800 甘える大きい生き物
「――それでね、オレたち学会に参加するんだって! ううん、オレたちっていうかオレの召喚獣たちなんだけど。学会なんて言ったら、すごいことみたいだよね!」
分厚い胸板が腹の下で上下するのを感じながら、オレは金の髪を房に取り分けた。最近切るのをサボっているんだろうか。無造作に伸びたその髪は、オレの手でいびつな三つ編みにできるくらいで。
4つ目の三つ編みを作ったところで、手を止めた。
「でも、まだ何をするんだかよく分からないんだよね。学会ってどんなのなんだろうね」
ソファーで寝転がって何かを片手に読んでいるカロルス様。そして、その上に伏せているオレ。返事のないカロルス様に首を傾げ、よいしょと四つ這いになってその視界に割って入る。
何やら書かれた紙を掲げていたから、てっきりそれを読んでいると思っていたのだけど……ブルーの瞳は限りなくぼうっとしていた。
突如目の前に登場したオレに、ぼやけていた瞳が収束してオレをその中に映し込む。
「カロルス様? 何見てるの?」
「……お前しか見えねえな」
口説き文句だろうか。
「違うよ! 今何読んでたの?」
「さあ……知らねえな」
知らないわけないでしょう……くるりと向きを変えて背中を預けると、紙を持つその手を引き寄せた。
ええと、これは……小難しい言葉でつらつらと書いてあるけど、つまりは援助をしてほしいとかそういうことか。他の領主さんからのお願い状だね。
やっぱりロクサレンは裕福だから、あちこちからこういったお願いが来るんだろうか。
領主ってやっぱり大変なんだな、と思ったところで、大きなあくびが背中から伝わってくる。
「で、なんて書いてあった?」
「マウーロの領主さんからでしょう? お金か食料の援助が欲しいってことじゃないの?」
「そうか」
まるで興味なさそうにそう言ってローテーブルに手紙を放ると、ぬいぐるみにやるようにオレを抱え込んで顔をすり寄せた。ごろりと体勢を変え、完全に寝るつもりじゃないだろうか。
もしかしてカロルス様、単なるサボりのカモフラージュに手紙を持っていたんじゃないよね?
「お手紙、大事なものでしょう」
「そうでもねえだろ。グレイが何も言わねえんだからよ」
ぼそぼそ言いながら、高い鼻がオレの胸から首筋をなぞり上げ、首をすくめて笑った。
まるで大型の猫みたいなカロルス様を撫で、ちょうど良い位置にある頭を抱えて再び三つ編みなど作ってみる。
「そんなんじゃ、また執事さんに怒られるよ! ちゃんと読まなきゃ」
「いいんだよ、もう読んだろ。お前が」
オレが読んでもダメでしょう。だけど、こんな風にされちゃ、オレも強く言えない。なんだか、無言で甘えてくるときのチャトみたいだ。
「じゃあ、オレの話は? ちゃんと聞いてなかったでしょう」
「……手紙を読んでいたからな」
読んでなかったじゃない! カロルス様ってば、目を開けたまま寝てたんじゃないだろうか。
「だから、オレとかシロたちが学会に出るんだよ! メメルー先生がそういう……かわいい生き物の学会にするんだって張り切ってるんだ」
「なんだそりゃあ……」
オレの腹に突っ込んでいた顔を上げたカロルス様が、三つ編みだらけの頭で訝し気な顔をする。
「魔法生物の先生だから、召喚獣とか従魔とか、そういう研究発表をするんじゃないの?」
テーマがテーマだけに、一体どんな研究発表になるのか、オレも興味津々だ。メメルー先生の発表は聞かなくても分かる。ジュリアンティーヌちゃんがどれだけ素晴らしいか、論文調で褒めたたえているだけだろう。発表時間は足りるのだろうか。
「へえ……何するか知らねえけど、お前はいいのか?」
いい、とは? ふにふにと大きな手に頬を揉まれるまま、首を傾げた。
「だからよ、そういう研究してんなら、幻獣やらに詳しいんだろ? シロがフェンリルってバレんじゃねえのか?」
「あっ……本当だ!」
ええと、メメルー先生は多分直接シロに会ったことはないはず。遠目に見たことくらいはあるだろうけど。もしかしてバレていたんだろうか。
だけどそうなると、さすがにチャトは出せないな……新種だなんて騒ぎになったら大変だ。
『そもそも、おれは出ないが』
まあ、そうだろうね。蘇芳も出てこないだろうし、ティアは……存在が微妙だからやめておこう。オレから離れないだろうし。
管狐部隊も危険すぎるし、ラピスなどもってのほか。
じゃあ参加できるのは、モモとシロとムゥちゃんと……あとはうるさいねずみが一匹。
『ふふ、俺様の魅力を余すことなく伝えてやるぜー! まさに俺様のために開かれる会! 主ぃ、一張羅を用意してくれよ!』
『あうじ、おやぶのみみょくを、用意すゆのよ!』
うーん、それは自分で用意してほしい。ただ、一張羅の方ならシーリアさんのところで用意できるかもしれない。
『ぼく、参加できない……?』
耳と尻尾を垂らしたシロが、しょんぼりと小さな声で言った。ささやかに振られるしっぽが切ない。
そうだよね、人が好きなシロは参加したかったよね。
「だ、大丈夫……じゃないかな?! 狼の血が入った犬ってことにすれば、きっと大丈夫だよね? そもそもフェンリルと普通の狼の違いって何なの?」
動かなくなった金の頭をぽんぽんと叩くと、低い唸り声と共にごそりと顔が上がった。
片目だけ持ち上げたまぶたが重そうだ。
「さあな。俺らは感覚で分かるが……。そういうことはセデスに聞けよ」
なんでセデス兄さん? 大きな体を揺すっても、もうまぶたは持ち上がらない。
「……だからよ、あいつの専攻が、そんなだったろ……」
「え、セデス兄さんって、ちゃんと勉強もしてたんだ」
そりゃそうか、貴族学校だもんね。オレたちみたいな冒険者稼業がメインじゃなく、きちんと学問をやっているはず。
「じゃあ、ちょっと聞いて来――あ、ちょっとカロルス様! ダメだってば、寝ないよ!」
しっかりオレを抱えた腕に慌てた。捕まったままだと、オレは抜け出せなくなる!
慌てふためくオレの体を揺らす、低く低く、密かに笑う声がする。
「んー? うるせぇよ……」
腹に響くような掠れた囁き声と共に、ぐいっとオレの体が引き込まれる。
わざとだ! 絶対、わざとだ! まだ起きてるでしょう!!
重い体がのしかかるようにオレの体を完全に閉じ込め、囚われてしまったオレはもう、どうしようもない。
ぬくぬくと温かい腕の中、規則正しく深くなる呼吸を聞きながら、とろりと溶けていくしかない。
そう、だってもう、どうしようもないんだから。
あとで。
セデス兄さんは、後でね。
約束したわけでもないセデス兄さんにそう言い訳しながら、オレはこっそり笑みを浮かべてまぶたを落としたのだった。