744 100%の善意
サラサラと心地いい。肌を滑るのは、随分上質な布地らしい。
すり寄れば、人肌に温められた柔らかな布。そして、弾力のある生き物の身体。
シロのサラサラ毛並みとはまた違う、滑らかな手触り。直接感じる温かさ。
居心地の良さにまた意識が沈んで、ふいと落ちた手の平がすべすべ触り心地の良さを伝えてくる。夢うつつのオレは、手を持ち上げては滑らせた。
「ふっ……く、やーめーろっつうの。くすぐってえわ」
撫でていたすべすべが震えたかと思うと、夢見心地の柔らかな世界に、突如不愉快がやってきた。
「んんっ……!!」
息苦しくなって鼻にくっついた邪魔なものを振りほどき、しかめ面で目を開けた。
「よう、おはよう」
「カロルス様? おはよう……あれ?」
オレの鼻をつまんだ大きな手が、わしわしと頭をかき混ぜて離れていく。
ごろりと仰向いて伸びをする大きな身体。その胸元ににじり寄って頭を載せ、ぼんやりする頭を一生懸命回転させた。
オレもカロルス様も、とても上等そうな寝間着を着て、大きいベッドに寝ている。シンプルながら整った調度品のお部屋は、ぐるりと見回しても全く見覚えはない。
オレはひとつ頷いた。
「オレ、寝ちゃった? いつ?」
「部屋で軽食を食ってる時だな」
……思ったより早かった。
だけど、しょうがない。だってその頃はもうお外は暗かったもの。心配して消耗したんだよ! 安心とお腹が満たされたら、そりゃ寝ちゃうはずだ。
「だけど、ここどこ? 貴族宿?」
さすが、王都の貴族宿は格が違うと感心していたところで、ノックが響いた。
カロルス様が軽く応じたので、執事さんだろうかと気にも留めていなかったのだけど、小さく悲鳴が聞こえて慌てて身を起こした。
「えっ? あの、だあれ?」
扉を開けた状態で固まって茹で蛸のようになっているのは、見たことのない年若いメイドさん。いくら貴族宿って言っても従業員は別にメイドさんの格好をしてなかったと思うんだけど。
ちなみに、なぜ固まっているかって言うとカロルス様が色気ダダ漏れの寝乱れた姿でベッドにいるからだろう。
「あ、あ、あの! 朝食の準備が整いましたのでぇ〜!! 失礼しました〜〜!!」
くわあと大あくびしたカロルス様を見つめ、やがてハッと再起動したメイドさんが慌てて扉を閉めながら悲鳴のように言い残して駆けて行ってしまった。
「カロルス様、ちゃんと身だしなみ整えてからじゃないと、室内に入ってもらっちゃダメだよ」
「別にいいじゃねえか、令嬢でもあるまいし」
用件が朝食だったので、いそいそと布団から抜け出したカロルス様。
ベッドサイドにはきちんと畳まれた服が用意されている。やっぱりおかしい。カロルス様が畳むはずもないし、執事さんはオレの服は畳んでもカロルス様のはやらないだろう。
「ね、ねえカロルス様、ここどこなの?」
「どこって……ああ、お前は寝てたもんな。ガウロんとこだよ」
お城じゃあなかったことにほっと安堵しつつ、首を傾げた。ガウロ様のところなら、朝もっと賑やかなはずなのに。
『ここ、いつものところじゃないよ! 違う匂いだよ!』
気持ちよさそうに絨毯の上をごろごろしていたシロが、尻尾を振って体を起こした。
「あ! もしかして本邸?! それって……すごくお城に近い高級街じゃあ……」
ちょ、ちょっとシロ、オレの中に戻っていようか。
「まあ、そうだな。けど、城に泊まるよりいいだろ?」
無造作に寝巻きを脱ぎ捨てたカロルス様が、ちょっと肩をすくめてみせる。
それは……確かに? でもちょっと泊まってみたい気もする。ただ、お城に泊まるって言ったらシャラが自分のところへ来いって言いそうだ。
よかった、寝ている間に拉致されていなくて。
脱ぎ捨てられた寝巻きと自分の寝巻きを畳み、いつものようにざっくりと服を着るカロルス様を見かねて少し整える。
きちっとボタンを止めると、すごく不服そうだ。
「もう、一応ガウロ様はお偉いさんなんだから、ちゃんとしとかなきゃ!」
「一応じゃねえんだがなぁ」
自宅のせいか、相手がカロルス様だからか、軽いノックと共に勝手に扉を開けたガウロ様が苦笑している。
「あ、おはようございます! えっと、泊めていただいてありがとうございます」
慌ててぺこりとやると、パーツの大きな顔が大きく破顔した。
「おう、お前ならいつでも歓迎だ。何ならここで下宿して騎士団に――」
のしっと頭に乗せられた手が振り払われ、後ろから鋼の腕に引き寄せられた。
「行かねえよ! 今そんな約束されたら、俺の命がなくなるわ」
恐ろしげに身をすくめて見せるカロルス様にくすっと笑い、ガウロ様を見上げた。
「オレは冒険者で活躍するんだからね! 騎士様にはならないの!」
「そうかよ。まあいい、気は変わるもんだ」
へっ、と悪党みたいな笑みを浮かべ、思い出したようにカロルス様に視線をやった。
「グレイはもうとっくに出てるからな。お前、飯食ったら働いて行けよ」
「は?! なんでだよ!」
「え、カロルス様が働けるところあるの?!」
被ってしまった台詞は、それでもちゃんと聞こえたらしい。理不尽にほっぺを潰されて納得いかない。
「はっは、心配いらねえよ! こいつにできることなんざぁ戦闘のみって俺も分かってるからな!」
大笑いするガウロ様に案内されて朝食の席に着くと、ずらりと並んだ高カロリーな朝食をいただきつつ説明を聞いた。
「――つまり、冒険者としてっつうことか?」
巨大な腸詰めをぐさりとフォークに刺して、カロルス様が思案げな顔をする。
「そうだ。東のレガスト方面は相当間引かれたらしいからな。北か西の方を片付けて来い。分かってると思うが地形を変えるんじゃねえぞ、ちまちまやるんだよ」
上品に切り分けたお肉を口へ運びつつ、ガウロ様が念を押すように指を突きつけた。
「まあ、討伐ならいいか。けどよ、王都は冒険者も豊富だろ?」
どうやら、今回結構ガウロ様にお世話になったみたいなので、Aランク冒険者として活躍してこいってことだそう。
「だから大事にはなってねえんだよ。だけど、このところ魔物が増えて高ランクの割合も多くなってるみたいでな。知ってるか? 少し前『城壁』が出張る事態になっていたろ」
ああ、以前バルケリオス様がメイメイ様に抱えて行かれたやつかな?
「フーン。お前らは討伐に行かねえのか」
「事が起こったら行くが、そうでなければ騎士は王都を守るものだからな。ほいほい外へ行けねえだろが。何よりギルドがいい顔しねえよ」
ああ、だからカロルス様なのか。騎士団が行くより確実に魔物を間引いてくれるだろうし。
骨付きの肉へ豪快にかぶりつき、カロルス様はにやりと笑った。
「そんな仕事なら歓迎だな。存分に狩ってきてやるよ」
「じゃあオレも! 手伝うね!」
カロルス様と一緒に討伐できる機会だもの、逃すわけないよね!
意気込んでパンを頬ばり、二人を交互に見やった。
「……その顔は行くなっつっても無駄そうだな。だけど、目立つんじゃねえぞ……既に噂が広がってるからな」
「噂?」
何とかパンをスープで流し込み、ガウロ様を見上げてことりと首をかしげた。
「天使様が助けてくれたんだってよ? 天使様と精霊様が協力してみんなを逃がしてくれたんだとか? なァ」
目を細めた凶相は、品定めするようにオレを睨めつけている。
「え! 違――そ、れとオレに何の関係が……?」
右からモモアタックが、左からチュー助のツッコミがそれぞれ入り、すんでのところで発言を取り繕った。だけど、一体ぜんたいなんでそんな突拍子もないことに?!
――ラピスたちのおかげなの! ラピスたちが頑張ったの!
善意100%のきらきらした声は嬉しげに弾み、オレはどこからともなく、数多のつぶらな瞳から圧を感じたのだった。