777 仕事終わりの一杯
「すみません……でも、あの決して悪い意味では! 美しいというのは男女共通の概念で――」
もういいよ……下手な慰めは逆効果だよ……。
平謝りするココ博士に苦笑して、オレたちはお詫び代わりの唐揚げを頬張っている。
「美味いな!」
「うん、さすがユータ直伝だね~!」
「こんなに毎日揚げていたら、オレよりずっと上手だよ!」
そもそも、熱々できたての唐揚げが、美味しくないはずがない!
無骨なピックを刺して、口いっぱいにはふはふ頬張った。
じゅわり、にじむ肉汁と小気味いい衣の音。
ごくり、肉のかたまりを飲み込む心地よさ。
傍らに置いたグラスに口をつければ、きりりと冷えた液体が熱々の喉を潤して、鋭い酸味が油気を拭い去っていく。
レモンチューハイ、と言いたいところだけど、これはノンアルコール……まあ、つまりはジュースだけど。でも、レモンとシークワーサーを混ぜたような酸味が強く苦みのある果実水は、随分大人っぽい飲み物に感じた。
ぷは、と息をついて、路地を行きかう人を眺める。
ああ、なんだろうな、この贅沢な気持ち。
オレだけ休暇を楽しんでいるような、背徳感と優越感……そんな気がする。
「これが打ち上げみたいなもんだよね!」
「そういやそうだな! 俺ら、貴族の護衛任務、無事に遂行したもんな!」
「打ち上げより豪華な接待は十分に受けたけどね~」
あれは、どちらかと言うとお仕事の一環みたいな気分だったもの。美味しかったけど。
「じゃあ、改めて?」
オレたちはグラスを手に、視線を交わした。
「「「かんぱーい!」」」
一斉に突き上げたグラスが、ガチンと合わさって手が濡れる。
こっこっこ……残り半分ほどだったそれを一気にあおって、ひときわ大きな息を吐いた。
「んーーすっぱ!」
「唐揚げ唐揚げ!! 口がすっぱいわ!」
「うわ~顎がきゅうっと痛い~! ちょっとタクト、僕も唐揚げ食べるんだから~!」
慌てて残った唐揚げを頬張って、口いっぱいに湧き出した唾液の消費を試みた。タクトがハムスターみたいに頬張るもんだから、争奪戦だ。
大仕事やり終えた後の一杯、やっぱりこれは格別だ。
ぬるいモモたちの視線は見なかったことにして、オレたちはひとしきり笑い合って、ささやかな打ち上げを楽しんだのだった。
「――執事ぃ? ああ、あの恐ろしく怖えぇ悪魔みてぇな?」
シュランさんが、言った途端慌てて周囲を見回した。大丈夫、いないと思うけど、オレもそれは言わない方が賢明だと思うな。
「悪魔って! そんなことない、執事さん怖くないよ? ……普段は」
怖い時は、怖い。それはもう、芯まで凍り付くほどに怖い。
「……まあ、いいけどよ。そいつに酒を買ってくのか?」
「うん! 執事さんお酒好きそうだし、すごく強かったから、何がいいかなと思って」
シュランさんは、もう様変わりしたお店とその運営に慣れた様子。バーテンダーみたいな制服も、棚から瓶を探し出す仕草も、随分様になっている。それは大いにガウロ幼少部隊のおかげでもあるけれど。
「酔わねえだろうぜ、ああいう手合いってのは。だからよ、とびっきりキツイのお見舞いしてやろうぜ? べろんべろんにしてやらァ!」
ノリノリで選んでくれているのはいいんだけど、オレ、嫌がらせするんじゃないからね?! お礼を込めたお土産なんだからね?!
カウンターに並べられた瓶は、どれも小さいもの。手のひらサイズから、せいぜい20センチくらいまで。
棚に並ぶお酒の瓶は大体ワイン瓶くらいだから、とても小さく感じる。
「なんでこんなちっせえの? なんかみみっちくねえ?」
シュランさんが、ニヤァと笑みを浮かべた。
「なら、ちっとだけ舐めてみな」
「え、いいのか!」
ちょろりとほんの数滴垂らしたスプーンを、タクトは止める間もなく口へ含んだ。
「――ぅあっつうぅ?! いでぇ、痺れる!!」
涙目で悶絶するタクトに、大笑いしたシュランさんが水を差しだした。
「ぶゎーーか! ケツの青いガキが飲める酒じゃねェんだよ、ママのおっぱい卒業してから来なァ!」
……えーと。シュランさん、もしかして酔ってる? カウンター叩いて盛大に笑ってるけど、タクトが復活したら知らないよ?
まあ、言わんこっちゃない。
その後怒りのタクトですっかり酔いも醒めたシュランさんは、さっき出してきたお酒を真面目に解説してくれている。
と言っても、飲めないオレが聞いてもよく分からないので、お勧めの中から気に入った瓶3つを選んだ。
「アー、まあ、いんじゃね? そんなもんで。感謝しろよな、フツーの店でお前みてェなチビにこんな酒は――いやっ、こいつだけだから! ちっせえのもガキなのもこいつだけ!!」
じろり、と鋭い瞳に射すくめられ、シュランさんが慌てて手を振った。
なんでオレはいいの! 納得いかない気分でじろりと睨み上げるけれど、オレの視線には涼しい顔でウインクなど返されたのだった。
「塩辛いおつまみかぁ……」
執事さんへのお土産を大事に収納に入れ、合わせるおつまみについて考えを巡らせる。
お酒だけじゃ、寂しいよね。オレたちみたいに、仕事終わりの一杯を楽しんでもらえるよう、おつまみは必要だ。だけど、執事さんってそんなに食べないし、脂っこいものもそこまで好きではなさそう。
「ウチの父ちゃんは、酢漬けみたいなの食ってたぞ」
「それだったら、工房でカン爺に聞いてみたら~? カン爺、強いお酒飲むよ~」
それって、工房に行こうってことだよね。
シュランさんのところでゆっくりしちゃったので、工房は今度でいいかなという気分だったけれど、ラキは断固として行くつもりのよう。
まあいいか。オレもカン爺さんとサヤ姉さんから情報収集したいし。
のんびり歩いて向かった工房手前で、ふとタクトがオレの手を取った。そして、何かを察したラキが、すっと距離を空ける。
「どうしたの?」
「ん? まあ、見てなって」
その笑みに何となく嫌なものを感じつつ、オレたちはいつものように工房に足を踏み入れた。
「来たぞー! カン爺とサヤ姉いる?」
よく通るタクトの声が、騒がしい工房の中に響き渡った。
二人はどこかと首を巡らせ、ふと、工房内に溢れていた音が消えたことに気付いた。窯の前にいた人、何かを叩いていた人、運んでいた人……それぞれが時間を止めたようにピタリと静止して、こちらに視線を注いでいる。
異様な光景にビクッと肩をすくませると、タクトがこれ見よがしにオレを抱き寄せた。
…………ねえ、オレ、これ前やった気がする。
しまった。だから着替えるなって言ったんでしょう。じっとりタクトを見上げたところで、ふよふよ揺れたモモが何か耳打ちした。
にやり。今度はオレが笑みを浮かべる。
ふふ、オレがいつまでも以前のオレだと思ったら大間違いだ。
「タクト」
「ん?」
くいっと袖を引いて小さくささやくと、タクトが訝し気に耳を寄せた。
気合を入れて伸びあがって……直前で日和ったオレの後頭部に、モモアタックが炸裂する。
「!!」
口元にはちょっぴり、タクトのほっぺの感触がした。
ナイスアシスト。よし、これは作戦成功とみなす!
にま、と浮かべた笑みと、タクトの丸くなった瞳が交差する。これで、おあいこというものだ。
そして、工房内に響き渡った大音量……。
「タタタタクトがぁーーーー!! 今度こそ彼女連れて来たぁーー!! 髪の長い彼女ーーー!!!」
どこにいたのか、くわんくわんと建物を揺らすようなサヤ姉さんの雄叫び。相変わらずだ。
「カン爺とサヤ姉って言ったぞ?! まさか、まさかご両親にけっこ、こっこ、結婚の報告みたいなーー?!」
「待て待て待て、まさか色々飛ばしすぎだ! まずは彼女の顔見せ……うおおぉ彼女おぉーー!!」
そして、工房内は阿鼻叫喚となった。うん、こっちも相変わらずなんだね……。
後ろでは、ラキが地面にうずくまって息も絶え絶えに震えている。
隣では、タクトが不貞腐れた赤い顔をしている。
「お前なあ……その恰好でナシだろ。なんか恥ずかしいわ」
「オレだけ恥ずかしいのは不公平でしょ!」
いや愉快。してやったりとはこのことだ。
オレも成長したものだとしみじみ感じて、清々しい顔でにっこり笑った。
色々聞こえてくる召喚獣たちの声は、聞こえなかったことにして。
せっかくここまで来たら踏襲しておかなきゃダメな気がして……