796 助けになる記憶
「……なんだこれは」
ダーロさんが何とも言えない顔でこちらを見ている。
そうなんでもかんでも、オレが何かやらかしたみたいな顔をされても困る。
一体何事かと駆け寄って――うん、オレのせいですね。
「……何って、ダーロさんの服でしょう」
「こっち見て言え。俺の服は、おろしたてじゃねえ。さらに、濡れていたが?」
おろしたてのわけないでしょう、そこここにほつれやら破れがあるんだから。ただ単に、洗浄魔法で繊維の奥の汚れまで除去しただけだ。
「濡れていた方がいいなら、濡らせばいいじゃない!」
「ちげえ!! そうじゃねえだろが!!」
『完全に同意』
『あなたが正しいわ』
蘇芳とモモまで深々頷いて、ダーロさんの味方をしている。
まだ何か言いたげに青筋をたてている彼から視線を逸らし、さっさと服を着てしまう。
オレは夕食の準備で忙しいの!
「どう? ポトフはいい感じにできたかな?」
「きゅっきゅう!」
胸を張る管狐部隊に間違いはない。大鍋の蓋を取ると、もわりと白い湯気が上がった。
ゆるりと角の取れた野菜が、くつくつと微かな振動に揺れている。
半透明になった玉ねぎ。箸でつつけばほろりとしそうな、スープ色に染まった根菜。
どんと鎮座している塊肉に、ごくりと喉が鳴る。
『ごーはーんー! ぼくも食べる!!』
そこへ彼方から響いてきたシロの声が、見る間に近くなってズザッと止まった。
『おいしいね! 匂いがおいしいよ! ゆーた、これも食べよう!』
ぶんぶんとお尻まで振っているシロは、ラキくらいのサイズの鹿っぽい獲物を咥えていた。血抜きのつもりなのか、獲物には既に首がない。
『ちょっと、たとえるものがおかしすぎるでしょ!』
確かに。だって同じサイズ感だったんだもの……。
「これ、何だろ? とりあえずシロがおいしいって言うならいいお肉だよね!」
ダーロさんたちが知っているかもと振り返り、そう言えば風呂場しかライトをつけていなかったと気が付いた。どうりで風呂場から出てこないわけだ。
「ねえ、これ食べられるよね? 今から料理する時間はないから、ステーキくらいならできるけど」
「お前、どこで狩って……ん? それリョンじゃねえのか?! 首から上はどこ行ったんだよ?!」
「リョンって何? 首は……」
シロを振り返ると、きょとりと首を傾げた。
『頭は、食べないよね? 置いてきたよ』
うん、頭は食べない。オレ、頭はさすがに捌けない。
「捨てちゃった。どうして?」
言った途端、3人がまったく同じポーズで頭を抱えたので、ちょっと笑える。ノオオォ~! って言いそうだ。もしくはオーマイガッ! だろうか。
「捨て……捨て……!!」
「どこだ?! どこに捨てた?!」
「ああ、リョンの角が手に入ったかもしれねえってのに……!!」
どうやら、価値があったらしい。なんだかすごく責められているような気がして、ちょっと唇を尖らせた。
どうせ持って帰っていたって、オレの獲物なんですけど。
「角、何に使うの?」
「知らねえよ! 何かしら加工だの何だのによく使われんだろ! 勿体ねえ……!!」
おや、加工に使えるのか。じゃあ、必要かもしれない。
そこでぽんと手を打った。
「じゃあさ、オレとシロでとって来るから、この鹿捌いて! そしたら角1本あげるよ!」
この大きさの獲物を捌くのは、骨が折れる。今からやるのは正直面倒。でもおいしいなら、オレも今食べてみたい。
3人がぽかんとした後、高速で頷いた。
「……二言はねえな?」
「ないよ。ほしかったら、また取りに来るから」
「チッ! 規格外がよ……」
舌打ちしながらも、彼らはいそいそとリョンに手を伸ばした。
この場をモモに任せて、オレもシロと駆けていく。
『いっぱい捕まえる? たくさんいたよ?』
「ううん、今食べる分と、ラキとタクトの分があればいいから、もう1匹だけ!」
時おり魔物を轢きつつ、夜の闇を駆け抜けたシロが、スピードを緩めて止まった。
『ええと……これだよ!』
フェンリルの接近に、おこぼれにあずかっていた何かが蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
なるほど、そこには小さな鹿っぽい頭部がある。
「角……思ったより普通だね」
小型ヘラジカの角みたいな雰囲気だ。もっとキラキラしていたりするのかと思ったんだけど。
そして、匂いを覚えている狩人は瞬く間に新たな獲物を見つけ出し、ほどなくして帰路につく。
さすがにこの短時間で解体はすませられないだろうけど、ひとまず食べる分があればいい。
「ただいま! お腹空いた!!」
「こっちのセリフだ、この匂いの中……拷問かよ」
てっきり解体の匂いのことかと思えば、どうやらポトフのいい香りのこと。
「お腹が空いてる方がおいしく食べられるよ! じゃあ、食べよっか! お肉も焼こう!」
いそいそ彼らの手元を覗くと、既にほとんど解体されているではないか。素晴らしい……飾り筋と言ったことは取り消さねばならない。こんなに役に立っているのだから。
もう言葉を交わすのも惜しく、ステーキを焼きつつポトフをよそい、解体直後の彼らを洗浄しておいた。
「なっ……これは?!」
「解体したら汚いでしょう、だから!」
「だから……? は? なら、さっき風呂に入ったのは……?」
「意味が、分からねえ……これができんのに、なんで……」
もういいの! そういうところは気にしないの!
誤魔化すように次々皿をテーブルに並べ、にんまりと会心の笑みを浮かべる。
いいね、豪華すぎない冒険者メシって感じだ。これこれ、こういうのがいいんだよ。
『主の基準は、絶対間違ってると思うぜ!』
『そうらぜ! まちまってるぜ!』
人が悦に入っているというのに、オレの仲間はツッコミしかしないんだから!
「さあ、食べよう! 早く席について!」
早く早く、と並んだ尻をぺちぺち叩いてまわると、ダーロさんが期待を込めた目でオレを見下ろした。
「……」
大きなのどぼとけが、ごくり、と動く。
「ああ、そっか。もちろん、みんなの分だよ! オレが引率だからね! このくらいはサービス、ってね!」
その時の3人の瞳は、まるで天使に出会ったかのように純真無垢に輝いていたのだった。
「へえ、鹿っぽいからもうちょっとワイルドな味かとおもったけど、臭みがなくて美味しいね!」
……。3人も同じ食卓にいるっていうのに、誰も返事をしない。
まあいい、その代わり無我夢中で貪る、その姿が見られるのだから。
熱いだろうに……はふっ、はふっと犬のように大きく口を開けて熱を逃がしつつ、ポトフを頬張る大男たち。ステーキは、既にない。
「あのー、この器の中はチーズでね、こうしてつけて食べると美味しくて……」
聞いてる? せっかくチーズフォンデュ風にしたけど、そんな余裕がなさそうだ。
やれやれと固いパンをちぎってポトフに浸し、さらにチーズを絡める。てろり、と糸を引いたそれをくるくると巻き取って。
口の中に広がる、チーズの風味。スープの柔らかい味。
ああ、ほっこりする。
ほふ、ほふ、とじっくり楽しんでいると、3対の視線がこちらを凝視していることに気が付いた。どうやら、第一胃袋あたりが満たされたらしい。
「……だから、チーズフォンデュだってば」
聞いてなかったね?!
むくれたオレが、これ見よがしにキャベツをチーズに絡めてみせると、そこからは当然のように――戦争が起きた。
あるから! チーズはまだいくらでもあるから!!
……口から吐き出される、熱々の白。
真っ暗な闇の中で、ふわふわ漂う白い湯気。
温かい匂いと、温まった体。
満足するまで詰め込んだ腹が、幸せで苦しい。
まだ食べようと手を伸ばしては腹をさすって葛藤する彼らを見て、くすっと笑う。
少しでも、和らぐといいね。
この暗い中で食べた、美味しい記憶はきっと、彼らを助けてくれる。
そうであったらいいな、オレはぽんぽこになった腹を撫でて、そう思ったのだった。
日々慌ただしく過ごしているうちに、1日未来に来ていたようです!!(更新日忘れててすみませんでした!!!)