792 ラピスじゃない
止まない雨は、ざあざあと音をたてて3人の顔を隠している。
ぼうっと突っ立った彼らを見上げて首を傾げ、ひとまず怒っているのではなさそうだと安堵した。
「それで、そろそろ野営の準備する?」
集合してきたから、てっきりそうなのだと思ってにっこりしたのだけど、ハッとしたダーロさんが首を振った。
「クソ! 余計な時間を食ったじゃねえか! 急ぐぞ!」
「「おう!」」
それだけのやり取りで駆け下りていく彼らに、オレの方が慌ててしまう。
「ちょっと?! もう暗くなるよ!」
「うるせえ! なら、寝なきゃいいだけだ!」
ええ……オレ、それは嫌だな。最悪、シロたちに彼らを任せて、休ませてもらうしかない。
彼らはこんな悪条件の中駆け下りるもんだから、3人が3人ともあちこちで足を滑らせて泥まみれになっている。
悪態をつきながら、やはり危険と判断したのか、もはや斜面の一番下まで行ってしまった。
「あーあ……あのままじゃ寝るに寝られないね。お風呂がいるよね」
幸い、と言うべきか否か、激しい雨のおかげである程度泥は流れていくけれど。
せめて早く終わらせて、夕食の準備にかかりたい。
溜息をついて彼らの元へ向かった――その時。
『ゆーた!』
ピンと耳を立てたシロが水色の瞳を鋭くしてオレを見た。ざわり、と胸騒ぎがした直後、地面から振動が伝わって来る。
地震……じゃないかもしれない!
「シロ、オレは大丈夫! モモ、頼むよ!」
言うなりシールドを頼りに、思い切り斜面を駆け下りてダーロさんの元へ。
心臓が、ばくばくする。早く、早く……!!
――それは、あっという間だった。
「なんだ、揺れ……?!」
「滑るなよ、川に落ち――ヒッ」
息を呑んだダーロさん。振り返ったワイクスさんとメリーナさん。
雨音をかき消す轟音と、押し寄せる真っ黒な川。
山が、川になった。
どどう、と迫る巨大な流れの前に、3人はあまりにも小さかった。
「ダーロさん!」
恐怖を張り付けた顔。救いを求めるようにオレに伸びた手。
その手が触れたか、触れなかったか、その瞬間。視界は真っ暗になった。
オレの目でも何も見えない、光ひとつない真っ暗闇。
オレの手は、ちゃんと捕まえただろうか。この手に、握っているだろうか。
まだ重低音響く闇の中で、早鐘を打つ胸を押さえ、深呼吸した。
――ユータ、ユータ、どこにいるの? 急に川が地面になったの……ラピスじゃないの、違うの! これは違うの!
慌てて言い訳しているラピスの声に、くすりと笑みが浮かぶ。ああ、なんだか色々吹っ飛んでしまったよ。これは、ラピスのせいだからね。
そして、反省した。もう少し、早く避難を促すべきだったんだ。オレは、ちゃんと気付けたはずなのに。
「ラピス、大丈夫、分かってるよ。今、周りはどんな感じ?」
――さっきまで川だったところが、全部地面になったの。山が半分くらい埋まったの。地面が、流れてるの。
土石流……。
この雨だもの、用心するのが当然だった。少なくとも、オレは知っていたのに。
右手が、動かない。指先は痺れて感覚がない。
オレは、ごくごく小さなライトを灯してにっこり笑った。
「もう、大丈夫だよ」
オレの右手の先を握りしめた大男が、身を縮こませて震えている。彼は眩しさに一瞬目を細め、次いで見開いて必死にオレの手を手繰って引き寄せた。ひっひっと促拍する呼吸が、まるでしゃくりあげるよう。
「ごめんね、怖かったよね。大丈夫、大丈夫。ゆっくり息をして」
努めて穏やかに、縋りつく大男に言って聞かせる。しがみつく力の強さに顔をしかめつつ、幼子にするように、震える背中を撫でて回復を施した。
やがてその呼吸が穏やかになってきた頃、大男はダーロさんになってぱちりと瞬いた。
「……分かる? ダーロさん、オレだよ」
意思を宿した瞳をのぞき込み、にこっと笑う。
「お、前は……なんで。なんだ、これ、一体……」
「あのね、山が崩れて流れて来たんだよ。ここは、オレのシールドの中だから安心して」
「は……? シールド?」
まだどこか狐につままれたような顔をしていたダーロさんは、突如顔を上げた。
「あ、あいつらは?!」
片手でオレを掴んだまま、シールドに触れて確かめ、その範囲がごく狭いことに焦燥の表情を浮かべる。
「大丈夫だよ。オレの仲間がついているから。ひとまず、ここから出なきゃね」
とは言え、さてどうしようか。これ、どっちが上なんだろう。
――ラピスがお宝発掘するの! 大丈夫、もうめちゃくちゃになってるから、ちょっとくらいラピスがやっても大丈夫なの!
「え、ちょっと待っ……」
冷や汗と同時に、思い切りシールドを強化した。
ドン、ドン、ドン、まるで巨人がこん棒で地面を突くような音が方々で響いた。
ドン!!
ひと際大きな音と共に、びりびりとシールドに圧を感じる。
――あ、いたの! お宝発見なの!
きゅっきゅと嬉し気な声がして、シールドを雨が打った。
「あ、ありがとう……でも、もうちょっと優しく探し当ててくれると嬉しかったな……」
滲んだ汗を拭って、みるみる周囲を埋めようとする土砂に手をついた。
「ちょっと揺れるよ、よいしょっ!」
オレたちごと地面を持ち上げ、被害の及んでいない森の方へ。土壁を立ち上げる要領で道を作る。
「さあ、行こうか!」
掴まれたままの手を引くと、棒を飲んだように立ち尽くしていたダーロさんが、恐ろしいものでも見るような目でオレを見た。
「驚くのは、後! みんなを早く探さなきゃ!」
こくこくと頷いた彼が、重い足を踏み出した。
「だって、夕ご飯が遅くなっちゃうからね!」
そして、にっこり笑ったオレに再び驚愕の視線を寄越したのだった。
*****
ユータと視線を交わしたシロが、傍らのメリーナへ飛びついた。
しっかり咥えて大地を蹴り、悪天の空へ。
メリーナは、見開いた目で見ていた。圧倒的な土砂が、轟音と共に今いた渓谷を埋め尽くすのを。魔物たちが、瞬く間に巻き込まれていくのを。
『ゆーたは……大丈夫!』
ユータの中にいるチャトが、心配するなと言っている。
シロは一度空を蹴り、さらに押し倒された木を蹴って動かない大地に着地した。
『大丈夫? ねえ、みんなのところへ行こう!』
ユータたちは、土石流に流されて離れてしまった。
早く行こうと尻尾を振って吠えると、放心したように座り込んでいたメリーナが、ビクッと体を震わせた。
「なんで……なんで。あたしら、そんなに悪いことした? ダーロ、ワイクス……なんで」
途端にうずくまって泣き出してしまったメリーナに、シロは困って鼻を鳴らす。
『泣かないで、泣かないで。あのね、大丈夫なんだよ。みんな、無事だよ! だってユータとモモたちがついているから!』
うろうろ周囲を回って頬を舐めてみたけれど、さめざめと泣くのをやめようとしない。
一生懸命頬を舐めるシロを撫で、メリーナが暗い瞳で水色の瞳を見つめた。
「……お前は、何も知らなくていいね。なんであたしを助けたんだよ……お前の主人だって、もう――」
『だって、ぼくが助けないと死んじゃうでしょ? ゆーたは大丈夫だよ、強いから。ほら、こっちだよ』
伝わらない言葉にもどかしくなりながら、シロは道を示すように数歩歩いて飛び跳ねた。
黒い木々の中、白銀の毛並みがきらきらと滲む。
動かないメリーナは、このままだと魔物にだって襲われるだろう。だけど背に乗せようとすれば悲鳴をあげて転がり落ちてしまう。どうやらダーロ連れ去りの件がトラウマになっているらしい。
シロは途方に暮れて耳と尻尾を垂らした。これは、連れて行くのを断念するしかない。
『うーん。じゃあ、ちょっとだけ我慢して。ここだと濡れちゃうでしょう』
「え、何、うあ、ああぁーー!」
風邪をひいてはいけないと親切心を発動させたシロは、短距離ならいいかな、と再び彼女を咥えて森を走ったのだった
皆さん、さすがよくご存知で!
そう!私が出てこなかった名前は『芭蕉扇』!!なんであのウチワみたいなの思い出そうとして人名が出てくるのか不思議でしょうがなかったんですけど、すんごい惜しかったじゃない?!っていうね!
むしろなんでそこまで出て分からなかったんだ……っていう思いの丈をユータに味わってもらおうと思って(笑)
*カクヨムさんの限定公開ss投稿してます~!