」
にっと笑うタクトにぶんぶん首を振る。まだ朝だから!
「えー……なら、ギルドでも行くか?」
ギルドって不思議な場所だ。娯楽の少ないこの世界のこと、冒険者たちは手持無沙汰になると、何となくギルドに集まって来る。依頼を受けるつもりがなくても、なぜか行っちゃうんだよね。
それは、ギルドでは何かしらの出来事が起こるからかもしれない。良くも悪くも……。
「何もねえな」
「そりゃあ、朝のラッシュの後だもんねえ」
つまらなさそうに言いつつ、タクトは案外熱心に依頼を眺めている。依頼を取るのってほとんどタクトに任せっきりだから、オレも少しは把握しておかないといけないよね……。
残っている不人気な依頼は、掃除や重労働系の力仕事、あとは外依頼でも素材を良い状態で持って帰ってくる、というもの。なるほど、大雑把な冒険者には不向きだろうね。
不人気系の依頼でも、オレは嫌じゃないしたまには受けてもいいなあなんて考えていると、タクトに頬をつつかれた。
「今、入って来てすぐ出てった奴ら、見たか?」
「まったく」
「だろうなあ……。あいつら、ベントスの仲間だ」
知らない人だ。タクトの表情からして、彼の友人でもないんだろう。
それで? と促した視線に、大仰なため息をつかれた。
「なんつうか、ちょっとばかり、可哀そうな気もするぜ」
「なんで?! オレは関係ないでしょう!」
唇を尖らせたところで、タクトがぐっと口角を上げた。
こみ上げる何かを抑えきれずに零れた、凶暴な笑み。
「……出るか。ちょうど暇だしさ」
穏やかに緩んでいた瞳が、熱を帯びてぎらつき始める。タクトから感じる熱が、ぐんと温度と濃度を増した気がした。
何も理解できていないオレは、これからの展開だけは把握したのだった。
「なあ、どこがいいと思う? 路地裏は定番だけど大人数だとちょっと……そうだ、いっそ町の外行こうぜ! 邪魔も入らねえし、あいつらもきっと広々してる方がやりやすいだろ。あ! 俺、剣持たねえ方がいいか? いいよな?」
……デート前だろうか。
オレは、押し付けられた剣を収納にしまいながら、そわそわ浮足立つタクトを眺めた。
なんでもベントスさんは大人数パーティのリーダーらしく、気に入らない人を脅したり暴力で言うことを聞かせようとする嫌われ者なんだとか。ちなみに、Dランク。
「そういう嫌な人、オレもついこの間――あれ?」
眉根を寄せてそこまで言ったところで、首を傾げる。うん? ベントス……?
「もっと早く気づいてやれよ! そうだよ、お前がのしたヤツ! 狙いはお前の方だっての!」
気付くわけないよ! だって後からクラスメイトにちらっと聞いただけなんだもの! もう会うこともないと思っていたし。
「俺もそれ聞いてさ、俺んとこ来ねえかなと思って街をぶらついたりしてたんだけど、中々会えなくてさ! やっと会えたな。あいつら、俺らのこと見てたぜ。絶対来るよな、な?!」
……片思い中の少年だろうか。
タクトは足取りも軽く、ゆっくりと町の外へ向かう。これで彼らが来なければ、本当にフラれたかのように意気消沈するのが目に見える。
オレはわざわざトラブルを起こしたくないのだけど、原因がオレならタクトを放置して帰るわけにもいかない。タクトはラキほどじゃないと思うけど、回復要員も必要だろうし。
遠くからもよく見え、門番からは見えないだろう位置に陣取って、オレたちは暇つぶしに薬草を採ったりおやつを食べるなどしている。
「遅えなあ……」
来るよな、あいつら。なんて切なげにつぶやくタクトに生ぬるい笑みを浮かべた時、その視線がハッと遠くを見つめた。
視線を追った先には、各々武器なんてちらつかせつつ、意気揚々と門から出て来た彼ら。
数十人の異様な団体がぞろぞろとこちらへ向かってきている。全員が全員、いかにも悪いヤツです! と言わんばかりの風貌のチンピラじみた人たち。
「やっと来たな」
不敵に待ち受けるオレたちの間を、きらきらと風が吹き抜けていった。
青い空、光る雲、どこまでも広がる草原に、さんさんと眩しい日差しを浴びたチンピラ。
……ああ、ミスマッチ。こうじゃない感がすごい。
オレは、少し後悔した。
初回は平凡と言われようと、無難な選択をするのが吉だ。やはり、チンピラは薄暗い路地裏や繁華街なんかが似合ったんじゃないだろうか……。こちらの色を出すのは、もう少し互いを知ってからで――
『だから、デートじゃないのよね』
モモの冷静なツッコミが入る。
わ、分かってるよ! ちょっとした現実逃避っていうか。
だって……。
「…………」
「…………なあ、これってどうしたらいいと思う? 俺、迎えに行った方がいいのか? けどさ、やって来て俺たちの周りを取り囲む、なんてシチュエーションを想定してるよな?」
タクトが、サプライズに気付いてしまった彼女みたいに気まずげな顔でオレを見つめるけれど、そんなこと知らないよ!
『間抜けだな……互いにな』
チャトが小馬鹿にして鼻を鳴らす。自覚のあるオレは少しばかり赤面して、ぞろぞろ歩く彼らを睨みつけた。
だって遅いんだもの、歩くの。走ればいいのに。ずっと視界に入っているけど、中々到着しない。
そうだね、張り切って門から離れたのが悪かったね! 見通しいい所を選んだのも悪かったね!! せめて、快晴じゃなかったら良かったよね! まったく、初デートの場所選びは大失敗だ。
『じゃあラピスが悪天候にしてあげてもいいの!』
「やめてあげて! せめてたどり着かせてあげて!」
タクトが泣いちゃうよ?! 張り切るラピスを断って、オレたちは辛抱強く彼らを待ったのだった。
「――逃げねえとは、いい度胸じゃねえか。それとも、馬鹿なのか」
オレは、内心で少し感心した。
こんなに間抜けな登場だったのに、彼らは気まずげに視線を逸らすこともなく、何事もなかったかのようにちゃんと悪者をやっている。
「なんで逃げんの? 俺らに何の用?」
タクトの方は、もはや嬉し気に弾む声音が抑えられていない。せっかくの彼らの演出を台無しにする、ぴかぴか満面の笑み。
「用があんのはそこのチビ……だったけどな。お前、このガキの仲間だろ? 可哀そうにな、仲間とあっちゃあお前も逃がすわけにいかねえなあ」
にまりと笑う悪党たち。きらきらした瞳でオレを振り返るタクト。俺も一緒でいいんだって! みたいな顔をしないでほしい。
「それで? オレに用事って何?」
馬鹿馬鹿しくなったオレは、一歩進み出て険しい視線を一身に受け止めたのだった。