733 宝物にできるのは
さあ食べようかと言うとき、飲み物を入れようとしてはたと動きを止めた。
ここに、紅茶? いやいや、それはない。お水……お水かあ……。
「お茶がないって、不便」
こうも和食らしい和食で揃えるなんてそうないから気にしていなかったけれど、こうなると別だ。
日本茶なんて葉っぱがないと無理だけど、せめて何か――
「そうだ! 麦茶なら!」
理想ではないけれど、紅茶よりはいい。
「まだなんか作るのか?!」
いそいそとテーブルについていたタクトが、ぐったり伸びた。ごめんね、急ぐから!
取り出した麦の水分をちょっと取って、早くできるようでっかいフライパンで炒る。ほんのり味がつけばそれでいい、超特急仕様だ! 白っぽかった麦が弾けながら茶色くなってきたら、ラピスにお湯をお願いする。
――分かったの、熱々のお湯なの!
用意した鍋に、ラピスのお湯が投入された。
「「!!」」
ぼっ! と妙な音が鳴った、と思った瞬間、シールドを発動していた。
同時に、降り注ぐ熱湯。素晴らしきかな、鍛えられた危機察知能力。
「やっべえ……料理って割と命懸けだよな」
きっちりラキの前に回り込んでいたタクトが、胸を撫で下ろしてため息を吐いた。
おかしいな、そんな事態に陥るのはエリーシャ様ぐらいだと思ったのだけど。
――おかしいの。どうして入れたのに飛んでいくの?
お鍋からぶっ飛んだお湯に首を傾げ、ラピスが再び熱湯をぶち込もうとするのを慌てて止めた。
「あのねっ、そんなに熱々じゃなくていいから! むしろお水を入れて沸かしてくれたらいいから!」
突沸っていう現象があってね……きっと恐ろしい温度のお湯をぶち込んだんだろうな。魔法ってこわい。
普通に沸かしたお湯に炒った麦を投入、ちょっと煮出して濾せば、それはもう麦茶と言っていい。薄くたっていいんだ、飲み慣れない彼らにはむしろその方が。
危うく麦茶のために人生を終えるところだったけれど、なんとか無事に手に入った淡い琥珀色の液体。
しっかり冷やして、汗をかいたコップに喉が鳴る。
「さあ、いいよ! いただきますしよう!」
歓声と共に合わさった手の平の音が、広い平原に響いて広がった。
なんだかんだ、喉が渇いていたオレたちは、揃ってコップに手を伸ばした。カララ、と氷が揺れて、手の平がじんと冷たい。あおった唇に、かつんと氷がぶつかった。
「――っはあっ!」
一気に飲み干して、冷たくなった空気を吐き出した。頭がキンとしそうな液体は、渋くなく、苦くなく、香ばしい。手作り麦茶ってこんな味なんだ。甘いような気がするのは、作った者の欲目だろうか。
「麦って飲み物になるんだね~、軽くて飲みやすい~」
「水でも紅茶でもねえって、面白いな! 思い切り飲めて好きだぜ!」
あまり主張しない味は、お料理を邪魔せず楽しめるだろう。時間短縮のためだったけれど、薄いことが功を奏したかもしれないね。
まずは、と小鉢に手を出したオレたちは、視線を交わしてせーので口へ運んだ。
拍子木切りのしなりとした大根は、柑橘をまとってどこか上品に見える。舌の上でひやり、とした途端、我慢できずに歯を立てた。
しゃきり、カリリ。
タクトの力で絞った大根は、しっかり漬け液を吸い込み、ふうっと柑橘の香りが鼻へ抜けた。
「おぉ……なんか違う! 俺の知ってる大根じゃねえ。なんでだ?!」
「ホントだ……生ってこんなだっけ~? 不思議~」
顎に響く、この心地よさ。
懐かしいね、懐かしいね。
何を思い出しているのか、もう思い出せない。だけど、懐かしい風がオレの中を吹き抜けていく。
ふわりと浮かぶ笑みと、少しだけざわめく心。
郷愁。いろんな国の言葉にも、ちゃんと言葉として存在するって面白いね。きっといろんな人が、同じように感じたんだね。
オレも、違う世界で同じように感じたよ。ちょっと切なくて、だけど大切できらきらする気持ち。
きっとそれって、今が素敵だからだ。ごはんを片手に忙しく掻き込む二人を眺めてくすっと笑った。
だから、綺麗で、大事な大事な宝物のひとつとして、しまっておける。
みるみる減っていくおかずに焦りながら、オレはもう一度柑橘大根を噛みしめたのだった。
……うわあ、すごい音。
ワニがヘルメットでも噛んでいるんじゃないかって音が、静かな湖畔に響いている。
お漬け物って、そんなに頬ばって食べるものじゃないんだよ。お口の中がしょっぱくなるよ。
呆気にとられてみていると、やっと片手のおにぎりをがぶりとやった。大きい口だね、一口でおにぎりが半分になっちゃう。
ルーって、人型でも食べ方が豪快だ。
顔立ちが彫刻みたいに整っているだけに、ほっぺを膨らませた姿はなんともミスマッチで笑える。
お漬け物を獣姿でがつがつやられたら困るので、こうして人型になってもらったけど、この食べっぷりではあんまり変わらなかったろうか。
「ルーも割と好きなんだね。ご飯と合うでしょう? オレ、お漬け物とごはんがあれば幸せだな!」
でも、お肉も卵もお野菜もお魚もあったらもっと幸せ。
特にはりはり漬けモドキがあっという間に減っていくのを眺め、オレと好みが同じだと嬉しくなった。
ものの二口で白おにぎりを平らげたルーが、行儀悪くべろりと手の平を舐め上げた。
「もっと?」
ちらりと寄越された視線にくすっと笑い、大きな手にもうひとつおにぎりを載せた。
「もうちょっとお漬け物とごはんをバランス良く食べようよ! お漬け物が多いよ」
神獣は塩分過剰にはならないんだろうか。2杯目の麦茶を飲み干したルーが、不満そうにコップを見た。
ほら、しょっぱいから飲み物が欲しくなって……あ、そうか。
取り出したものを見て、金の瞳が輝いた気がする。
なるほどね、オレが飲まないから気付かなかったけれど、日本酒なんかは塩を舐めながら呑んだりするらしいもんね。ただ、手持ちにないからなあ。
「ワインしかないけど、いい? どれだったら合うんだろ?」
主に料理に使っているものだけど、ワインには違いない。
「なんでもいい」
いそいそと手を伸ばされ、悩んだ末に赤ワインをついで渡した。お肉のソースを作る時って、お醤油と赤ワインを使ったりするから! はりはり漬けにも合わないことはないだろう。
いつの間にか消えていたおにぎりはもう催促されず、つまんだ漬け物をばりばり食べて、ワインに口を付ける。
濡れた唇を舐め、にま、とちょっとだけ上がった口角が珍しい。好きなんだなあとオレのほっぺも持ち上がった。
「ワインのおつまみだったら、チーズとか浸け込むと美味しいだろうね。そっか、こういうのってルー好きそうだね」
「酒があればな」
上機嫌なルーが、あんまり美味しそうに飲むもんだから、オレも手を伸ばした。
途端に高く掲げられたコップに頬を膨らませる。
「まだあるから! ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ舐めてみたいだけ!」
「やらねー」
ケチ!! だけど、まだワインはあるんだから!
ぷりぷりしながら取り出したワインの瓶が、忽然と手の中から消えた。
「飲むんじゃねー!」
「なんで! いいでしょう、ルーしかいないんだから」
「なら、俺だけが迷惑を被るだろうが!」
迷惑って何。大いにむくれるオレにそ知らぬふりをして、ルーは一人で飲んでいる。
「じゃあ、ルーがいないところで飲むから!」
「ダメだ! 馬鹿が」
思いの外強い否定に、ますます唇を尖らせた。オレ、そんなに迷惑? そりゃあ、ちょっと甘えん坊にはなるって聞いたけど。
ため息と共に伸びてきた手が、オレの首根っこを捕まえて引き寄せた。
固い腹を背もたれに、あぐらの上にちょんと収まってきょとんとする。
これ、ルーだよね? もしかしてルーの方が酔っ払ってる?
「……舐めるだけだ」
背中から響いた低い声。渡されたコップに喜び勇んでお漬け物を口に放り込み、ルーみたいに口をつけた。コップを傾けた途端、手の中から取り上げられてしまう。
「舐めるだけだと言っただろうが!」
オレはすんでの所で口に含んだ液体に、思い切り顔をしかめた。こくん、と無理矢理飲み込んだ喉が熱い。
「……おいしくなかった」
オレが作ったワインは美味しかったのに。だから、ちょっとは飲めるようになったと思ったのに。
鼻で笑ったルーは、やっぱり美味そうにのど仏を上下させ、満足そうに息を吐いた。その片腕はしっかりとオレの身体にまわって、オレは妙な気分だ。だって、ルーに抱きかかえられているなんて。
多分これ、ルーはオレを捕まえているつもりなんだろうな。
オレ、そんなに酔って暴れたりしたんだろうか。
これ幸いとぽかぽかする身体を預け、ルーの心地良い気配にたっぷり包まれる。
ほら、今日だってこんなにもきらきらしている。明日も、この先も、もっと素敵で待ちきれないほどに。
固い腕を抱え、オレも満足の吐息を吐いたのだった。
6月になりましたね!6月30日はロクサレンの日ですよ!何か楽しいアイディアないですかね?!
当日は『#ロクサレンの日』タグ使って何かしましょう!Twitterのトレンドに乗るくらい!笑