741 失せ物探し
「チッ。グレイ、早いじゃねえか。もうあいつを逃がしたのか? 解毒はどうすんだよ……。まあいい、今後の対応について詰めに行くぞ」
忌々しげにしたガウロ様が、オレを視界に収めて表情を変えた。
「……おい、どうした。何があった」
ずかずか近づく大男の姿は、目の前に立った背中に遮られてしまう。
「そのような顔で不用意に近づかないでいただけます?」
「はあ?! いたって平常顔だが?! そもそも俺がどんな顔しようが、こいつが怖がるわけねえだろ!」
「問題はそこではありません。不愉快ではありませんか」
「不愉快なのはお前だ!!」
霞みそうになっていた周囲がみるみるクリアになっていく。
憤るガウロ様はオレには向けない鬼神のような顔をしているけれど、淡々と受け答えする執事さんと相まって漫才のよう。
ねえ、今そんなやり取りしてる場合だった?
「あの、カロルス様は……?」
スンと消えた表情で二人に割って入ると、ハッとしたガウロ様がオレたちを交互に見比べた。
「どういうことだ、あいつどこ行きやがった?」
眉根を寄せた顔を見上げていると、また不安がぶり返してくる。
「あの、あのね、カロルス様がいないの。治療室に行くって案内されたはずなのに、そこにもいないの! 治療室の人は来てないって言うし……毒で辛いはずなのに!」
またゆらゆらと視界が揺らぎ始め、ガウロ様が慌てた顔をする。
「そ、そうか。腹でも壊したんじゃねえか?」
……なんで伝わらないの! オレのこの焦燥感が!
「そんなわけないでしょう! カロルス様のお腹が壊れるはずないよ!!」
確かに、と頷くガウロ様をキッと睨み付けた。
「カロルス様を嫌う人もいるって言ってた……攫われたんだよ、きっと!」
毒で弱っている所を狙われて……きっと今頃苦しんでいるに違いない。ぐっと胸が詰まって拳を握った。
オレが、ちゃんと助けるから――そう決意を込めて目元を拭ったというのに。
「それはねえな」
「それはないですね」
即答で返ってきた返事にがくりと力が抜けた。
「な、なんで? ヒュドラの毒を受けてるんだよ? もしかしたら命が危ないかもしれないんだよ?! こうしてる場合じゃないよね? 早く探しに行かなきゃ!」
必死で訴えるオレの前に、執事さんがしゃがみ込んで視線を合わせた。さっきまでの絶対零度からふんわり好々爺の顔に変わって、穏やかに言葉を紡ぐ。
「そんなに心配されなくても大丈夫ですよ。城内のことですから、王族でない限り出入りがあれば分かります。目立ちますから、こっそり出入りは無理でしょう。本人が自主的にやらない限り」
……そうか、それもそうだ。カロルス様は存在感が半端ない。騙されて連れて行かれたなら、気配を消したりしていないだろう。ましてや、意識を失わせて運び出すにしてもあの図体だもの。
だったら、まだ城内にいるはず。少し安堵したオレを見て、執事さんが優しく笑みを浮かべた。
「それにあのようにかさばるモノ、いつまでも隠しておけるものではありません。城内で下手に魔法は使えませんし、遺……動かぬ状態となればさらに処分に困ります。バラすには十分な場所も手間も必要ですから、焦らなくて良いのですよ」
そう――うん?? オレは目を瞬いて優しい顔を見上げた。
「ばっ……お前幼児に何聞かせてんだ! いいか、用事が済んだら一緒に探してやるから、ここで待ってろ、な? ほら、菓子でも食ってな」
かっ攫うようにオレを抱き上げ、そうっとソファーに座らせたガウロ様が、懐から潰れた袋を取り出してオレに握らせた。オレが探してるのはペットじゃないんですけど。
まるで害があるとでも言いたげに執事さんを追い立て、二人はオレを置いて部屋を出ていくらしい。
「長くなるようだったら城内歩いてもいいが、そこの騎士は必ず連れていけ。下手な真似するなよ、あいつが不利になるぞ。イイコにしてろ!」
じろり、と押さえつけるような視線を寄越して出ていく大きな背中。そして、ぐいぐい押し出される細身の背中。
仕方無いとため息を吐いた執事さんは、肩越しに振り返ってにっこり笑う。
「ユータ様、大丈夫ですよ。そのうちどこかから出てきます」
失せ物じゃないんだから。
ぱたんと閉じた扉を見つめ、オレはなんとも言えない気分でへしゃげた袋に視線を落とした。
「心配、いらないの……? だって、きっと騙されて連れて行かれたんでしょう。毒で辛いはずだよ?」
二人のあまりにも平常な雰囲気に困惑する。もしかして、カロルス様が辛いことを知らないんじゃないだろうか。
だって、言っていたよね? 『あんまり調査に時間がかかるとマズいことになる』って。あれからどのくらい経った? 結構な時間が経過しているはず。カロルス様が言っていた『マズイことになる』時間まで、あとどのくらい……?
既に始まっているカウントダウンは、今いくつなの?
早まる鼓動を感じながら、一生懸命考えを巡らせる。
『ぼくが出られたら、すぐに探してあげられるのに』
しょんぼりしたシロの気持ちはよく分かる。オレだって、大っぴらにレーダーを発動できたらきっと見つけられる。
「そうだ、シャラ! ねえ、シャラを呼んで!」
きっとそこらに風の精霊さんがいるはず。伝えて欲しい、と立ち上がったオレの目の前で風が渦巻き、ふわっと解けて消えた。
「シャラ!」
不機嫌そうに腕を組む青年は、思わず飛びついたオレを抱きとめ首を傾げた。
「我を呼びつけるとは――なんだ、お前。なぜそんな顔をする」
安堵に緩みそうになった涙腺を引き締め、覗き込むシャラから隠れるように顔を擦った。
「カロルス様が……カロルス様がいないの。オレと一緒に来た人! お城の中にいるはずなんだ! お願い、探してほしい」
しゃくり上げそうになるのを堪え、じっと風色の瞳を見上げた。シャラなら、風の精霊さんなら、きっと見つけられるはず!
だけど――彼は戸惑った顔でさらりとオレの頬を撫でる。
「……我は、我らはお前を見ている。お前が誰かと共に行き来していたのは知っている」
そう、その人だよ! 瞳を輝かせそうになった時、シャラが首を振った。
「我が見ているのは、お前だけ。探そうにもその者が分からぬ」
膨らんだ期待が一気に萎んで、つい項垂れてしまう。
だけど、添えられた手がおずおずと顎を持ち上げるから、苦笑しつつ視線を合わせた。
「もう……色んな人を見ていてよ? だってシャラは王都の守り神なんだよ?」
少々ばつの悪そうな顔は、素直に頷いて視線を逸らす。
「お前がいたから、お前を見ていただけだ。普段は、もう少し他も見ている」
全くもう、ラピスじゃないんだから。くすりとひとつ笑みを零してその手を取った。
「じゃあ、一緒に探してくれる? だけど、目立つ事をしたらオレが困ったことになるから、大人しくしていてね?」
シャラが一緒にいれば、これ以上ない保証人になるはず。他の人には分からなくても、王様には通じる切り札だ。
ふわりと猛禽の姿に変わったシャラが、オレの頭に乗った。どうやら一緒に来てくれるらしい。
ふと思い出してガウロ様に持たされた小袋を開けると、ナッツ類だろうか? いびつな茶色い糖衣がけがいくつも入っていた。
ひとつオレの口に、もうひとつシャラの口に放り込む。
待っていてね、カロルス様!
広がった甘みと共に、よし、と気合いを入れて扉から顔を出した。
「あの、お城の中を歩きたいです。もしかしたら、カロルス様が見つかるかもしれないし」
精密レーダーは使えないけれど、きっとカロルス様が近くにいれば気配で分かるはず。
「ああ、いいですよ。ガウロ様から許可を貰っていますので」
もう少し大人しくしていると思ったんだろう、すぐさま出てきたオレに面食らった様子ながら、微笑んでくれた。
「どちらへ行かれますか? お庭は今、西の庭園でリリフルが見頃ですよ」
魅力的な提案に、きっぱり首を振る。カロルス様が花を見に行くなんて、絶対無い。
きりりと眉を引き締め、オレは優しげな面立ちの騎士さんを見上げた。
「地下牢はどこにありますか?!」
力強い質問に、騎士さんはしばし固まってしまったのだった。