781 大丈夫じゃない人
ころり、意思によらない寝返りに、夢見心地の体が覚醒に向かう。
ピィ、と声が聞こえた気がする。そして、再びぐいぐいとオレの下に潜り込む何か。
「ん、んーーもう。そんなに転がしたら、そのうちベッドから落ちちゃうよ」
半分しか開かないまぶたをこすりこすり、ほとんど手探りで丸い頭にすり寄った。
「おはよう、プリメラ」
「ピピィ」
肩を竦めるかのように一声鳴いて、桃色のふわふわ蛇さんが鷹揚に頷いた。
「もう起きたよ……タクトはとっくに起きてるだろうし、ラキはこれから?」
起き上がっただけでは許してもらえず、ついにベッドから押し出されて苦笑する。
プリメラは、そうだと言わんばかりに尻尾を振って、するすると扉の方へ滑っていった。プリメラの朝は忙しいね。そして、抜かりない。
扉の前で、オレがベッドに戻っていないかしっかり確認と、にらみを利かせてから出て行った。
「そうだ、晩酌……途中だったのに寝ちゃったなあ」
執事さん、一人で飲んでいたんだろうか。それだとすごく申し訳ない。
飲んでないのに起きていられないとは、中々に残念だ。
少ししょんぼりと肩を落としたところで、ハッと気が付いた。
「そうだ、執事さん大丈夫かな?! オレが回復するはずだったのに……!!」
普通の人が飲めないようなお酒だって言ってたもの。早く行って回復しなきゃ!
大慌てで部屋を飛び出すと、廊下の角で思い切り誰かにぶつかった。
「おはようございます、そんなに走ると危ないですよ。どうしました?」
「あれ……? 執事さん?」
「はい?」
首を傾げるオレに合わせるように、執事さんも不思議そうに小首を傾げて下ろしてくれる。
「大丈夫なの? ごめんね、オレ昨日寝ちゃって……」
「いえいえ、私がおやすみくださいと言ったのです。大丈夫、とは?」
心当たりがなさそうな執事さんに、オレの方がキツネにつままれたようだ。
そういえば、昨日の執事さんはいつもとちょっと違ったし、もしかして別人だったり……
「ああ、私の体調を心配下さったのですね。ふふ、大丈夫と言ったでしょう? 残念ながら、『大体の人間』には当てはまらないのですよ」
ああ、やっぱり昨夜の人も執事さんだったらしい。
「本当? だけど、ちょっと回復しておくね! あれから、一人で飲んでたの?」
ふわり、と回復の光で包み込むと、執事さんは目を細めて心地よさげな顔をする。
「……ありがとうございます。ユータ様がおやすみになってからは、カロルス様がいらしてましたよ」
「え、そうなの! いいなあ! ねえ、オレも今度一緒に飲みたい」
だってこれぞ、男のサシ飲みって感じだ。
落とした照明の中で、ちびちび飲む酒、ぽつぽつ語る言葉……渋い。カッコいい。
瞳を輝かせてねだったオレに、執事さんが目を瞬いた。
「それは……お勧めしませんね」
ふ、と浮かんだ笑みはあの夜の執事さんみたい。
どうして、と言う前に屈みこんで顔を寄せた執事さんが、人差し指でつい、とオレの頬を撫でた。
「――怖いですよ」
浮かべた笑みの迫力に、今度はオレが瞬く。だけど、二度瞬いたその時には、もういつもの微笑みがそこにあった。
「楽しみにしていますよ、いつかご一緒できる時が来るのを」
くす、と笑った執事さんが歩み去ろうとして、ふと肩越しにオレを振り返った。
「ああ、私は大丈夫ですが、一緒に飲んだ人は大丈夫ではないかもしれませんねえ……」
一緒に飲んだ人?
立ち去る背中を見るともなしに見送って、オレはぽんと手を打った。
「カロルス様ー! どう? 大丈夫?」
お部屋の扉を開け放って飛び込むと、カロルス様がベッドの上で呻いて布団に丸まった。
うわ、酒臭い。執事さんはどうして酒臭くないんだろうか。
「……ユータか……いい所に」
大丈夫じゃなさそう。蚊の鳴くような声で、ちょいちょいとオレを手招いている。
さすがのAランクも、あのお酒はキツかったらしい。もしかして二人で3本空けちゃったんだろうか。死ななくて良かった……。
「もう……執事さんは平気そうだったよ?」
「あいつと一緒にすんじゃねえよ……」
張りのない声がさすがに気の毒で、とことこベッドサイドまで歩み寄れば、がっちりと抱え込まれてしまった。これは、回復するまで放してくれそうにない。
濃厚なお酒の匂いで、オレが酔っ払いそうだ。
解毒の要領で回復を施していると、徐々に腕の力が抜けていく。
思い切りシワの寄っていた眉間が平になり、固く閉じられていたまぶたが開いた。
「あーー死ぬかと思った! くっそ、あの魔王め……」
ぶつぶつ言いながらオレの腹にすり寄って、顔を埋めている。
「二人で飲んだんでしょう? いいなあ」
「いいわけあるか! お前の代わりに生贄になっちまっただけだろが」
生贄って。本当に魔王みたいな言い草にくすくす笑う。そんなことを言いながら、二人から漂う気配は満足そうなんだもの。やっぱり、いいなあって思う。
「オレも飲めるようになったら、ラキやタクトたちとそんな風に飲めるかな」
大人になった二人は想像できないけれど、もしかすると執事さんとカロルス様みたいな雰囲気なんじゃないだろうか。
じゃあ、オレは大きくなったらどんな感じだろう。カロルス様みたいになりたいと思うけれど、外見はともかく中身はあんまり似てないもの。
『欠片も似てないな』
『スオー、さすがに無理があると思う』
オレの中で寝ていたはずの辛辣組が、ここぞとばかりに口をはさむ。……寝てなよ!!
「お前、飲めそうにねえけどな」
方々に寝癖を跳ねさせたカロルス様が、顔を上げてにやりと笑う。
「飲めるようになるよ! 大人になったら!」
そうだ、あれはどうだろうか。オレ専用の解毒蝶々を作るんだ。それをいっぱい飛ばせておけば、オレが酔いそうになったらすぐさま解毒してくれる!
『それって、ジュースを飲んでいるのと一緒じゃないかしら?』
呟くモモが、カロルス様の布団でまふまふ弾んだ。
上下する桃色を視界に収めながら、オレは愕然と言葉を失っていた。
そうか……なんたること。お酒を楽しむには、酔わなければいけない。
どうしよう、ほどよく酔えるくらいに解毒する方法を会得しなくては。大人になるまでに!!
真剣に頭を悩ませるオレを抱え込んだまま、カロルス様が大きなあくびを零して起き上がった。
「は~、酷い目に合ったが酒は美味かったな!」
「酷い目って、カロルス様が飲むからでしょう」
別に、無理に飲まされたわけでもないだろうに。じとりと見上げると、何食わぬ顔で視線を逸らされる。
でもまあ、お酒が美味しかったんなら良かった。
「また、買ってくるね!」
「おう、けどもうちょいフツーの酒にしろよ。俺が大丈夫じゃねえわ」
苦笑するカロルス様を見上げ、くすりと笑う。だって、なんだかんだ次も執事さんと飲むつもりでいるんだもの。
「オレも、タクトとラキ3人で晩酌会しようかな!」
何も、お酒じゃなきゃダメなわけじゃない。
おつまみをたっぷり用意して、色んな飲み物を用意するんだ。
「晩酌会って何だよ、夜のお茶会じゃねえか」
鼻で笑われ、むっと頬を膨らませる。そんなこと言うなら、おつまみ分けてあげないから。
オレの脳内は既に晩酌会のことでいっぱいだ。
服装は、やっぱり大人な雰囲気のあるバスローブだろうか。
『どうでもいい』
形から入ろうとするオレを、再びチャトがバッサリ切り捨てるのだった。
おっさんLOVE臭に笑いました。
執事さんの妖艶な魔王感を出したかったんですけどおっさんLOVEになってしまいましたか(笑)
ちなみに執事さんは酔ってる時も翌日もばっちり記憶あります。酔っ払い人格じゃなくむしろあれが素。