737 スリーアウト
そう言えば、ラピスたちが戻って来ていない。
呼べば戻ってくるだろうと思う。思うけど、ラピスは戻って来ちゃいけない場面でもきっと戻ってくるから……呼ぶのが憚られる。
だってほら、たとえば……ええと、うーん。そ、そう、カロルス様にお料理を出している最中だとかね! 火を付けたままでこっちに来ちゃうとか、危ないでしょう。あとはね、その……ないとは思うんだけど、戦闘中だとかさ!
はは、と乾いた笑みが浮かぶ。これって、何も聞かなかったことにしていいかな? オレは何も知らない。
いや、カロルス様とラピスが遊んだってことは知っていても問題ない。そこまでなら大丈夫。これ以上踏み込みさえしなければ、オレはまだ安全な場所にいる。
「今日は久しぶりに寮で夕食をとるのもいいかな!」
管狐キッチンが使えないと不便だし。確かキャロイモがたくさん入ったって言っていたから、シチューかもしれないね、楽しみだ。
『今日はゆーたのごはんじゃないの? かろるす様の獲物は食べられる? すっごく臭くて、ぼく無理だったの。だけど、美味しくできるんだったら、大きいしいっぱい食べられるね!』
さて、と食堂に向かおうとしたところでピシリと固まった。どうしたの? と言わんばかりのシロがにこにこしっぽを振っている。
……これは、まだセーフ?
『アウトね』
『アウト』
『アウトだろ』
スリーアウトをもらってしまった。蘇芳、アウトが何か分かってる?
オレはがっくりと肩を落として、開きかけた扉をすごすご閉じた。
「えーと。それじゃあ、シロ……カロルス様とラピスは何をしてたの?」
全然聞きたくないけど、もう致し方ない。
『主ぃ、その顔、主のやらかしを聞くチル爺さんか、カロさんたちみたいだぜ!』
『あうじのややかしなんらぜ!』
思わぬところでカロルス様たちの心境を知ってしまった。全然嬉しくない。
『ええと……ぼく、捨て――置いてきただけだから、わかんない。だけど、タローヘビを獲るのにカロルス様を連れて来てって言ってたよ?』
既に美味しいものを想像したらしいシロが、ぺろりと口の周りを舐め上げた。臭いんじゃなかったの……以前のライグー料理は、シロの可食判定に革命を起こしてしまったみたいだ。
「太郎蛇? なにそれ、珍しいのかな? 美味しい食材なんだったら、オレに言いそうなものだけど」
だけど、正直ラピスの食べられる判定は当てにならないしなあ。
ただ、太郎蛇と聞いて少し安心した。あんまり強そうにないし、名の知れた魔物なら聞けば分かるもの。そうでないなら、カロルス様なら大丈夫だろう。
ちょっと元気になって顔を上げると、その太郎蛇とやらが気になってくる。美味しいのなら、新鮮なうちに持って帰りたい。何ならその場で血抜きやらの処理をして……おや、そういえばカロルス様ってどうやって帰ってくるの? シロがここに居るわけだけど。
『用が済んだら放って帰る』
『間違いないわね。ラピスならそうするわ』
頷きあう蘇芳とモモに、確かにと頷きかけて慌てて立ち上がる。
「それじゃあ太郎蛇の鮮度が落ちちゃう! ちょっとオレ、迎えに行こうかな」
距離が遠すぎてカロルス様の居場所は分からないけれど、ラピスとは繋がりがあるから辿れるだろう。
よし、とりあえず太郎蛇を……じゃなくてカロルス様を迎えに行くとしよう!
「きゅ?」
ふわっと光が収まると、周囲はチクチクした狭い暗がりだった。
耳元で聞こえた声が嬉しそうに頬に身体をすり寄せる。
――ユータ、ラピスを迎えに来たの? もう帰るところなの!
チクチク痛いのは、どうも藪の中だからだね。日が落ちかかった森は、木々の屋根で既に暗い。
「もう用事はすんだの? カロルス様は?」
きょろきょろ見回すと、ラピスがぴくっと肩を震わせた。
――ラピス、知らないの。ラピスは、森が暴走するのを防いだ放浪者なの。
功労者だろうな、と思いつつ首を傾げた。森が暴走とは……? ラピスたちが暴走ではなく?
ひとまず、今いる森はしんと静かでざわめきは聞こえない。むしろ、息を潜めている気配がする。
「そうなの? カロルス様を連れて来たんでしょう? どこへ行ったの?」
いくら覗き込んでも視線の合わないラピスに、一挙に不安が募り始める。
――大丈夫、無事なの! あっちにいるの! だけど、ユータは行かない方がいいと思うの。
え、無事とか無事じゃないとかそんな感じ? 安心できる材料が皆無で、思わずラピスの示す方へ走った。
*****
風で『そっと』吹っ飛ばされたカロルスの悲鳴が、森の外へと尾を引いて流れた。
「――っくそ!! 運べっつったんだよ! 動けねえ人間を吹っ飛ばすんじゃねえ!!」
気合いできちんと回転して足から着地したカロルスが、すぐさま大の字になって喚いている。
動けるではないか、と言いたげな管狐部隊の視線にもめげず、カロルスはさらに言い募る。
「なあ、ユータ呼んで来てくれよ。このままだと俺、死ぬんじゃねえ?」
つぶらな瞳が一斉に『大丈夫』と応えたような気がする。
カロルスの背中に冷や汗が伝う。
まずい。これは、本当に放置される流れではないかと危ぶんだ時、随分近くから声が聞こえた。
「……ほーう? 知らせを受けて来てみりゃあ、なんでだろうな? Aランクが空から降って来るったあ……」
カロルスの視界にぬっと現われた凶相。そしてラピスたちの瞳はきらきらと輝いた。
「…………おう。奇遇だな、なんでお前がこんな所に」
しばし沈黙の後、盛大なしかめ面でカロルスがそっぽを向いた。
「俺が聞きたいわ! 言っておくがお前、俺より早く現場に到着してるなんざぁ滅茶苦茶に怪しいからな」
がしりと容赦なく顔面を掴まれた途端、じわりと身体が温かくなる。ゆるゆると楽になる身体を感じて、カロルスは密かにホッと息を吐いた。
「あー……死ぬかと思った。悪いな。ところでここ、どこなんだよ?」
一応の回復を終えて身を起こしたカロルスが、改めて周囲を見回した。森、平原、凶相、そして少し離れてガウロ部隊。彼らがいるということは、王都近郊なのだろうと見当を付け、よりにもよってガウロに見つかるとは、と舌打ちをひとつ。
「はぁ? レガストの森だ。お前、なんでここにいる。普通ならしょっ引くところだが……暴走を鎮めたのはお前だな? ヒュドラはどうした」
思ったよりも王都に近かったことにがっくり項垂れ、どう答えても面倒になる未来しか見えずにため息を吐いた。
「倒したわ! 死ぬとこだったがな!!」
「はぁ?! 一人でか?! ヒュドラを?!」
思わず森が残っていることを確認して、ガウロは信じられないものを見る目でカロルスを見下ろした。
「一人ってわけじゃねえな。まあ証拠って言われても、みじん切りにしたから何もねえけど。あ、俺の身体に毒は残ってるぞ。わざと残したのか?」
回復はされたものの、完全な解毒がされていないことは、体調からよく分かる。
「馬鹿か……ヒュドラの毒を受けてよく平気だな。あの毒がそう簡単に解毒できるかよ」
「お前はこれが平気に見えるのか?」
じとりと睨み上げた途端、『えっ』と小さな声が上がった。
*****
草原に寝転がる大きな人影を見つけて、慌てて駆け寄ろうとして思いとどまった。
なぜだろう、すぐそこにガウロ様がいる。少人数の部隊を待機させ、のしのしとカロルス様らしき人に近づいていく。
大丈夫だよね、ガウロ様なんだから悪いことはしないはず。
やきもきしながら見守っていたけれど、会話を聞くには少し遠い。もしかして、部隊の人たちに聞こえないように話しているのかも。
――じゃあ、ラピスが繋いであげるの!
なるほど、その手があった! 喜んで飛んでいったラピスが二人の近くで身を潜めると、ラピスを通して声が聞こえてくる。
だけど、その内容に耳を疑った。ヒュドラ?! それってあの、絵本とかにも登場するAランクの……? 解毒、できないの? そもそも、誰が毒を……?
オレの胸が早鐘を打ち始める。違うよね、カロルス様じゃないよね。
『お前はこれが平気に見えるのか?』
どこか揶揄するような声音が、オレの耳を通り抜けていく。それって、つまりはカロルス様が毒に侵されているということで……?
気が付いた時、オレは既に駆け出していたのだった。
ツギクル様サイトの方では15巻の表紙出ましたよ!!
見ました?!最高の最高!!!!そして挿絵ラフも見せていただきましたが、ヤバイです。語彙力吹っ飛ぶ素晴らしさ……