775 王都での噂
「……もう着いてしまったのね」
窓の外を眺めた瞳が、切なげに伏せられる。
「ええ……せめてもう一度。願うくらいは許されるでしょうか」
揃って溜息をついている二人を眺め、苦笑する。
それって、何かお菓子でもお土産に渡せばいいってことだろうか。
あんなことがあったのに、王都についてホッとするどころかこの調子なんだから、ナターシャ様は逞しい。
『だって、ほとんど怖い思いしていないじゃない』
『牢でうまいモン食って、ぬいぐるみになっただけだぜ』
いやいや、十分怖かった……はずだよ?! この様子を見ると自信なくなってくるけども!
あれから、まずクリスティーナさんの所でしばらく滞在し、賊のことやら今後の旅程やら王都への連絡やら諸々の面倒な手続きを……もちろん、ナターシャ様付きの人たちが行った。
オレたちはただ賊を殲滅しただけなので、ある意味楽だ。こう見ると、専属護衛の人なんかは戦う以外のことにもいろんな技能が必要で大変なんだろうな。
無事にそれらを終えて、今日やっと王都の地を踏んだというわけなんだけど、この有様だ。
「王都まで、遠かったね」
転移でひょいと行けてしまうけれど。
シロだと1日かからないけれど。
だけど、本来はこんなに遠いんだなと改めて思う。
「だな! 貴族様ってのはあっちこっち寄って、こんなに時間かかるもんなんだな」
「短期間で行く場合は、また違うだろうけどね~。特に今回は、なるべくゆっくりしたかったみたいだし~?」
オレたちは沈むナターシャ様とミーシャさんを見やって、くすりと笑ったのだった。
「――いやよ、私ユーちゃんと一緒に暮らすの! 離れたくないわ! わ、私の妹なのよ!!」
何となく、こうなるような気はしていたけれど。
どうしても、と懇願されて豪華絢爛なザイオ家の館で泊まること2日。不満などあるはずもない心づくしの接待を受けていたけれど、何分慣れない環境に食傷気味だ。
そろそろ……と切り出したところでこの騒ぎになってしまった。
離さないとばかりに力いっぱい抱きしめられて、子犬にでもなった気分だ。
「ナターシャ、聞き分けなさい。彼らにも彼らの生活があるのだから」
「冒険者より、私と一緒に過ごす方がいいわよ! 危なくないじゃない!」
「失礼なことを言うものじゃないよ」
やんわり告げるご両親を、少し驚いて見上げた。
そうか、こういうご両親だからこそ、ナターシャ様はこんな風なんだな。
いくら前回の信頼があるとはいえ、大事なお嬢様の最も身近にオレたちを置くなんて、普通の貴族では考えにくいことだもの。エリーシャ様は、貴族は冒険者を下に見ることが多いって言っていたし。
冒険者は冒険者として、貴族は貴族として、それぞれをフラットに見ることのできる目。それってすごく大事なものだ。
オレたちはザイオ家が繁栄している理由の一端を、垣間見た気がした。
相変わらずの人混みは、オレたちのことなど眼中にないかのように通り過ぎていく。
両脇を挟み込むようにラキとタクトが付いて、オレたちは久々に3人でのんびりと王都を歩いていた。
なんとかナターシャ様に納得してもらい、涙の別れを経て、ザイオ家からギルドへ寄って来たところだ。
ナターシャ様、マリーさんじゃあるまいし、2日後にクッキー届けに行く約束をしているのにね。
「オレたち、なんだかお金持ちになっちゃったね……」
「おう、こんだけあると怖えぇな」
「じゃあ、使っちゃえばいいんじゃない~?」
そう、今回の報酬は、ちょっとびっくりするような額になっている。元々高額だったけれど、追加報酬が倍を超えてまん丸に開いた目と口がしばらく閉まらなかったほどだ。さすがは、貴族様……。
「お前、何に使うんだよ。素材ってそんなかかるもん?」
「かかるよ~! だってレア魔物だとか、Aランクの魔物だとか、高いに決まってるでしょ~? さっきギルドで聞いてきたんだけどさ~、ちょっと前にはヒュドラの毒とか市場に出てたらしいよ~! それなら、他のAランク素材だって出てくるかもしれないでしょ~?」
思わぬ単語につい飛び上がり、二人が訝し気な視線を寄越した。
「ヒュ、ヒュドラってあの、アレだよね?! なんで? どど、どうやってそんな毒が市場に?!」
「ヒュドラが留まっていた森の中から抽出されたらしいけど~? そこが気になるの~?」
ラキがスッと目を細め、オレは大汗をかいて視線を逸らした。
「いやそんなことより! そのヒュドラは?! 大規模討伐になるよな?!」
「そうだよね~まず気になるのそこだよね~?」
そ、そうか……! しまった。だってオレ、ヒュドラがもういないって知っているんだもの。
薄い笑みを浮かべたラキが、じっとオレを見つめている気がする。
「それがね~、もう討伐されたらしいよ~」
「そうなのか……まあ、ヒュドラだもんな。早く討伐しなきゃいけねえよな。騎士団か? もしかしてメイメイ様とバルケリオス様も活躍したんじゃ?!」
目を輝かせるタクトに、オレの汗は止まらない。
ええと、ええと、どこまで言っても大丈夫だっけ? カロルス様って言ってもいい? オレたちが関わっていることは内密事項だっけ?! ああ、そういえば諸々の手続きに執事さんとガウロ様が奔走していて……それで――それで、どういう話になったか知らないままだった!
何一つ迂闊なことは言えない。言って大丈夫かもしれないけれど、大丈夫じゃないかもしれない。
「それがねえ、まだハッキリ対外的な発表はされていないらしいよ~。褒章だとか、そういう話が進んでいないらしくて~」
そうだろうね! カロルス様逃げたし。ロクサレン家は爵位とか褒美とか興味ないし。むしろ諸々お断りしているから長引いているんじゃないだろうか。
「なんでだ? ……え、もしかして討伐したの、騎士団とかそっち系じゃねえってこと?! ってことは冒険者パーティ?!」
「恐らくはそういうこと~! だからみんな興味津々で、噂が氾濫して何が本当か分からないらしいよ~?」
ホッと肩の力を抜いた。つまり、誰が倒したとか、そういったことは未発表、言っちゃいけないことだ。そして素材が販売されているし、ヒュドラがいたことは公表されているので言ってもいいこと。ひとまず、カロルス様の名前が出てこなかったことで一安心だ。
「すげえ……倒したヤツらってどんなだろうな?! 何人パーティなんだ? 新たなSランクの誕生になるんじゃねえ?!」
ウキウキするタクトのセリフに、だから交渉が長引いているのかもな、と思う。
国側は今回のことで、カロルス様をSランク認定したいのかもしれないね。絶対無理だと思うけど。
下手したらロクサレンが敵に回るから、ほどほどにしておいてほしい。
「騎士団も迅速に動いたらしいから、実際のところ誰が中心になったのかは分からないけどね~。例の毒も、騎士団経由らしいし~」
「そっかー! メイメイ様、なんか知らねえかな? 聞きに行こうぜ!」
今にも方向転換しそうなタクトに苦笑する。さすがに、それ目当てに行っちゃあだめだと思うよ!
「唐揚げは〜? いいの〜?」
「あっ! いいわけねえよ、早く行こうぜ!」
気もそぞろだったタクトが、途端に早足になった。
オレたちは、街歩きついでにシュランさんの店へ向かっているところだったんだから。
「ユータはこないだシュランさんの所へ行ったよね〜? 唐揚げ食べた〜?」
「食べたよ! お腹いっぱいだったから、ちょっとだけ。大人気だったよ!」
忙しそうだったみんなを思い出し、これって行ったら手伝う羽目になるんじゃ……なんて脳裏をよぎる。
「カロルス様も食べたの~? 美味しいって言ってた~?」
「もちろん! 唐揚げを嫌がるはずがないよ!」
だって、野菜だって唐揚げにすれば渋々食べるし。
「そっか~。じゃあカロルス様の演劇が増えるかもしれないね~」
そうだった! それをチェックしておかないといけないと思って――あれ?
オレは目を瞬いて、ラキを見た。
ラキは、涼しい顔でにっこり笑う。
「演劇って……? へえ、こないだはカロルス様と一緒に王都に来てたのか?」
呟いたタクトが、ハッとオレを見た。
「ってことは?! まさか、まさか討伐したのって――」
おかしい。どう考えてもおかしい。
オレ、そんな失言しただろうか。
オレは納得いかない思いで、がくがくと揺すぶられていたのだった。