751 何かのバグ
「ただい……ま?」
意気揚々と帰ってきて、駆け出そうとした足が止まった。
おや……? オレ、転移先を間違えただろうか。
うっそうとした山の中に突如現われた電気風呂……すっごくバチバチしている。
その時、突如大きな何かが宙を飛んで、絶賛放電中の電気風呂に飛び込んだ。
高く上がった飛沫とともに一際大きな電流が迸り、呼応するように電気風呂が激しくスパークした。
オレはそっと後ずさりしてえへっと笑う。
きっと、間違えたんだよね、転移先。
「きゅっきゅーっ!!」
管狐たちが放電の中、楽しげにきゃっきゃしていたり。
「ユータ~~!! 僕を助けて~~!!!」
電気風呂の真ん中で浮かんだラキが、一見魔王みたいに電流をまとっていたり。
「ユータ帰ってきたのか?! 早くこれ取って――げ、いででで!!」
電気風呂の外に転がった大きな巻き寿司が、バチバチ言っていたり。
『ゆーた、忙しいよ~!』
餌用に置いていたバケツにせっせと水を汲んだシロが、大きな巻き寿司に水を掛けていたり。
『この程度の雷、おれとは比較にならない』
なぜか得意げなチャトが、ありありと『褒めろ』という顔で前肢を舐めていたり。
『おかえり』
ひとり木の上でモモを揉んでいる蘇芳が、我関せずと大きな耳を上下させた。
『もう、何ひとつ思い通りにいかないのよ……』
モモは既に達観した瞳で大人しく揉まれている。
なんだろう、このバグ。
もう一度鍋底亭に行って戻ってきたら、正常な状態になっているかもしれない。
『無駄な現実逃避』
密かにそう思っていたところで、蘇芳の静かな声が突き刺さったのだった。
「――も~~!! とりあえず、タクトはなんで大人しく魚に巻かれてるの?!」
転がる巻き寿司に近づくと、どうやら2匹のクロヘビウオがきっちり巻き付いているらしい。これはうなタク巻きと言っていいだろうか。
「だって、ぎっちぎちだぜ?! 掴めねえし、無理矢理ぶっちぎったら魚が死んじゃうだろ?! 魚は鮮度が命ってお前が言うから!」
それは確かにそう。じゃあ、絞めるまでもうちょっとそのままで。
さっきもバチバチやっていたし、弱って相当ストレスもかかっているだろう。お魚に回復魔法を施しておく。
「おい! 俺にもかけろよ!!」
タクトが元気になったら、また暴れてバチバチやりそうだから後で。
「ラキはなんでそんなことに……シロ、ラキをこっちに運んでくれる?」
「僕が聞きたいよ~!!」
しっぽを振り振りやってきたシロが、躊躇なく電気風呂に飛び込むと、すくい上げるようにシールドごとラキを風呂の外へ押し出した。
『わわわわ……ビビビッてするよ! くすぐった痛い~!』
楽しげに飛び出してきたシロは、転げ回って泥だらけになっている。
「それで、この電気風呂……じゃなくて生け簀? はラピスたちが? こんなに獲れたんだね!」
――そうなの! ラピスたち賢いの! ちゃんと弱らないようにしてあげたの!
えーと、ありがとう? できれば、人間たちも弱らないようにしてあげてほしかったけど、まあいいか。
『こんなに獲ったのは、ほとんどチャトだよ!』
シロの言葉に、ちょっぴりふて腐れていたチャトの耳がぴくりと動いた。
「え、チャトが獲ってくれたの!」
まさか、と振り返ると、いつの間にかすぐそばで背中を向けている。耳が、しっかりこちらを向いているけれど。
「チャトこんなこともできたんだ! おかげで大漁だよ!」
ぎゅっと抱きしめて頬をすり寄せると、ゴロゴロ音がオレの身体に響く。
これだけあれば、関東風に関西風、色々試せるし鍋底亭へのお土産も十分!
にこにこのオレに、じっとりした視線が突き刺さる。
「……おかげで、僕は危うくローストラキになるところだったんだけど~」
いやいや、タクトが焼けていないところを見るに、そううまくはいかないと思うよ? 電圧がいくら高くたって、ビリビリが強いだけで焼けるわけではなくて――
『俺様、そういうことじゃないと思う』
『あうじ、ちょっちょちやうのよ』
……そうですね。
「だけど、いっぱい食べられる方がいいでしょう? さあ、お楽しみはこれからだよ!!」
にっこり笑って地面に手を着くと、どんっとキッチン展開する。決して、諸々を誤魔化したわけではない。
今回の調理に合わせたキッチンは、いつもより長大なサイズ。だって、クロヘビウオの全長が乗らなきゃいけないからね!
「じゃあ……捌こうか!」
2種類の開き方があるけれど、オレが普段のお魚で慣れている腹開きを教わってきた。
鰻を捌いたことはないけれど、これはクロヘビウオ。そこまで繊細さは必要ない。なんせ、でかいから。
「タクト、ちょっと我慢!」
「は? 何を――うおおお?! 寒っ!! シールド! シールド使えよ?!」
あ、そうか。
モモにシールドを頼んで引き続きクロヘビウオを冷やしていくと、タクトが自力でずるりと抜け出してきた。
「あ~~くそ。絶対美味く食ってやるからな!」
言うなり一匹をキッチン台へ乗せてくれる。
「じゃあ、タクトとラキは火の準備お願い! 炭でね! 管狐キッチン部隊、お願い!」
「「「きゅっ!」」」
キッチン部隊は、さっきプレリィさんのお料理講座も聞いていたのでバッチリだ。
「さあ――いくよっ!」
オレは滴る汗を拭って、にっと笑みを浮かべた。
ぽたり、ぽたり。
滴る雫が、つうっと胸元を、背中を滑っていく。
熱い。暑い。
だけど、ここで気を緩めるわけに行かない。
集中、集中だ。オレは熟練の職人じゃないもの、足りない分は、集中力で少しでもカバーしなくては。
串を打った巨大なクロヘビウオ。いやむしろ、こうなるともう鰻にしか見えない。
しっかり熱した炭の上で、ささやかな音をたてている巨大鰻。まだ、火に掛けて間もないというのに、オレの方が熱されてしまっている。
ねじりはちまきのおかげで、額からの汗が目に入らない。なるほど、これにはそういう用途があったのか、なんて感心しながら一生懸命うちわをあおぐ。
「おお……」
ちらりと串をめくってみた皮目は、滑らかだったのが嘘のように波打ちはじめ、オレと同じように汗をかきはじめていた。
「裏返していいかな……」
切ったとはいえ、大きく重い串をよいしょとひっくり返すと、一気に脂が零れてシュウッと煙がたった。
半分は軽く焼いた時点で蒸し工程へ。オレはひたすら焼き担当だ。
オレの顎から汗がぽたり、鰻から脂がぽたり。
外側はこんなに水分たっぷりなのに、オレの内側はカラカラだ。
瑞々しい白だった身が徐々に飴色に代わり、点々と胡桃色に濃くなり、身の端がカリカリと巻き上がり始める。
「ここで、たれ第一陣!!」
今後のことも考えたっぷり用意したたれ瓶には、焼いた鰻の頭や骨も入れてある。
一気に瓶に突っ込んで引き上げ、取り落としそうになりながら余分なたれを落とす。
さあ、よだれの準備はいいかな?
せーので炭の上へ戻すと、落としきれなかったたれがじょわっと落ちて音をたてた。
「ううっ……!」
一気に漂う甘く、香ばしい香り。
つらい。これはつらい。
気をしっかり持たなければ、焼き上がる前にたれとごはんですませてしまいそうだ。
じりじりいう音は、オレの気持ちの擬態語なんじゃないだろうか。
たれ第二弾をクリアしたうなぎたちは、栗色に色濃く艶をまとい、その香りで一帯を染めていた。
てらりと艶めくのは、脂だろうか、それともこだわったみりんの照りだろうか。
端から焦げが迫ってきているのさえ、カリリと焼き上がった美味さの象徴と見える。
こんなにこんがりと焼き上がってさえ、きっと箸を入れれば身は白く……。
思わず舐めた唇が塩辛い。
お茶には氷をたっぷり入れよう。そうだ、コップは木製にすればいい。しっとり冷えて手に優しく、この場にも馴染むに違いない。
白い飯にたれをしっかりかけて、これでもかと鰻をのせて。
喉を潤したら、思い切り箸を突き入れよう。
甘く香ばしいその味を思い浮かべ、オレの喉がこくりと鳴った。
お腹空きましたね!