742 生きてさえいれば
「……地下の、ええと、何と?」
笑顔がぎこちない。
もう一度くっきりはっきり『地下牢』と発音すると、騎士さんは顔を引きつらせてもう一人と視線を交わした。
「さすがに地下牢は……面白いものなどありませんよ? 怖いところです。もっと美しい場所がたくさんありますよ」
「ううん。オレ、地下牢に行きたいです。ガウロ様の許可があるんでしょう?」
にこっと微笑んで騎士さんを一人引っ張ると、当てずっぽうに歩き始めた。
さすがに罪人がいるなら許可は下りないだろうけれど、この反応を見るに使用中ということではなさそうだ。
「……本当~に行くんですか? 真っ暗で怖いですよ?」
諦めて先導してくれた騎士さんが、ため息を吐いて振り返った。
どうやらこの扉の先が地下牢への通路らしい。そんな、真っ暗で怖い所にもし、万が一カロルス様が閉じ込められていたら……。
焦燥に駆られ、騎士さんを押し込む勢いで長く暗い階段を下りていく。
ああ、場所が場所だからか、微かな気配がする。穢れの魔素であり、邪の魔素である暗闇に蠢くようなその気配。ごく薄いけれど、お城が結構清浄な気配だったのでよく分かる。
とても、居心地が悪い場所。知らず知らず、身体が強ばってくる。
「こんな所に……いないよね?」
小さな呟きが、反響する足音に混じって消えた。
『ヒトの子、ここには誰もいない』
一足先に吹き抜けた風の精霊さんが、通り過ぎざまそう囁いてホッと肩の力が抜ける。
良かった。ここじゃなくて。
「ほら、もういいでしょう?」
今度は騎士さんがオレを追い立てるように長い階段を上り、明るい光の中でほうっと安堵の息を吐いた。シャラが伸びをするように翼を広げている。
「地下牢なんて気が滅入るでしょう? さあ、別の場所へ行きましょうか」
晴れ晴れした顔の騎士さんを見上げ、どうしようかと考えた。
「じゃあ、他に人が閉じ込められそうなお部屋は……」
「えっと、一体お城の何を見たいのかな??」
困惑する騎士さんを説き伏せ、ひとまず地下から順に空き部屋巡りをすることになった。
『いない、いないねえ』
『お部屋の中は、誰もいない』
近くまで行けば、風の精霊さんが隙間から中を覗いてくれる。カロルス様を覚えていないのが難点だけど、少なくとも人がいるかどうかは分かる。
「ええと、何のために空き部屋の前を通るか聞いてもいいです?」
「だから、その……カロ、えっとパパが居るんじゃないかと思って。オレ、近くに居れば分かると思います!」
「あのー、お父上は犯罪者ではありませんよね? なぜ地下牢を最初に……そして地下の空き部屋など……」
「だって! いなくなっちゃったんだよ?! 攫われたのかもしれないでしょう? きっと、ひと目につかない場所に閉じ込められてるんだと思います!」
キッと眼差しを強くして見上げると、騎士さんが苦笑した。
「はは、なるほど。そういうことなら、せめて客室の方へ行きましょうか。体調を悪くされているなら、客室で休まれているかもしれませんね」
客室は攫った人を閉じ込める場所じゃないでしょう。むっとしたオレの頬を、小さな手がふにふにとつついた。
『いやいや分かんないぜ主ぃ!』
『あえはも分かんないぜあうじぃ!』
何やら言いたげなチュー助と、分かんない割に意味ありげな顔をしているアゲハ。
『客室なら誰にも怪しまれずに連れて行けるってもんだろ? サウザンアイの死角は真下、ってな!』
それって、灯台もと暗しみたいな?
『地下の空き部屋より、頑丈な鍵があるかもしれないわね』
「なるほど、貴族様がいるなら防犯対策だって……あ、そうか見張り! きっと見張りがいるはずだから、そういう部屋を探せばいいんだ!」
閃いたオレが早足になる。それなら探すのが簡単だ!
「え、護衛がいる部屋のことですか? それなら高貴な方がいらっしゃるので勝手に入ることは――」
大丈夫! 中にいるのがカロルス様なら分かるはず!
2階の客室が並ぶ廊下は、さっきまでよりさらに豪奢な雰囲気で緊張する。騒がないように、と厳重に言い含められ、静々歩きながら周囲に視線を走らせた。
こんなに必要? というレベルの部屋数があるけれど、使用中なのはごく一部。
『人がいるよ、金の髪だよ』『茶色の髪だよ』
精霊さんが室内の様子を伝えてくれるけれど、貴族の人に金の髪は割と多い。感覚を研ぎ澄ませ、慎重に歩いた。
「ここも違う……ん?」
オレはじっとひとつの部屋を見つめた。
「……ここ! 見つけた!」
言うなり駆け寄って見上げると、扉前にいた護衛らしき人が目の前に立ち塞がった。
「こちらに何のご用ですか?」
「あの! ここにオレの……パパがいるんです! 開けて下さい!」
「す、すみません! 急にどうしました?!」
慌てた騎士さんに引きずるように引き戻され、必死の形相で訴えた。
「ここなの! ここにいるから! 開けてもらって下さい!」
「そう言われましても……」
押し問答をするうち、廊下の向こうから誰かが小走りにやって来るのが見えた。一人は、さっきまで扉前にいた護衛の一人だ。
「何の騒ぎか! 私の部屋に押し入ろうとする無礼者とは、君らかね!」
ちょび髭に恰幅のいい身体、その割に神経質そうな目元。そしていかにも貴族らしい高価そうな衣装。思い描く『高慢な貴族男性』を具現化したような人だ。
押し入ろうとなんて、言いがかりもいいとこだ。扉に触れてもいないのに。だけど、ガウロ様の台詞を思い出して深呼吸する。
できる、オレは元々できたはずだ。思い出して。
ゆっくりと一礼し、オレは努めて穏やかな眼差しで男性を見上げた。
「お初にお目にかかります。私はロクサレン家のユータと申します。お騒がせをいたしまして、誠に申し訳ございません。もしご容赦いただけますなら、お尋ね申し上げたいことがございますが、よろしいでしょうか」
呆気にとられて固まった面々を前に、返事の催促を込めて首を傾げ、ふわりと微笑んでみせる。
「あ、え? あぁ……」
ぎこちなく頷いた彼にもう一度微笑んで、言葉を続けた。
「恐れ入ります。実は父、カロルス・ロクサレンを探しておりまして、魔道具が示す先を辿り、ここまで参った次第です。どのような事情か存じませんが、こちらへ父がお邪魔しているのでは?」
魔道具?! なんて言いそうな騎士さんをじろりと見やり、早く開けてと言いたいのを堪えて営業スマイルを浮かべた。
カロルス様が、勝手に部屋に入ったわけはないだろう。だけど、ここにいる。
「……ふん、ロクサレンの英雄殿か。功を焦ってヒュドラの毒を受けたとか? 君、そもそもヒュドラの毒を受けてどのくらい経っていると思うね? 今頃原型すら留めておらんのでは?」
「な、なんてことを! 子どもの前ですよ?! それに、ヒュドラとは何のことです!」
あまりの悪意につい目を瞬かせて呆気にとられるうち、代わりに騎士さんが憤ってくれていた。
オレは感謝して騎士さんに目配せすると、震える拳を握って、にこりと笑みを向ける。
「――先ほどの質問には、お答えいただけますか?」
思惑と違ったのだろう、苦虫を噛みつぶしたような顔でオレを睨み付け、貴族男性はいらだちを露わにした。
大丈夫、カロルス様はちゃんと生きてここにいる。どんな状態かまでは……分からないけれど。だけど、生きてさえいれば、どんなことをしてでもオレが助けてみせる……!
「無礼な! 私がいちいちお前などに答える必要は――」
急に周囲が薄暗く、空気が冷たくなった気がする。口を閉じた男性の顔色が、赤からみるみる白へ変わっていく。
「おや、ユータ様こんな所で何を?」
表情だけは柔らかな微笑みを浮かべ、執事さんがそっとオレの背に触れた。お話はもう終わったんだろうか。どうしてオレの居場所が――と思ったけれど、そう言えば執事さんこそ魔道具を持っているんだった。
「父を探し、魔道具を辿ってこちらまで。父がお邪魔しているのではないかとお尋ねしていたのですが……」
余所行きのオレにスッと一瞬目を細め、執事さんが微かに笑った。
「ほう? いつの間に部屋へ招くほどの仲にお成りに? ちょうど良かった、我らも彼を探しておりましたので」
ぬっと現われたガウロ様を見上げ、男性の顔色はますます悪くなる。
「あ、ああ。体調が悪いと聞いたのでね、床を貸してやったまで。咎められるようなことなど……」
手のひら返しの態度に、思わず二人を見上げて首を振った。この人、言ってることが違うよ!
「なるほど。では彼を引き渡して貰えますかな?」
ずい、とガウロ様が1歩踏みだし、男性が1歩下がった。護衛さんがちらちらと男性の様子を窺いながら左右へ避ける。
「失礼」
やっぱり掛かっていた鍵を開けてもらい、ガウロ様が大きく扉を開け放った。
「カロルス様!」
堪えきれずに飛び込んだ部屋には、誰もいない。
「おや? 挨拶もなしに出ていったようですな。もういいでしょう?」
さあ、と退室を促す男性の手をすり抜け、指さした。
「あっちのお部屋!」
「そちらは……使用人部屋では?」
銀灰色の瞳が険しくなり、またも施錠されている扉に眉を顰める。
「そちらは使用人が鍵を持っておるから――」
「やむを得んですな」
頷いたガウロ様が、むんっと握ったドアノブに力を込めた。ガコっと鈍い音と共に開いた瞬間、オレが室内に滑り込む。
窓も閉め切られた暗い室内は、机がひとつ、棚がひとつ、そして、ベッドがひとつ。
声もなく駆け寄ったそこに横たわる、大きな身体。
白いシーツに広がった髪、脱力した四肢。
「カロルス、様っ!!」
乗り上げるようにしがみついて抱きしめ、しばし動きを止める。
こみ上げるものを堪え切れず、オレは……両手で思い切り胸板を叩いた。
「ば、かーー!!」
悔しくて、涙が滲む。
だというのに、オレの下にある身体は――いまだ微かな……いびきをかいていた。
『気持ち良さそうねえ』
モモがほよよんと揺れ、視界の隅では貴族男性が驚愕の表情をしていたのだった。
書き切れなかったーめちゃ長くなってすみませんーー
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