743 する方とされる方
ああもう、もう!
オレがどれだけ心配したと……!!
呑気に眠る姿は、どこも辛そうじゃない。一周回って腹が立って仕方無い。
「起きて!」
怒りにまかせ蘇芳のごとくべちっと額を叩くと、低い唸り声と共にごろりと体勢を変えた。
「ちょ……っと!」
当然のようにオレを巻き込んで横になってしまい、がっちり抱き枕状態に慌てた。人前で恥ずかしいんですけど?!
「カロルス様……?」
それに、ここまですればさすがに起きるだろうに。どうして起きないの?
別の不安が頭をもたげた時、執事さんがベッドサイドまでやって来てため息を吐いた。
「ユータ様、ちょっと失礼しますね。この時はこうしないと――」
銀灰色の瞳が冷たい圧を伴って底光りした気がした。
瞬間的に抱いた強い危機感。
反射的に防御を――と思ったのも束の間、跳ね上がった身体は既にベッドから離れた位置に着地していた。
「心臓に悪いわ! なんだっつうんだよ!!」
しっかりオレを抱えたまま飛びすさったカロルス様が、執事さんを睨み付けてから、やっと周囲の状況に気が付いて目を瞬かせた。
「どうした? もう『重要な話合い』は終わったのか?」
……元気だね。何事もなく元気だね。
くわあ、と大あくびしつつ首を傾げるカロルス様は、ふと腕の中のオレに視線を落としてギクリとした。
「あの、ユータ? あー、その、どうした……? なんつうか、怒ってるような……」
そう? そう見える? にっこり笑顔を浮かべているんだけどねえ!!
「……下ろしてもらっても? はい、どうも。それで? 私が出てから何があったか、詳細教えていただけますか?」
にこ、と口元に笑みを浮かべ、じりじり後ろへ下がろうとする服を掴んだ。
「……俺、何もしてねえよな? なんだその口調……」
狼狽えるカロルス様が、救いを求めて視線を彷徨わせる。
「私が戻ってきた時、部屋はもぬけの殻。治療室へ行ってみれば、来ていないと言われ。その時の私の気持ちはどんなものだと思います?」
「『どこ行ったんだろうな』……か? いやでも、城内だぞ? ガウロたちもいるし、お前の知り合いもいるだろ? 別に怖くなかったよな?? その、悪かったよ、一人にして」
しどろもどろの言い訳にがっくり力が抜けた。
そうじゃないんだよ。そこじゃないんだよ。
どうやら、自分の身を心配する者がいるという概念がないらしい。これを一体どうしたものか。
おずおず伸びてきた手から身体を引いて逃れ、つんとすました顔をキープする。
「違います。私は一人で平気です、抱っこしないでください!」
言った途端、頭の上から髪を引っ張られたけども。
「じゃあ何だよ。なあ、その口調やめねえか……?」
弱り切ったカロルス様を憐れんだか、すすっと騎士さんが側へ寄った。
「あの、差し出がましいとは存じますが、ひとつだけ。ご子息様はあなた様が攫われたのではと、城中を……それこそ地下牢まで探しに行かれたのですよ」
こそり、と騎士さんが機密情報を漏洩してしまい、さっとオレの頬が熱くなる。そんなこと、ナイショにしていてほしいに決まってるじゃない! どうして言っちゃうの!
鳩が豆鉄砲を喰らったよう、とはこのこと。
え、と間抜けな声を漏らしたカロルス様の視線に、思わず顔を逸らした。
きょとんとした精悍な顔は、今まじまじとオレを見下ろしているんだろう。
「攫われ……? 俺が? 攫われる??」
本人を目の前にしたその台詞は、あまりに滑稽に思えた。そうだよ、オレどうしてカロルス様が攫われたなんて思っちゃったんだろ。あり得ないよね……あり得たとして、自分で帰ってくるよ、絶対。
自分の行動が恥ずかしくて、ふるふる震えてくる。
沈黙に耐えきれず、ちら、と見上げたカロルス様の困惑顔は、みるみるにやけたものに変わっていく。
さっと伸びてきた手を再び躱したと思った瞬間、鋭い踏み込みで敢えなく捕まってしまった。
「悪かったよ。戦闘は終わったし、まさかそんなことで『心配』されるとは思わなかったんだよ」
ぎゅう、と殊更力の込められる腕。
眉尻を下げて反省の色を見せながら、ともすれば締まり無く緩む顔に腹が立つ。
抱き上げる腕にこの上なく安堵するのにも、腹が立つ。
「そうじゃないよ! オレは、怒ってるだけ!」
ぐい、と両手で分厚い胸板を押し返そうとしたのに、その腕はちっとも緩まない。
「だから、悪かったって。けど、何をそんなに心配したんだよ」
「だって! 毒を受けてるんだよ?! 辛かったんでしょう? だから回復薬を飲んだんでしょう?」
睨み上げると、一瞬回復薬? と言いそうな顔をして、ハッとばつの悪そうな表情をつくる。
「え~~あれは、そのだな、腹が減って……」
「……腹?」
「だから、回復薬っつうくらいだから空腹感もマシになるんじゃねえかと思って……割と美味かったけど腹は膨れねえな」
く……くだらない。
しょうもない事情に脱力を通り越して魂が抜けてしまいそうだ。
「じゃあ、どうしてこんな所で寝てたの! 治療室に行くって騙されたんじゃないの?!」
「あ~、それはそうなのか? 治療室へ行くっつうんで出たんだけどよ、途中で治療室が空いてねえから部屋へ寄れって言われてな。茶菓子でも出すって言うから……なあ?」
なあ? じゃないよ!! お菓子をくれる人について行ってはいけませんって習わなかったの?!
「それで、ここで鍵かけて匿っていてやるから寝ていけってよ。こいつこんな親切だったかなとは思ったんだがな。別に害はねえし、寝てもいいだろ?」
いいわけないよね! 相手も可哀想だよ! 閉じ込めてるつもりだったんだよ?! それも害す気満々だったのにこの言われよう!! まさか監禁相手が本当に気持ちよく爆睡しているなんて思いもしなかったんだろう。そして、さっきのガウロ様みたく、いつでも出られるだろうことも。
赤くなったり青くなったりしてへたり込んでいる貴族男性を視界の端に捉え、なんとなく申し訳ない気分になる。普通はね、丸腰の人間を部屋に入れて鍵掛けたら密室の完成だもんね。間違ってないよ。
「なら、あの台詞は……? 時間が掛かるとマズイことになるって言ってたじゃない」
なんともなっていないこの現状、あれもただオレをからかっていただけ?
だけど、途端に顔色を変えたカロルス様が慌てて自分の身体に手を当てた。
「あっ……? やべえ、そんなこと忘れて寝ちまったわ! マズイ……おい、調査はどうなった?!」
「だ、大丈夫? 本当は毒がまわって――ないね?」
オレの方も大慌てでカロルス様の身体へ魔力を行き渡らせるけれど、どこも悪くはなさそう。毒だって残っていなくて……え? 毒は?
「くっ……しまった。そういう作戦だったのか! 俺の中にある証拠を消すための……」
違うと思う。
悔しがるカロルス様が睨み付けるもんだから、貴族さんが泡を吹きそうになっている。やめてあげて、彼はただ、カロルス様が毒にやられるのを待っていただけなんだから。
「はぁ、落ち着け。調査はてめえが寝てる間に終わっている。毒も回収ずみだし、今後の対応もさっき概ね骨子が決まったところだ」
「なんだよ……早く言えよ。じゃあ問題ねえな」
どういうことなの、と執事さんを見上げると、心得たようにそっと耳に唇を寄せてくれた。
「身体強化は、筋力だけではありませんから……。彼らクラスになると解毒能力も桁外れです。体調不良時はあのように他の機能を落として、必要な部分に強化を集中して回復してしまいます。まさか、城内で寝るとは思いませんでしたが」
へえ……人外。じゃあエリーシャ様とマリーさんはもっと凄いんだろうな。
「じゃ、帰っていいな! よし、帰るぞ」
颯爽とオレを抱えて立ち上がったカロルス様。
ええと、何もかも放置して帰るの? そこの貴族さんはもういいの?
「待てやコラぁ! てめえ、事後処理全部やってやってんのに帰るやつがあるかぁ! そいつについての調書も取るからな?!」
「もういいじゃねえか……どうせ何したって害はねえよ」
な? と同意を求められても、そちらの彼も困るんじゃないだろうか。
結局、ガウロ様と執事さんに怒られて部屋に押し込められたオレたちは、またカロルス様がお菓子に釣られないようたっぷり用意された軽食をつまんでいた。
「さすがはお城の軽食……! 美味しいね!!」
分厚くて固めのクラッカーみたいなものに、いろんなジャムやチーズなんかを乗っけて食べるカナッペみたいなもの。しっかり噛めるから満足感がある。少なくともオレには。
お腹いっぱいになると困るので、色んなジャムをちょっとずつつけては囓っていると、真正面から視線を感じた。
「これ? 食べる?」
首を傾げると、ふっと笑って口を開けるので、食べかけのそれを放り込んだ。固い菓子をごりごり言わせながら咀嚼する様は、動物じみていて面白い。
じっと見つめていると、大きな手が唐突にわしわしとオレを撫で、ちょっと情けない顔で笑った。
「……心配されんのも、大変なもんだな」
何を言うかと思えば。オレはくすりと笑って胸を張った。
「そうでしょう。結構大変なんだからね!」
オレっていつも大変な思いをしているんだから。そう言いたかったのに、軽く額を弾かれてしまった。
「お前なぁ……心配する方は大変じゃなかったのかよ?」
「…………」
そうでした。
何事も、ほどほどがいいね。
オレはカロルス様と視線を交わし、互いに微妙な笑みを浮かべたのだった。
*「ロクサレンの日」プレゼント企画へのご参加ありがとうございました!皆さまのご要望、とっても楽しかったです!
*そう言えば少し前のお話に、書籍派の方がにやりとできるシーン入れてみたの分かりました?後書きで触れようと思って忘れてました!