752 全てを整えて挑む
「よしっ!」
飲み物よし! ご飯よし! たれよし! 部屋よし!
そして肝心の鰻は、焼き上がりと同時に収納に入れてある。
あとは、オレたちの準備だけ。
オレたちは、互いの汗と炭にまみれた汚い顔を見合わせた。お腹は空ききっているけれど、どうせなら気持ちよく食べたい。
「行くぜ!」
「うん!」
「え、ちょっと待っ――」
せーので地面を蹴って、川の上へ身を躍らせる。
だぼだぼん、と派手な水しぶきが上がって、視界が真っ白になった。
きゅっと息が詰まるような冷たい水。
しょわしょわと身体を伝っていく細かな泡。
丸めた身体をそうっと広げると、みるみる服の隙間にも水が浸入して、一気に冷やされていく。
ゆるりと流されようとする身体を立て直し、煌めく水面へ顔を出した。
「っはぁ、気持ちいいねえ!」
仰のけば、揺れる緑と木漏れ日。
しっかり熱を吸い込んでいた後頭部が冷えて心地いい。
「あ~~、冷てえ!」
「うわ~、結構深い~! ちょっと、タクト潜らないで~!」
水鳥みたいに潜っては顔を出すタクトは、浮き輪代わりにはならないだろう。ラキには、ライフジャケット装備が必要だね。
「なあ、クロヘビウオいたぞ!」
ずばっと目の前にタクトが飛び出してきたもんだから、慌てて鼻に水が入ってしまった。
「も、もういらないからね! 取り過ぎちゃだめだよ!」
「だけどさ、まともに手で捕まえてないんだよなあ。逃がすから、もう一回だけ――」
ぶつぶつ言いつつこぽりと潜ったタクトに、一気に血の気が引いた。
「退避ーっ!! 総員退避ーー!!」
大慌てで川から飛び出したオレを見て、ラキが必死の形相で岸をよじ登ろうとしている。
『よいしょ! もう上がっちゃうの? あ、なんかちょっとびびびってするかも』
ご機嫌に泳いでいたシロがラキを押し上げた直後、そんなことを言う。ふう、間一髪。
「くそーっやっぱ無理!! やっぱ突かねえと無理――いてっ! つめてっ?! え、なんだよ?!」
ラキの水鉄砲とオレの氷水鉄砲が、悔しげに浮かび上がったタクトを狙い撃ったのは言うまでもない。
乾いた布が、肌にさらりと心地いい。
温かい、と思うのはそれほど身体が冷えていたんだろう。
そして、ここが暑くないからだ。
すっきりと汗を流したのに、また汗だくになっちゃ意味が無い。少なくとも、今だけは。
「あー涼しい~。身体がサラサラする~」
「すげー贅沢」
これは、鰻を食べるための部屋。
最高の食材は、最高の環境で。
鰻は、別に汗を垂らしながら食べるものでもない。余計な事に気を逸らさず、じっくりゆっくり味わいたいから。
『だからって、部屋を用意するってどうなのよ』
『スオーは、いいと思う』
高級料亭をイメージしたこぢんまりした小部屋は、たっぷりと氷を張り巡らせてクーラー代わりに。そして、せっかくだもの、川床風に。
和風とは言い難いラグを敷いているのが惜しいけれど、そこは目を瞑ろう。
座卓には、木製の湯飲み。ざくざくと砕いた氷をたっぷり入れて、見た目の涼を足しておく。
「そして――お待ちかね!」
だらけていた二人が、ぴょんと起き上がった。
以前、大魔法の巻物の時に作った試作品が役に立った。
そっと置かれた和風の重箱が、これは只者ではないぞと気品を漂わせている。
閉じられた蓋が、勿体ぶっているようで胸を、いや腹をくすぐった。
無言の視線が、オレに集中する。
「これが、鰻重だよ! さあ――いただきます!!」
お馴染みになった高速のいただきます、が川の上を滑って行った。
「うっっま……!!」
「何、これ~! 食べたことない感じ~!!」
二人は行儀悪く音をたてて貪っている。
お魚ということでさほど期待値も高くなかったところへ、これだもの。
ふふ、想像を超えてきたでしょう?
オレの方も、ひっきりなしに催促する腹の虫を宥め、そっと蓋に手を掛ける。
ふわ、と立ち上る温かな香り。
そうか、蓋というのはこういう演出も兼ねているのか。
一気に露わになった気品ある姿、そしてこの香り。
溜めに溜めていたオレの期待値を振り切るに相応しい演出によって、上品にいただこう、なんて思いは吹っ飛んだ。
思い切り贅沢に乗せられた鰻。どんな料亭だって、こんなに乗せられてはいまい。
まずは自分がじっくり焼いた関西風から……!
てらりと褐色のそこへ箸を入れれば、思った通り肉厚で柔らかな身。パリ、と箸に伝わる皮の感触。
噛みつくように頬ばって目を閉じた。
柔らかい……。独特のとろけるような身の柔らかさと、こっくり濃厚なたれ、皮目の香ばしさ。
夢中でごはんも掻き込んで、深く唸った。
口内で馴染み、絡み合う鰻と白飯。
泥臭さなんてない。魚なのに、水臭さもない。
ただ、不思議なことに、大地の香りがするような……これが、鰻独特の香りとなって上品さを醸し出すのだろうか。
はふ、とため息をひとつ。
ああ、美味しい……。
クロヘビウオに出会えたことに感謝したい。
これも十分柔らかかったけれど、蒸した関東風はもっと柔らかいのだろうか。
もちろん、お重の半々で両方味わえるようにしてある。
見た目からしてふっくらと盛り上がった鰻。入れた箸はするりと白飯まで通った。
柔らかい。皮目までしっかり柔らかい。
鰻も白飯もたっぷり取り分け、思い切り頬ばった。
とろり、と言えばいいだろうか。
もはやごはんの一部であったように、鰻がとろけてご飯と馴染む。
これはこれは、どうしたものか。
どっちが美味しいなんて言えない。
それはそう、どっちも美味しいに決まってる!
気付けばもう重箱を抱え込むように持ち上げ、行儀悪く掻き込んでいた。
『お魚、美味しいね! 生だとあんまりだったけど、こんなに美味しいんだね!!』
『おれは、もっと食う。たくさん捕ったから、もっと食えるはず』
しっぽを振り振り貪るシロは、茶色く染まったごはんを身体中に飛び散らせている。チャトも負けじとはぐはぐ口いっぱいに頬ばっているから、きっとお気に入りなんだろう。
『最高だぜ主ぃ!』『あえは、この甘いのすき!!』
『スオーも、これ好き』
『苦労したかいはあったわね……』
鰻重にしたら食べづらいだろうと思ったのだけど、みんな同じがいいと言うものだから。モモ以外全身から甘辛い香りが漂っていることだろう。
ラピスたちも毛皮の色が変わってしまっている。
「クロヘビウオ……これは、絶対また食いてえ!」
「今度から、鍋底亭で食べられるんだよね~?」
二人とも、ほっぺにご飯粒がついてるよ。
「うん! だけど依頼はオレたちに出されるだろうけど。限定品みたいな扱いになるかなーって言ってたよ!」
だって、クロヘビウオを鮮度よく持って帰るのは非常に困難だから。
オレたちはシロ車に即席水槽モドキを連結して、生きたまま連れて帰るつもり。もちろん、街に着いてからの回復魔法もサービスして。
鍋底亭の鰻料理が食べられるなら、多少の苦労などなんのそのだ。
結構大きなお重だったのだけど、一気に食べてしまってお腹が苦しい。
冷えたお茶を呷ると、氷がころりと鳴った。
お口の中がリセットされてしまって、もう既にあの味が恋しい。お腹はいっぱいだけど、まだ欲しい。
既にお代わりに突入している二人。その箸の勢いは一向に衰えず、羨ましい限りだ。
せめてもう少し、とお重に足して、そっと上品な一口を運ぶ。
しみじみ美味い。きっとこれは、お酒が欲しいやつ。
ルーやカロルス様に出す時には、お酒を添えてあげよう。
木漏れ日煌めく川床には、涼やかな流れと梢の鳴る音。そして、かつかつと箸が当たる音が響き渡っていた。
うなぎ、美味しいけど天然記念物なんですよね……
我が家はイワシの蒲焼きで我慢するとします(>_<。)蒲焼きにすれば何でも美味しい!!
うなぎが増えますように~!健やかに育て~!!