754 上級精霊のお気に入り
真剣な顔をすると、少し大人っぽいものだな。
上下する身体をぼうっと視界に収め、そう言えば幼児らしい頬の丸みが大分削がれてしまったなと思う。
ふ、ふ、と短い呼気が微かに聞こえ、日に焼けた肌には汗がひとしずく、つう、と伝って鼻先から滴った。
「なんか、タクトがいると室温が上がる気がする~」
振り返ったラキが、若干迷惑そうに筋トレする彼を見やると、途端にいつものタクトになった。
「気のせいだっつうの! そんなわけねえだろ!」
いやいや、気のせいじゃないかもしれない、タクトがそばにくると実際熱を感じて暑いし。
腕立てをするタクトに飛び乗ってやったことがあるのだけど、なぜか運動していないオレまで暑くなってきたもの。ちなみに、お前じゃ重りにならねえって鼻で笑われたけども!
「俺が一番暑いんだからな!」
ぶつぶつ言いながら再びトレーニングに勤しむタクト。既に背中を向けて作業に集中しているラキ。
立て続けの討伐だったから、こういう日もいいよね。
今日は午後からみんな授業がないので、部屋でまったりしているところだ。
『まったりしてるのは一人』
オレの枕を陣取った蘇芳が、ふさりとしっぽを振ってそんなことを言う。
……蘇芳だってまったりしてるじゃない! チャトだってシロだって、へそ天で寝ているのに。
『まあ……あなたがその辺りと同列にいるのなら構わないけれど』
モモが、ごろごろするオレの上を跳ねていった。
……確かに、人間2人はそれなりに熱心に活動している。
あれ? オレだけ? ぐうたらしているのって。
そう気付いて何となく焦燥感を覚えた時、ちょうどよく用事を思い出した。
「あ、そうだ! オレ王都に行ってこなきゃ」
勢いよく立ち上がったオレに、2人の視線が集中する。
「王都に? この間行ったとこだろ?」
「そうなんだけど! だから行かなきゃいけないというか……ちょっと拗ねそうな人を放って来ちゃったというか」
「拗ねそうな人~? ミックさん~?」
ミックは大人だもの、拗ねたり……するね。多分、現在進行形でしてる。だって、ガウロ様の本邸に泊まっていたことを知っているだろうから。
「……ミックじゃあなかったけど、行く場所が増えたね」
「うん、行っておいた方がいいね~」
「あ、じゃあさ! シュラン行ってくれよ、なんかいい依頼ないか聞いといてくれ!」
シュランは先日行ったとこだけども。まあいいか。
王都に転移したら、下手すれば街を歩いている途中で攫われる可能性もある。なら、もう直接行っちゃおう。そうすると今度ミックの所へ行きづらくなるんだけども。
ふわりと転移の光が収まるか収まらないかの瞬間、かぐわしい香りが鼻腔をくすぐった。
『ヒトの子! 来た!』『ちゃんと来た!』
すうっと首筋を撫でるように通り過ぎた風が、花びらを巻き上げ嬉しげな声をあげる。
「ちゃんと来たよ! あれ? シャラは?」
そよぐ花畑の中に、ふて腐れた顔はない。
『シャラスフィードいるよー』『ちゃんといるよー』
寝転がってでもいるのかと再び花畑へ視線をやった時、ふわりとオレの服が、髪が、はためいた。
「え?」
周囲の花が、オレを中心にそよいだと思った瞬間。
「うわああーー?!」
どうっと押し寄せた圧力で、オレの小さな身体が吹っ飛んだ。
絶対、シャラだ。
竜巻のような風であっという間に遥か上空へ打ち上げられ、ふっと風が止んだ。
視界を風色の猛禽が横切った、と思ったか思わないかのうちに、落下が始まる。
「ちょっとシャラ~~~!!」
真っ逆さまに落ちていきながら、チャトを呼ぼうかモモシールドを展開しようか悩んだところで、落下が止まった。
風色の猛禽が、オレを掴んで――ひょいと放り投げた。
「もう! オレはオモチャじゃないんだから!」
落下より先にがちりとオレを抱きとめたのは、しなやかな腕。
じろりと睨み上げた瞳は、ちっとも堪えた風もない。
「一番に来たな」
相変わらずオレの主張は華麗に流され、関係ない台詞が返される。
何のことかと思えば、真っ直ぐここへ転移してきたことだろうか。機嫌が悪いかと思ったけれど、そうでもなさそうで安堵した。
「一番に来たよ! この間のお礼がまだだったから」
「いい心がけだ」
鷹揚に頷いてみせ、いつの間にか高度を下げて花畑に着地した。
「それで?」
オレを抱えたまま腰を下ろし、ひょいと隣に座らせた。
「何?……ああ」
じっと見つめる視線の意味に勘づいて、収納から風呂敷包みを取り出した。
テーブルも設置して、ずいとシャラの前へ包みを押しやる。
「この間は、一緒に探してくれてありがとう。心強かったし、精霊さんたちが手伝ってくれて助かったよ!」
聞いているのかいないのか、さっそく風呂敷を解こうと躍起になるシャラに笑って、結び目を解いた。
現われたのは、あのお重。
「オレたちはうなぎって呼んでるんだけどね、すっごく美味しくできたからシャラにも食べてもらおうと思って!」
シャラはあんまり好き嫌いがないから、これも美味しく食べられるはず。
真剣な瞳で蓋を持ち上げたシャラが、途端に漂った香りに口角を上げた。
「――美味しい?」
「美味い」
端的に返される返事は、やっぱり素直でオレも嬉しくなる。
がつがつ貪るシャラを眺め、可笑しくなって吹き出した。
だって、眉目秀麗な王子様風のシャラが、花畑の中で鰻重を掻き込んでいるんだもの。
「に、似合わない~」
くすくすやっていると、じろりと視線を落とされる。
「お前、我が食べ終えたら、あれをやれ」
「あれ? 何の話?」
何の脈絡もない会話に首を傾げるしかない。
「クライダーに見せていた、アレだ」
クライダーってどこかで聞いたような……。
記憶を辿って、ああ、と手を打った。
「シュランさんが言ってたやつ! あの蜘蛛みたいな……カニの……」
そう、確かうぞうぞ大量発生していたあれがクライダーだったはず。
あれ? シャラは何て言ったっけ?
見せていた? 見せていたって、その……。
オレの笑顔が引き攣った。
「そうだ。あれは何だ? 声が聞きづらかった。もう一度だ」
「えっと、声ってどんな?」
いや、まだ分からない。討伐していただけ、で通るかもしれない。
「エプロンが……なんだ?」
『リボンにならないー』『縮むものなのー?』
頷いたシャラが真面目な顔でオレを見下ろした。
「なぜ、リボンにならない? 縮むとは? 何の話だ」
オレはがくりと両手をついて蒼白になった。
「な、なんで知って……」
そんな、まさかあの辺りまでシャラの手が届く範囲だったの……?
「――だ、だから! ヘイヘイヨーはただのかけ声で!! 意味なんて特にないの!」
結局、歌って踊ることは免れたものの、やたらとおばちゃんの歌をお気に入りしてしまった上級精霊が、根掘り葉掘り歌詞について尋ねるのに付き合う羽目になったのだった。
ねえ、お願いだから王様の前で歌わないでよ?! というか人前で歌っちゃダメだからね?!
美しく高貴な風の精霊で通ってるんだからね?!
そしてご機嫌で『へいへいよ~』なんて口ずさむシャラたちとは裏腹に、オレはぐったりと疲れて項垂れていたのだった。