735 素晴らしい思いつき
――諸君、これは訓練ではな……なくはないけど、そういうことなの!
ウキウキと戻って来たラピスが、しっぽを立てて重々しく告げる。
「「「きゅっ!」」」
そういうことなのか、と納得した管狐たちの返事が凜々しく響く。
ラピスは知っている。魔物の暴走があった時は、どうせ討伐隊が来て、いっぱい魔物を狩っていく。あのガウロ率いる部隊が猛々しく暴れ回っていたのを、その目でしかと見たことがあるから。
つまり、ラピスたちが先にやっても問題はないはずである。むしろ、感謝されて然るべき。
――きっと、これならユータも怒らないの。ふたもないチャンスなの!
きりり、と鼻面を上げ、群青の瞳が煌めいた。応じるように、管狐たちの耳としっぽはピンと立ち、黒の瞳に熱が籠もる。
――人間に発見されないこと、それが最優先事項なの! 次点で、森を削らないことなの!
管狐たちは、きゅ、と頷いて納得する。つまり、人間が邪魔な時はどこかへ吹っ飛ばせば良いということ。いや、それならむしろ、先に人間を殲滅した方が早いのでは。
「きゅ、きゅう!」
アリスが慌てたように声をあげ、ラピスがぽんとしっぽを打った。
――忘れてたの、人間は攻撃しちゃダメなの。ユータは人間が好きだから、ちゃんと残しておいた方が喜ぶの! いっぱい残っていたら、あとできっと褒めてくれるの!
きゅきゅっと柔らかなざわめきが広がり、部隊が沸き上がった。
ユータに褒めてもらうために、人間はちゃんと残しておくこと。しっかり新人にも『人間大事に』の意識が浸透したのを見て取って、アリスは密かに胸を撫で下ろした。
すんでの所で大量虐殺を免れたとも知らず、森からは早くも異変を察知した冒険者たちが離脱をはかっていた。その第一陣がギルドへ一報を入れ次第、討伐隊が組まれるだろう。
――部隊編成は、各々判断するの! 適宜他隊と連係し――
いざ突入せんと、最後の指示を行う最中、群青の瞳が何かに反応して森を見つめた。
――ちょっとだけ、ユータの気配がした気がするの。
繋がりがあるからこそ分かる、微かな残り香のような……。
躊躇なく森へ入り込んだラピスの目に、小さな人影が飛び込んで来た。
「早く、早く! 絶対おかしいから!」
「うん、大人に知らせなきゃ!」
息を切らせて走る2人組は、まだ冒険者に成り立てだろうと容易に推察できる背格好であったものの、既に異変を察知したらしい。脇目も振らずに森の外を目指している。
――中々みごころがあるの。だけど、どうしてユータの気配がするの?
じっと見つめるラピスに、アリスがそっと耳打ちした。ラピスがもう少し人間に興味を持っていれば分かったろう、彼らがガウロの館にいた子どもたちであることを。
――なるほど、ユータのお守りなの!
ラピスが嬉しげに飛び跳ねるのと、横合いから魔物が進路を塞いだのは、ほぼ同時。
悲鳴をあげながらも飛びすさって剣を抜いたのは、さすがガウロ幼少部隊。ずんぐりした四つ足の獣が、容易い獲物と見て牙を剥く。
「行くよ、1、2、さんっ!」
放たれた魔法と併走するように飛び込んだ前衛が、魔法の着弾に被せるように渾身の一撃を入れる。
ラピスの瞳がきらきら輝いた。
――さすがなの。さすがの練度なの。
だから……つい憤慨した。巨大な蜘蛛が音もなく樹上から降ってきたことを。そして、まだ小さな身体がすっぽり抱え込まれてしまったことを。
しまった、と思う余裕など少年にはなかった。腕ごと抱え込まれた彼は剣を上げることもできず、かろうじてできたのは、開いた顎と無感動なたくさんの目を睨み付けることだけ。
次の瞬間、衝撃と共に感じた痛みは……少し思っていたのと違った。
「いっ……た」
呻いた少年の身体が、泣きじゃくる相方に引き起こされた。
「カーグ、カーグ! 生きてるでしょう、生きてるよね?!」
痺れの残る身体をなんとか立て直し、剣を支えに立ち上がった。
「なんで……? あれ、ジュノが?」
「そんなわけないでしょう! わかんないよ、何がなんだか! だけど、とにかく逃げよう」
傍らでほとんどバラバラになった蜘蛛だったものを見て、どうひっくり返っても自分たちが敵わない相手だと改めて震える。森の浅い場所にまで出てきているなんて。
ふらつく彼を支えて足を踏み出した時、ぽとりと何かが落ちた。
「あ……」
急いで拾い上げたのは、首に下げていたのだろう、紐の切れた小袋。
「助けて、くれたんだ……」
「本当に……守ってくれた」
潤む瞳を拭って、頷きあった2人は今度こそ走り出した。
その背中を、頼もしき殲滅部隊が守っていることも知らず。
――良い感じになったの。これこそ、ユータの守りなの!
つい人間の目の前で蜘蛛をぶっ飛ばしてしまい、おろおろしていたラピスは深く頷いた。
少年を木っ端微塵にすることもなかったし、万事上手くいった。まさに、お守りの効果だろう。
――これは、いい機会なの。者ども、子どもは最優先で助けるの! ユータの気配を持ってる人間は、最々優先なの!
そうすれば、きっと天使教……つまりはユータを崇めるに違いない。素晴らしい思いつきに、ラピスはにっこり笑ったのだった。
*****
徐々に、混乱が広がっていく。森の奥から、波紋のように。
「――逃げろォ! 暴走が起こる! 森から離れろ!!」
いち早く気付いた高ランクの冒険者たちが深部から逃げて来るおかげで、冒険者たち全体の撤退に繋がっている。
それでも、巨大な森において異変に気付かず逃げ遅れる者も多数。
「誰か! 助けてくれ! どうしてこんな所にアッシュモニターが?!」
「きゅっ!」
5匹編成で高速飛行していたセリス部隊が機敏に進路を変える。
「きゅーっ!!」
小隊長の号令と共に、通り過ぎざま5匹の管狐から一斉に放たれる魔法。
少なく見積もって、1匹につき訓練された魔法兵5人――計25人超の一斉爆撃。
「え……え?」
結果を見るまでもなく、部隊は通り過ぎていく。残されたのは、呆然とする冒険者と、魔物だったもの。
ユータの気配は、もう森の中にはない。ユータのお守り持ちは無事に全員逃すことに成功、部隊は見事に任務その1を終えていた。
あとは、よく分からない人間たち。ユータの祈りが籠もっていなくとも、天使教のお守りは持っているかもしれない。それに、人間はたくさん残しておいた方が良いと聞いたから。
絡み合う藪を抜け、木々をすり抜け、小さな小さな爆撃機は縦横無尽に森を飛び回る。
悲鳴に急行しては、問答無用の集中砲火を浴びせた。
それは、いかにも殲滅部隊の名に相応しい、容赦ない戦闘。
――割と楽しいの。助けるのって、結構いいものなの。
唯一白の単機は、くるくる回転しながら楽しげに舞った。幸いなことに、どうやら人助けに楽しみを見いだしたらしい。
森の外まで弾き出された冒険者が、果たして無事かどうかは甚だ怪しいところではあったものの、少なくとも命はあるはず。
ふと妙な臭いが鼻を突いて、ラピスは素早く上空まで退避した。
――忘れてたの。あれは……難しいところなの。
うねくる巨体が木々をなぎ倒し、まき散らす毒で周囲を変色させている。
部隊で勝てなくはないだろう。けれど、他のことに気を配っていられるほど余裕のある戦闘ではない。身を隠して戦うなど不可能。
これは、作戦が必要。
賢明な判断を下したラピスが、アリスを呼んだ。
(ふたもない→またとない)
ぜひ戦闘機目線で森の中を飛び回る映像を浮かべてお楽しみ下さい
ツッコミ不在で大変なことに……頑張れアリス!!