738 証拠はこの身に?
「カロルス様っ! 大丈夫なの?!」
飛びついた身体は、オレを抱きとめ簡単に後ろへ倒れ込んだ。
慌てて胸板に手を着き身体を起こすと、広がった金の髪が目に入ってさらに鼓動が早くなる。
「大丈夫、大丈夫、オレが助けるからね!」
みるみる潤みはじめた目元を拭って、深呼吸をひとつ。
全力で解毒を試みようとしたところで、ばっと身体が持ち上げられた。
「待て待て待て! まだ消すな、俺が不審者になる!」
きょとん、と目を瞬かせて見下ろせば、苦笑するいつもの顔。ブルーの瞳がオレを見上げている。
「あ、れ……? 大丈夫なの? だって、ヒュドラの毒って……」
ひょいとオレごと身体を起こしたカロルス様。気怠そうではあるけれど、書類仕事をしている時よりは元気そう。
「大丈夫なわけあるか。でもまあ、回復も解毒もしたから今すぐどうこうってことはねえよ」
ああ、そっかガウロ様がしてくれたんだった。だけど、毒は残っているって……。
「ぼうずがここにいるのは……そうさなあ、王都に転移の魔法陣があってあのフェンリルがいりゃあ可能ってことで問題はねえか」
渋い声が響いて飛び上がった。すっかり巨大な存在を忘れていたけど、ガウロ様がまだいるんだった。
「そ、そう! シロに乗ってお散歩してたの! あっ、カロルス様も……多分」
「そうか、そうか。とりあえずそれ以上しゃべるんじゃねえよ、あれこれ辻褄合わせてからにしてくれ」
……全然信用してないじゃない。だけど、信頼はしてくれているらしい。
小さく咳き込む音が聞こえて、ハッと見上げた。
「それで、解毒は?! 回復ならしてもいいんだね?」
「おう。……あー、気持ちいいな」
ふ、とカロルス様の身体から力が抜ける。
そんなに強ばっていたのに、平気そうな顔をしなくていいよ。
すり、とオレに頬をすり寄せたカロルス様が、髪に顔を伏せて深呼吸した。
「解毒はそのうち頼むから、しばらく残しておいてくれ。ヒュドラがいた証拠がこれしかねえからな」
首筋を掠める呼吸がくすぐったくて顔を押しのけ、それならとしっかり首筋に腕をまわした。
「じゃあ、オレがずっと回復していてあげる。きっと楽だよ」
「それはいいな」
ぐりぐり、と顎でやられて思わずきゃっきゃと声が上がる。
もう! こんな時に緊迫感がないったら。
いつものカロルス様にホッと安堵したところで、がしがし頭を掻いたガウロ様が気まずげに声をかけてきた。
「あー、イチャイチャしてるとこ悪いが。お前ら、城まで一緒に帰ってもらうぞ。調査班は残していくから、森から毒を採取できるだろう。お前の戦闘跡から痕跡は見つからなくても、戦闘前の場所があんだろ」
「イチャイチャはしてないけど!! 森から痕跡が見つかれば、カロルス様は解毒しても大丈夫なの?」
「……まあな。そもそも人の身体から毒を鑑別するなんざ、手間と金がかかるからな」
「かけろよ! そのくらい」
それってつまり、調査が終わってからカロルス様を解毒?
「ええ?! じゃあ、それまでこのまま?!」
思い切り非難の眼差しを向けると、ガウロ様が肩をすくめた。
「毒喰らってんのがこいつだから取れる手段だな。先に解毒に取りかかってもいいが、そうするとこいつが討伐したって事実がもみ消される恐れがあるぞ。せめて、城で他の目を散々通してからだな」
「カロルス様以外に、誰がヒュドラを倒せるって言うの!」
憤慨するオレの背中を、大きな手が撫でた。
「俺を毛嫌いするヤツらもいるからなあ。だから面倒なんだよ、城は。治療室に籠もってる方がずうっとマシってやつだ」
にや、と笑った顔は普段と変わりない。
そうか、未治療でいればそんな人たちからちょっかいがかかることもない……のかな。
「だけど……しんどいよね」
きゅっと唇を結んでぺったり身を伏せ、生命の魔力ごと渡すつもりでたっぷり回復をかける。
まだ辛いだろうか……盛大に眉尻を下げて見上げると、ブルーの瞳がどこか嬉しげに見下ろしていた。
「心配か?」
笑みさえ含んだ声音に少々ふくれっ面をしつつ頷けば、精悍な顔が堪えきれないように崩れた。
……心配してるけど! なんか心配損な気がしてきた!
にまにまする視線が他所へ向いて、辿った先には憮然とした大男。
「……その、フルスイングぶちかましたくなる顔をヤメロ」
「羨ましいか」
「うるせえよ! まさかお前を心配する輩がいるとは思わなかったわ!」
なんか、仲良しだよね。そりゃあ、ずっと聞こえないふりをしている部隊の人たちだってぬるい視線を寄越したくなるってものだ。
小学生のペット自慢みたいなやり取りに、オレも大きな二人を見比べて苦笑したのだった。
「――俺は報告に行ってくるから、お前らはここにいろよ。治療室にも声かけておくから、大人しくしてろ」
ガウロ様たちの馬を1頭借りて瞬く間に王都へ、そして城までやってきたオレたちは、ふかふかのソファーに身を落ち着けていた。
「おー、牢じゃなくて助かったわ」
悠々と身体を沈めたカロルス様の隣で、オレはちんまり座っている。やっぱりお城って緊張するよ。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
ガウロ様が立ち去ったのを確認して、大きな手をぎゅっと握った。
「んー、大丈夫じゃねえよなあ? なんせヒュドラの毒だし……なあ?」
またその顔をする!! やめよう、これはカロルス様を喜ばせるだけだ。
むくれたオレに苦笑して、大きな手が膨らんだほっぺを潰した。
「ま、実際心配いらねえよ。ガウロもそれを見越しての処置だ。ちなみに、解毒もできる回復術師はそういねえんだぞ? しかもヒュドラだ。ガウロでさえ手こずるんだ、当たり前に解毒できる毒じゃねえんだよ」
……もしかして、オレがあの場で解毒するのを避ける意味もあったの?
それに、ガウロ様は毒を残したんじゃなくて、残ってしまったの……? そんな毒が王都に帰る前に解毒されちゃったら……それこそ討伐の事実を疑われていたかも。
危ないところだったと汗を拭った時、カロルス様が呟いた。
「だが、あんまり調査に時間がかかるとマズいことになるな」
そりゃあそうだろう。また心配がぶり返してきたけど、大丈夫、そんなことになるくらいなら、とっとと解毒しちゃうから!
そう勢い込んで励まそうとしたら、その瞳がからかいを含んでオレを見下ろした。
「心配は嬉しいけどなあ……そもそも、なんでこうなったんだろうなあ?」
「なんでって、そりゃあヒュドラが出て――」
困惑顔で首を傾げようとして、はたと止まった。
『主ぃー、もうちょっと前まで辿って!』
『まあ、不可抗力ってことで……ね?』
「ご、ごめんなさい~~~!」
うちのラピスたちが!! これを防げたかっていうと無理な気はするけど!!
「まー、おかげで被害は最小限に抑えられたんだけどな!」
あわあわと狼狽えるオレを見て、カロルス様はいたずらっぽく笑ったのだった。