734 部隊の訓練
ユータより少し早く目覚めたラピスは、やわやわと柔らかい首筋にすり寄った。
ユータはいつも、いい匂い。
温かくて、心がふわふわするいい匂い。
「んっ……」
くすぐったかったらしい。ユータが夢うつつできゅっと首をすくめたせいで、ラピスの小さな身体が挟み込まれてしまう。
「んん……? ラピスってばもう~」
嬉しげにきゅっきゅともがくラピスのおかげで、寝起きの悪いユータさえも、なんとか覚醒したらしい。ほやほやと緩んだ笑顔で身体を起こした。
――ユータ、起きたの? すごいの、今日はラピスが起こしたの!
手の平に乗ってしまうくらい小さな獣は、ぬくもりの残る布団の上を飛び跳ねた。
こんな平和な起こし方なら歓迎だ。ユータは感謝して微笑むと、小さな手で今にも閉じようとするまぶたを擦る。
「あれ、ユータがちゃんと起きてる~?」
朝練と称して加工に勤しんでいたラキが、少々驚いた顔で振り返った。寝ていると気付いていたなら、起こしてくれてもいいのに。ユータはそう思うけれど、同室メンバーは知っている。ユータがそうそうのことで起きやしないことを。
そして、放置していてもきっと――。
「起きろーっ! ……あれ?」
思い切り開いた扉から、弾けるような笑顔と声が飛び込んで来た。
「おはよ~、いきなり大声で開けないでってば~。ユータだけを標的にしてくれる~?」
「オレだって標的にしないで?! もう少しまともに起こしてほしいよ!」
まだしょぼつく目で抗議するユータに、二人の視線が生ぬるくなる。
「なら、お前がもう少しまともに起きろよ」
「ユータがまともに起こされてくれたら、解決なんだけどね~?」
「……善処します」
だけど、そう言う間も閉じそうな瞼が無理だと主張している気がする。
ただまあ……毎朝ユータがばっちりと起きているのは、少々寂しい。幸せそうなふくふくとした寝顔を見てこそ、今日という日が良い日になる気がするのだから。
視線を交わした二人は、肩をすくめて笑ったのだった。
「ねえラピス、今日はオレ夕方まで授業があるよ。聖域に帰ってる?」
やっと覚醒して制服に袖を通しながら、ユータが振り返った。
――それなら、今日はお外で訓練するの! 新人の能力を引き上げるためには、たわわな努力が必要なの!
「そ、そう……ほどほどにね」
微妙な言い間違いをそのままに、ユータは鬼軍曹の訓練におののいた。まずやるべきは、新人の心を折らないように留意することでは。
『だけど、みんなラピスから生まれてるんだから、似たようなものじゃないのかしら』
ふよふよ揺れるモモの台詞に、扉にかけた手が止まる。
そ、そんなはずは……あんなに可愛い管狐たちなのに。
ちら、と視線をやった群青の瞳は、今日もつぶらに煌めいている。
気を取り直して手を振るユータを見送り、窓辺のムゥちゃんにしっぽを振って、ラピスも窓の外へ飛び出した。
訓練をするには、何よりも人の居ないところへ行かなくてはいけない。
別にラピスとしては町中で訓練しても構わないけれど。だけどユータは、他の人が傷ついたり困ったりすると悲しそうな顔をする。
だから、ラピスもなるべく人に見つからないよう、トラブルを避けるよう気をつける習慣が身についた。
――人がたくさんいたら、失敗した時にバレちゃうの。
ラピスにとって、ユータ以外は割とどうでもいい。極論、少々人を吹っ飛ばしてもユータにバレなければそれでいいと思っている。
王都付近に転移したラピスは、さっそく管狐部隊を呼びだした。
ここはラピスのお気に入りの場所。王都近辺だと、派手な魔法を使う人間も多いから、もし間違って環境破壊してもラピスがやったとバレにくい。それに、参考にする人間の部隊もいる。
――格好いいの。
うっとりしたラピスの視線の先には、厳つい顔をますます鋭く引き締め、大剣を担いだ大男が城の訓練場を歩き回っていた。
「たるんでるぞ者どもォ! 訓練だからって気ィ抜いてんじゃねえ! うかうかしてっと俺が一撃入れんぞ!」
地鳴りのような声が響き渡り、訓練場はぴりぴりとした気配に満ちる。
――これなの。これこそ真の訓練なの! 戦闘に油断などあるまるき! 緊張感こそ全てなの!
「「「きゅうっ!」」」
著しく緊張感を損なう発言にも、無論、管狐部隊は空気を読んで言い間違いを指摘したりしない。
勇ましくしっぽを上げた部隊に、ラピスは満足げに頷いた。
――まずは、飛行訓練からなの! 矢よりも魔法よりも速いスピードを手に入れるの!
「「「きゅーっ!!」」」
管狐部隊の瞳が爛々と輝いた。
やはり……所詮、ラピスから生まれた眷属達。性格は各々違えど、性質は似たり寄ったりだ。
遥か上空を散々曲芸飛行した後、部隊は王都から離れた大森林へやって来ていた。
魔物の豊富なそこは、手練れの冒険者も多い。そして、一攫千金を狙うそうでない冒険者も。結果的に様々なランクの冒険者のるつぼと化した、危険な狩り場のひとつ。
――次は、実践訓練を行うの! 魔物なら吹っ飛ばしてもユータは怒らないの! ……多分。人もいっぱいいるから、バレないように吹っ飛ばすの!! それも訓練に含むの!
とは言え、広大な森の前では管狐など砂粒のような存在。ラピスはともかく、管狐単体では後れを取る魔物もいるだろう。そうなった時にラピスが加勢して森を破壊すると、それはそれでユータが困ることを知っている。ラピスは、用心深く管狐部隊を2,3体で一個小隊と振り分けた。
これで、各々散ってもそう心配することもあるまい。
……森林破壊を心配する必要は出てきたけれど。
――それぞれ、適当な魔物を討ち取ってみせるの! いっぱいいそうな魔物にするのがコツなの!
珍しい魔物は、倒してしまうと騒がれる可能性がある上、数が少ないということは強敵の場合もある。部隊の心得を神妙に言い聞かせていたところで、ラピスはふと小さな鼻先を上げた。
――おかしいの。森がざわざわするの。
異常を感じ取った管狐部隊も、そわそわとしっぽを揺らす。ラピスはしばし待機を命じると、単身森の奥へ飛んだ。
「くそっ、くそっ! だから嫌だったんだ!!」
「黙って走れ! 追いつかれる!!」
ラピスの目の前を、数人が走り抜ける。どうも、それなりに手練れの冒険者のようだ。目を剥き、流れる血もそのままに、まさになりふり構わず駆ける冒険者たち。
――血が出てるけど、死なないの……多分。走ってるから元気なの……多分。
ラピスは特に気にも留めずにその背後へ視線をやった。
荒れ狂う魔力が、そちらから吹き付けてくる。木々をなぎ倒し、滅茶苦茶に森を破壊しながら、何かがやって来る。
巻き添えを食わないよう高度を上げたラピスは、迫る魔物を眺めて目を細めた。
どうも、手負いらしい。のたうつようにうねくりながら暴れるそれは、巨大な蛇に似ている。ただし、複数の頭を持っていた。
そして、じわりじわりと体表から漏れる液体から嫌な臭いをさせている。
――食べられそうには、ないの。
なら、興味なし。
管狐の小隊にも、やや手に余る獲物だろう。
関係ないとばかりに踵を返したところで、周囲の魔物まで荒れ狂っていることに気が付いた。
この森において相当な強者である多頭蛇が、毒をまき散らし暴れ狂っている。
恐怖に駆られて逃げ出す魔物たちで、森の魔素はかき乱され、さらに魔物を狂わせる。
――森が、暴走するの。
重々しく呟いたラピスは、ハッとした。これは、この状況は……。
――訓練に最適なの!!
群青の目をきらきらと輝かせ、ラピスは素敵な巡り合わせに宙を飛び跳ねたのだった。
たまにはこういうのもいいかなって…
ツッコミ不在でお送りします!!!